『素晴らしきかな、人生』(原題:Collateral Beauty)
監督:デヴィッド・フランケル
出演:ウィル・スミス,エドワード・ノートン,キーラ・ナイトレイ,マイケル・ペーニャ,
ナオミ・ハリス,ジェイコブ・ラティモア,ケイト・ウィンスレット,ヘレン・ミレン他
前日に飲み過ぎてお酒が残ったまま、『彼らが本気で編むときは、』とハシゴ。
同じく大阪ステーションシティシネマにて。
本当はこの日、テアトル梅田でキム・ギドク監督の最新作を観たかったのです。
しかし、二日酔いだから歩くのもしんどい。
がんばって歩くとしても、テアトル梅田での上映は『彼らが〜』終映の1時間後。
早く家に帰りたかったのもあり、『彼らが〜』終映直後から上映の本作を。
だいたい邦題が気に入らん。
よう恥ずかしげもなく不朽の名作『素晴らしき哉、人生!』(1946)と同名にするわ。
邦題を聞いたときリメイクかと思い、ようあんな名作をリメイクするわと思ったら、
リメイクじゃなかった。いずれにせよ、神経を疑います。
二日酔いの睡眠不足でも睡魔には襲われませんでしたが、
1本目の『彼らが〜」で寝なかったのは面白かったから、
2本目のこれで寝なかったのは、なかなかに腹立たしかったからです。
なんなの、このキャストの無駄遣い。
ニューヨークの広告代理店を経営するハワード(ウィル・スミス)。
共同経営者のホイット(エドワード・ノートン)とともに破竹の勢いで業績を伸ばし、
公私ともに順風満帆な人生を送っていた。
ところが6歳の愛娘が難病に侵されて突然この世を去る。
娘を亡くしてからハワードは抜け殻のようになったまま3年が経過。
妻とは離婚、自宅の電話も取り外し、
会社に顔は出すが仕事をせずにドミノ倒しの製作に没頭。
このままでは会社が危ういと、ホイットは買収話を進めることにして、
役員のクレア(ケイト・ウィンスレット)、サイモン(マイケル・ペーニャ)に相談する。
買収話をまとめるためには、筆頭株主のハワードの承認が必要。
しかしハワードは会社を手放すことだけはしないだろう。
ならばとホイットが考えたのは、ハワードに経営者として責任能力なしの烙印を押すこと。
ハワードの奇妙な言動をカメラに収めて役員会に提出しようと。
クレアとサイモンは良心がとがめるが、会社が潰れては困る。乗るしかない。
たまたま会社の近所で芝居の練習をしていたのが、とある劇団。
ホイットらはその劇団の役者であるエイミー(キーラ・ナイトレイ)、
ラフィ(ジェイコブ・ラティモア)、ブリジット(ヘレン・ミレン)に、
ハワード相手の芝居を依頼するのだが……。
ネタバレです。
役者たちに芝居を依頼する前、ホイットは探偵を雇ってハワードの行動を調べます。
ハワードがポストに3通の手紙を投函したのを見た探偵は、
違法にポストをこじ開けてその手紙を回収。
なんとハワードが出した手紙の宛名は「愛」、「時間」、「死」。
ハワードは「愛」と「時間」と「死」に宛てて、
どうして娘を奪ったんだ、もう愛なんて要らない、時間なんて無意味だ、
なぜ死なせるなら自分を死なせなかったんだ、みたいなことを綴っていました。
で、ホイットが考えたのは、ハワードの前に「人間の姿をした愛と時間と死」を登場させること。
エイミーが「愛」、ラフィが「時間」、ブリジットが「死」としてハワードの前に登場させる。
するとハワード自身は幻覚や幻聴だと思い込み、自分のアタマがおかしくなったと思うはず。
エイミーたちをハワードが罵る画像を撮れたなら、
ハワードが独りでしゃべっているように画像を編集しようという魂胆。
……ってね、要りますか、こんな奇策のために割かれたシーン。
いくらヘレン・ミレンほどの大女優がハワード相手に演説をぶっても、
設定が腹立たしいからちっとも耳に入ってこない、心が動かない。
自分の演技に自信を持つブリジットが、愛と時間と死、
ぜんぶ私に演じさせろというのも傲慢すぎてウザイ。
号泣していた人もいましたが、私はガッカリ。
人の弱みにつけこんで騙し討ちというのはいただけません。
騙す方法も、痛快でも鮮やかでもなんでもないんだもの。
最後に一応ドンデン返しあり。これもまたなんかせこいんだなぁ。
デヴィッド・フランケル監督は『プラダを着た悪魔』(2006)がものすごくよかったけれど、
こんな邦題を付ける作品はいただけないこと確定。
ちなみに原題の“Collateral Beauty”はちゃんと台詞の中に登場します。
そのシーンはちょっとだけよかったかな。
ま、それを邦題にすると、それはそれでまたチープな感じがしちゃうんですけど。
