赤衣(せきえ)に千早と呼ぶ白布を肩にかけ先を長く地面に引いて進む「梅白杖(うめのずばえ)」と「祝御幣(いわいのごへい)」。
青摺りの袍を着けた「十列児(とおつらのちご)」。
頂きに鶴を飾った風流傘を差掛けられた「日使い(ひのつかい)」。
馬上で音だしする緋色の衣冠に山吹の造り花を冠に挿したお供の「陪従(べいじゅう)」。
風流傘に差し掛けられた拝殿八乙女の巫女(みかんこ)に「辰市神子(たついちのみこ)」、「郷神子(ごうのみこ)」、「八嶋神子(やしまのみこ)」、「奈良神子(ならのみこ)」が続いて参勤。
浄衣姿の「細男(せいのう)座」、細纓老懸(さいえいおいがけ)の冠に赤や緑の袍を着た十番力士行司・支証が続く。
「開口」、「弓矢立合」、「三笠風流」を奉納演技する猿樂座(金春座)、綾藺笠(あやいかさ)を被る田楽座は笛役が大きな花笠(奈良一刀彫人形)を頭上に乗せているので一際目立つ。
山鳥の尾を頂きに立てたひで笠を被る「馬長児(ばちょうじのちご)」。
五色の短冊を付けた笹竹持ち、龍の造りものを頭に腰には木履(ぽっくり)を吊り下げた従者。
赤と緑の錦地装束に身を固めた騎射。
赤の水干に笠を被った流鏑馬の揚児(あげのちご)、白の水干は射手児(いてのちご)。
引き馬の名残の「將馬(いさせうま)」。
長大な刀を担ぐ「野太刀(のだち)」。
願主役、御師役、大和士、馬場役に講社総代が延々と続いたラストの一団は江戸時代から加わった大名行列の一行。
昭和54年に保存会が結成されて子供大名行列に南都奉行、郡山藩を演じる。も「ヒーヨー イヤナー」、「ヒーヨイマーカセー」、「エー ヤッコラサノサー」の掛け声に毛槍などを投げて受け渡しされると沿道の人から拍手喝采を浴びます。
また、流鏑馬稚児の一団は参道で流鏑馬。的に矢が命中すると歓声が湧き起こります。
大和芸能懇話会編集、春日若宮おん祭保存会発行の第二十四集「春日若宮おん祭」を参考、舞楽解説など一部を引用させていただきました。
(H20.12.17 Kiss Digtal N撮影)
青摺りの袍を着けた「十列児(とおつらのちご)」。
頂きに鶴を飾った風流傘を差掛けられた「日使い(ひのつかい)」。
馬上で音だしする緋色の衣冠に山吹の造り花を冠に挿したお供の「陪従(べいじゅう)」。
風流傘に差し掛けられた拝殿八乙女の巫女(みかんこ)に「辰市神子(たついちのみこ)」、「郷神子(ごうのみこ)」、「八嶋神子(やしまのみこ)」、「奈良神子(ならのみこ)」が続いて参勤。
浄衣姿の「細男(せいのう)座」、細纓老懸(さいえいおいがけ)の冠に赤や緑の袍を着た十番力士行司・支証が続く。
「開口」、「弓矢立合」、「三笠風流」を奉納演技する猿樂座(金春座)、綾藺笠(あやいかさ)を被る田楽座は笛役が大きな花笠(奈良一刀彫人形)を頭上に乗せているので一際目立つ。
山鳥の尾を頂きに立てたひで笠を被る「馬長児(ばちょうじのちご)」。
五色の短冊を付けた笹竹持ち、龍の造りものを頭に腰には木履(ぽっくり)を吊り下げた従者。
赤と緑の錦地装束に身を固めた騎射。
赤の水干に笠を被った流鏑馬の揚児(あげのちご)、白の水干は射手児(いてのちご)。
引き馬の名残の「將馬(いさせうま)」。
長大な刀を担ぐ「野太刀(のだち)」。
願主役、御師役、大和士、馬場役に講社総代が延々と続いたラストの一団は江戸時代から加わった大名行列の一行。
昭和54年に保存会が結成されて子供大名行列に南都奉行、郡山藩を演じる。も「ヒーヨー イヤナー」、「ヒーヨイマーカセー」、「エー ヤッコラサノサー」の掛け声に毛槍などを投げて受け渡しされると沿道の人から拍手喝采を浴びます。
また、流鏑馬稚児の一団は参道で流鏑馬。的に矢が命中すると歓声が湧き起こります。
大和芸能懇話会編集、春日若宮おん祭保存会発行の第二十四集「春日若宮おん祭」を参考、舞楽解説など一部を引用させていただきました。
(H20.12.17 Kiss Digtal N撮影)
古都奈良の師走を彩り、総勢1000人が繰り広げる華やかな時代絵巻の春日若宮おん祭のお渡り式。
春日大社の摂社若宮神社の神さまが一日だけお旅所に遷って、その間にさまざまな芸能を楽しむというもので平安時代に始まったといわれています。
県庁前を出発したお渡りの行列は登大路や三条通を練り歩きお旅所を目指します。
行列は解体修理されて蘇った鮮やかな朱色一の鳥居を潜ると、「影向(ようごう)の松」の前で猿楽など一座ごとに芸能の一節を披露する「松の下式」が行なわれます。
その影向の松には平成15年に復興された頭屋稚児(とうやのちご)が座しています。
興福寺の学侶より選ばれた二人の稚児は松の下式を検知する重要な役目をもちます。
真赤な小袖に白い上衣を着し畏頭姿は、田楽座の方が江戸時代に拝領した旧装束から復元されたものです。
平安時代から江戸時代に至る風俗を身に纏った伝統の行列を一目見ようと観光客で溢れかえります。
(H20.12.17 Kiss Digtal N撮影)
春日大社の摂社若宮神社の神さまが一日だけお旅所に遷って、その間にさまざまな芸能を楽しむというもので平安時代に始まったといわれています。
県庁前を出発したお渡りの行列は登大路や三条通を練り歩きお旅所を目指します。
行列は解体修理されて蘇った鮮やかな朱色一の鳥居を潜ると、「影向(ようごう)の松」の前で猿楽など一座ごとに芸能の一節を披露する「松の下式」が行なわれます。
その影向の松には平成15年に復興された頭屋稚児(とうやのちご)が座しています。
興福寺の学侶より選ばれた二人の稚児は松の下式を検知する重要な役目をもちます。
真赤な小袖に白い上衣を着し畏頭姿は、田楽座の方が江戸時代に拝領した旧装束から復元されたものです。
平安時代から江戸時代に至る風俗を身に纏った伝統の行列を一目見ようと観光客で溢れかえります。
(H20.12.17 Kiss Digtal N撮影)