雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

人も逆走する ・ 小さな小さな物語 ( 1802 )

2024-09-06 08:02:47 | 小さな小さな物語 第三十一部

高速道路などで、逆走する車のニュースが増えているような気がします。悲惨な事故も幾つか発生しています。
一般道路でも、中央に分離帯がある道路だと同様だと思うのですが、突然前方から逆走してくる車に遭遇した場合、どう対応すれば良いのかなどと考えますと、ぞっとします。
高速道路ならもちろん、中央分離帯がある道路などであれば、制限速度内であってもそこそこスピードが出ているはずです。正面衝突の危険を感じた場合、ブレーキを踏んだからといって避けられそうもありませんし、ハンドルで逃げるのも、交通量が多ければ相当危険です。まさか、向かってくる車と同じ早さでバックすることが出来ないでしょうし、急ブレーキを踏むだけでも後続車に追突される可能性があります。
反対に、逆走している運転手は、全く気がつかないものなのでしょうか。何らかの不注意で、逆走路線に侵入してしまうことはあるかもしれません。しかし、少し走れば、普通は気がつくのではないでしょうか。その段階で車を止めるとか、隙を見てuターンさせるとか、事故を防ぐ手段を取るのが普通だと思うのですが、何とも怖ろしい状況です。

個人的な経験として、確かに逆走路線に突っ込みそうになる道路はあるように思います。そうした道路に対する改善余地はあると思われますが、やはり、健康面も含めた個人の責任の部分が大きいとしか言えないでしょう。
車の逆走の恐ろしさは誰にでも分ると思うのですが、実は「人の逆走」も同じように危険で、なかなか目に見えないことが多いのが、さらに厄介なのです。
社会生活を送る中で、ごく当然のルールさえ守れない人は数多く存在しています。かく申す私も、おそらく、無意識のうちに、時には承知の上でルール破りを行った経験を否定できません。
しかし、これが、然るべき立場の人や多くの人に影響を及ぼす可能性のある人となれば、車の逆走を遙かに超える被害者を出す可能性があります。すれ違った人を傷つけ、もっと身近に接した人は、人生を歪められ、命を落す例も少なくありません。
そのような惨事をまき散らしながらも、本人はなかなか逆走をやめようとしません。逆走に気付いていないのか、気付いていても、相手が避けるのが当然だとでも思っているのかもしれません。

かつて、ある仕事を通じて、いわゆる金融屋と呼ばれるような人物と話す機会がありました。表面的な付き合いでしたが、ある相談を持ちかけられたことから、仕事を離れて少し突っ込んだ話になったとき、「でも、周囲の目も気になるでしょう?」という私の質問に対して、その人は、「わしの仕事は、あなたなどとは大分違う。あなた方は、右を見て、左を見て、さらに過ぎ去った出来事を参考にして、ようやく、そろりと足を出す。わしらは、そんなことでは飯は食えない。少々の危険は覚悟の上で、ただ、前に向かって突っ走るだけだ。後ろなんか見ない。わしが歩いてきた景色など、思い出したくもない。わしが睨んでいるのは、薄ぼんやりとした前だけなんだ・・」と淡々と話してくれました。

その後、間もなく私は転勤し、その人と接する機会はなくなりました。
その人は、法律に則った企業を経営していましたが、その歩いてきた道は、私などの想像を遙かに超えた過去を経験しているのでしょうが、それらを見返ることなく、「薄ぼんやりとした前」だけを睨んでいる、という言葉に、その時は引き込まれました。
しかし、それはその時だけのことで、遠い過去のことになりましたが、考えてみますと、「右を見て、左を見て、過ぎ去った過去に引きずられながら、恐る恐る半歩足を出そうとする」というのは、仕事だけでなく、私の生き様そのものを彼は指摘していたのかもしれません。
年を重ねるにつけ、自分の生き様に忸怩たる思いがあることは否定できません。
しかし、少なくとも、車を運転するにあたっては、「前方ばかりでなく、右も左も後方も」見る必要がありますし、然るべき立場にある人であれば、そうした確認はもちろんのこと、いつの間にか逆走しているのではないか、もしそうであれば、止まってみる勇気を出すことを、常に確認すべきだと思うのです。



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