あぁ、久々にケチョンケチョンに言ってしまった。(^o^;
監督:デヴィッド・フランケル
出演:ウィル・スミス,エドワード・ノートン,キーラ・ナイトレイ,マイケル・ペーニャ,
ナオミ・ハリス,ジェイコブ・ラティモア,ケイト・ウィンスレット,ヘレン・ミレン他
前日に飲み過ぎてお酒が残ったまま、『彼らが本気で編むときは、』とハシゴ。
同じく大阪ステーションシティシネマにて。
本当はこの日、テアトル梅田でキム・ギドク監督の最新作を観たかったのです。
しかし、二日酔いだから歩くのもしんどい。
がんばって歩くとしても、テアトル梅田での上映は『彼らが〜』終映の1時間後。
早く家に帰りたかったのもあり、『彼らが〜』終映直後から上映の本作を。
だいたい邦題が気に入らん。
よう恥ずかしげもなく不朽の名作『素晴らしき哉、人生!』(1946)と同名にするわ。
邦題を聞いたときリメイクかと思い、ようあんな名作をリメイクするわと思ったら、
リメイクじゃなかった。いずれにせよ、神経を疑います。
二日酔いの睡眠不足でも睡魔には襲われませんでしたが、
1本目の『彼らが〜」で寝なかったのは面白かったから、
2本目のこれで寝なかったのは、なかなかに腹立たしかったからです。
なんなの、このキャストの無駄遣い。
ニューヨークの広告代理店を経営するハワード(ウィル・スミス)。
共同経営者のホイット(エドワード・ノートン)とともに破竹の勢いで業績を伸ばし、
公私ともに順風満帆な人生を送っていた。
ところが6歳の愛娘が難病に侵されて突然この世を去る。
娘を亡くしてからハワードは抜け殻のようになったまま3年が経過。
妻とは離婚、自宅の電話も取り外し、
会社に顔は出すが仕事をせずにドミノ倒しの製作に没頭。
このままでは会社が危ういと、ホイットは買収話を進めることにして、
役員のクレア(ケイト・ウィンスレット)、サイモン(マイケル・ペーニャ)に相談する。
買収話をまとめるためには、筆頭株主のハワードの承認が必要。
しかしハワードは会社を手放すことだけはしないだろう。
ならばとホイットが考えたのは、ハワードに経営者として責任能力なしの烙印を押すこと。
ハワードの奇妙な言動をカメラに収めて役員会に提出しようと。
クレアとサイモンは良心がとがめるが、会社が潰れては困る。乗るしかない。
たまたま会社の近所で芝居の練習をしていたのが、とある劇団。
ホイットらはその劇団の役者であるエイミー(キーラ・ナイトレイ)、
ラフィ(ジェイコブ・ラティモア)、ブリジット(ヘレン・ミレン)に、
ハワード相手の芝居を依頼するのだが……。
ネタバレです。
役者たちに芝居を依頼する前、ホイットは探偵を雇ってハワードの行動を調べます。
ハワードがポストに3通の手紙を投函したのを見た探偵は、
違法にポストをこじ開けてその手紙を回収。
なんとハワードが出した手紙の宛名は「愛」、「時間」、「死」。
ハワードは「愛」と「時間」と「死」に宛てて、
どうして娘を奪ったんだ、もう愛なんて要らない、時間なんて無意味だ、
なぜ死なせるなら自分を死なせなかったんだ、みたいなことを綴っていました。
で、ホイットが考えたのは、ハワードの前に「人間の姿をした愛と時間と死」を登場させること。
エイミーが「愛」、ラフィが「時間」、ブリジットが「死」としてハワードの前に登場させる。
するとハワード自身は幻覚や幻聴だと思い込み、自分のアタマがおかしくなったと思うはず。
エイミーたちをハワードが罵る画像を撮れたなら、
ハワードが独りでしゃべっているように画像を編集しようという魂胆。
……ってね、要りますか、こんな奇策のために割かれたシーン。
いくらヘレン・ミレンほどの大女優がハワード相手に演説をぶっても、
設定が腹立たしいからちっとも耳に入ってこない、心が動かない。
自分の演技に自信を持つブリジットが、愛と時間と死、
ぜんぶ私に演じさせろというのも傲慢すぎてウザイ。
号泣していた人もいましたが、私はガッカリ。
人の弱みにつけこんで騙し討ちというのはいただけません。
騙す方法も、痛快でも鮮やかでもなんでもないんだもの。
最後に一応ドンデン返しあり。これもまたなんかせこいんだなぁ。
デヴィッド・フランケル監督は『プラダを着た悪魔』(2006)がものすごくよかったけれど、
こんな邦題を付ける作品はいただけないこと確定。
ちなみに原題の“Collateral Beauty”はちゃんと台詞の中に登場します。
そのシーンはちょっとだけよかったかな。
ま、それを邦題にすると、それはそれでまたチープな感じがしちゃうんですけど。
あぁ、久々にケチョンケチョンに言ってしまった。(^o^;