◆ごはん
◆もやしのおつゆ(かいわれ大根)
◆納豆(きざみ葱・からし)
◆つるむらさきの御浸し(常備菜)
◆炙りあぶらげ(醤油)
◆みつばダレの冷奴
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※下記事のみつばダレを、ひとくち冷奴にかける
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◆ヨーグルト・フルーツ缶・珈琲など
◆もやし雑炊(べんとう)・幸水・ブルーベリー
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日が暮れてくるとなぜか蒸すんだけど、昼間は冷房をきって過ごせている
ここんとこドタバタと気ぜわしく暮らしているけど、なんとか料理は美味しくできている
だけどやたら「物を落とす」、あっと思ったら手から離れていたり、手で払ってしまったり
バランドンガシャンと、落としたり崩したりしてばかりで、注意せねば、と
集中集中
ひさしぶりに「ナンシー関」を読んで、あのこぎみいい痛快な語り口を楽しんでいたんだけど
2冊目に突入したあたりから「疲れて」くる、これも毎度のことだ....................
ひとの批判(わるぐち)っていうのは、あんまり一度に読むと「心」が疲れる(笑)
噂話とか悪口とか批判とかって、たま~にちょっぴり(?)喋るから隠微な楽しさがあるんであって
それを「まいどまいど」そればっかりってなると、ウンザリだし「笑えなくなる」からつまらない
「人の悪口なんか言いませんっ」なんて、アタシはそんな人間になるつもりは毛頭ないので
悪口も批判もガンガン言うし、「面白い噂話」なら大好きだ.............................
しかし「そればっかり」っていうのはさすがに、ちょっと無理だ
苦いものは、「たまに少しだけ食べる」から美味しいのであるからして
「面白くない噂話」、あれにはほんとまいる
「面白くない」っていうのは、その噂話の内容が「ただの日常」って場合だ
驚くことにそんなもんを「長々」と話す人がいる
ただの「ふつ~の人」の、「ふつ~の日常」「よくある話」「なんの変哲もない暮らしぶり」を
アタシには何の関係もない人間なのに(下手したら知らない人)、延々と聞かされるハメになる
てっきり「オチ」があるのか、最後にアタシと繋がってくるのかと思って辛抱強く聞いているけど
そんな試しになったことは「ただの一度」もない、だらっだらとワケのわからん話を聞かされて終わり
こちらはもう、はぁ、そうなんだぁ、しか言いようがない(グッタリしながら)
これも主婦か年寄(女)に多い
なぜだ?
たぶん自分の話がない、って人々が、この「ひとの人生を勝手に語る(信憑性は疑わしい)」っていう
恐ろしい奈落に落ちるんだと思う(気づいてないみたいだが).........................
しかも大概「わるぐち」入るし、恨みもないのにやたら「いじわる」だし
それで面白けりゃいいんだけどさ(笑)、さすがのアタシも貝になる