下笠間のI家では年中に亘り餅を搗いているという。
三宝荒神さんは三段餅、恵比寿大黒さんの餅は小判型で二個、稲荷さんは中小の二段重ね餅、神棚、先祖さんも同じく中小の二段重ね餅。
年末の28日辺りに搗いて正月に供える。
荒神さんは慌てる神さんやから一番先に供えるという。
1月7日は山の神さん。
小判型の餅を男の人数分だけ供える。
二房の太い藁棒の中にモチを入れた。
モチの端っこを二つほど切り取って七草粥に入れた。
雑煮と一緒で取り出してキナコをつけて食べる。
綿を作っている時代やった、今はしてないと断って話されたのはナリバナの餅。
ちぎってヒラドの枝に取り付けた。
その木は手で触るとモチっとした木のツツジやったという。
おそらく五月に花が咲くモチツツジであろう。
旧暦の1月3日や十三夜、十五夜、二十三夜、二十六夜は月の数だけのモチを供える。
閏年は月数が13なので丸い餅数は13個にする。
それは中央に突き出したヘソのような形のモチだ。
その中には一つだけ形が違うモチがある。
三日月型だ。これにもヘソがある。
これをミカヅキサンと呼ぶ。
なお中央のヘソはホシサンと呼んでいる。
3月3日はお雛さんの節句。
大きな一対のヒシモチを作っていた。
お嫁さんの親元などに配った。
春のお彼岸はクサモチ。
ヨモギ団子だったといって餡をくるんでいた。
これは実家の毛原でしていたそうだ。
5月5日は男の節句。
軍配型のチマキを作った。
萱の葉を巻いて茎で締めた。
先っぽに竹の串を中まで差し込んだ。
男児が生まれた家はモチを搗いてチマキを親元に配っていた。
チマキは五本。五本で1束、それを2束で1組。
息子に子供ができたときは10組ほど作っていた。
チマキを食べるには釜で茹でてゴマシオをふりかける。えー味やったという。
ハゲッショウ(半夏至)、ハガタメ(歯固め)のモチはしていない。
お盆のときもない。
秋の彼岸もモチを供える。
セキハン(赤飯)も作っている。
九頭神社の秋祭りもモチを搗く。
昨年まではキョウをしていた。
17歳以上の男の子の数だけ作る。
昔はトーヤさんの家で作っていた。
トーヤさんは本トーヤにアイトーヤさんがあった。
朝6時ごろにモチをもらいに行く。
カマス、のっぺ汁にモチになる。これを受け膳と呼ぶ。
今年は10月18日の日曜日やった。
カマスは不都合のないように長さを測る物さしがある。
享保二年(1717)の銘記があるというからおよそ三百年も使っている秤だという。
その物さしで測って、長ければカマスの尾っぽを切るそうだ。
11月は亥の子の日のイノコモチ。
一年の締めくくりというか、正月にかけて供えるモチがある。
ミズのモチという押しモチ。薄く伸ばす。
それは若水さんのモチ。
元日の朝、主人が井戸の水を汲みに行って、バケツに括り付けるモチ。
長い箸にモチを挿す。先っぽは葉付きのコウジミカンを挿す。
こうしてその年も一年が始まる。
モチは家人の健康や豊作を年中祈る大切なハレの食べ物であろう。
(H21.11.22 SB912SH撮影)
三宝荒神さんは三段餅、恵比寿大黒さんの餅は小判型で二個、稲荷さんは中小の二段重ね餅、神棚、先祖さんも同じく中小の二段重ね餅。
年末の28日辺りに搗いて正月に供える。
荒神さんは慌てる神さんやから一番先に供えるという。
1月7日は山の神さん。
小判型の餅を男の人数分だけ供える。
二房の太い藁棒の中にモチを入れた。
モチの端っこを二つほど切り取って七草粥に入れた。
雑煮と一緒で取り出してキナコをつけて食べる。
綿を作っている時代やった、今はしてないと断って話されたのはナリバナの餅。
ちぎってヒラドの枝に取り付けた。
その木は手で触るとモチっとした木のツツジやったという。
おそらく五月に花が咲くモチツツジであろう。
旧暦の1月3日や十三夜、十五夜、二十三夜、二十六夜は月の数だけのモチを供える。
閏年は月数が13なので丸い餅数は13個にする。
それは中央に突き出したヘソのような形のモチだ。
その中には一つだけ形が違うモチがある。
三日月型だ。これにもヘソがある。
これをミカヅキサンと呼ぶ。
なお中央のヘソはホシサンと呼んでいる。
3月3日はお雛さんの節句。
大きな一対のヒシモチを作っていた。
お嫁さんの親元などに配った。
春のお彼岸はクサモチ。
ヨモギ団子だったといって餡をくるんでいた。
これは実家の毛原でしていたそうだ。
5月5日は男の節句。
軍配型のチマキを作った。
萱の葉を巻いて茎で締めた。
先っぽに竹の串を中まで差し込んだ。
男児が生まれた家はモチを搗いてチマキを親元に配っていた。
チマキは五本。五本で1束、それを2束で1組。
息子に子供ができたときは10組ほど作っていた。
チマキを食べるには釜で茹でてゴマシオをふりかける。えー味やったという。
ハゲッショウ(半夏至)、ハガタメ(歯固め)のモチはしていない。
お盆のときもない。
秋の彼岸もモチを供える。
セキハン(赤飯)も作っている。
九頭神社の秋祭りもモチを搗く。
昨年まではキョウをしていた。
17歳以上の男の子の数だけ作る。
昔はトーヤさんの家で作っていた。
トーヤさんは本トーヤにアイトーヤさんがあった。
朝6時ごろにモチをもらいに行く。
カマス、のっぺ汁にモチになる。これを受け膳と呼ぶ。
今年は10月18日の日曜日やった。
カマスは不都合のないように長さを測る物さしがある。
享保二年(1717)の銘記があるというからおよそ三百年も使っている秤だという。
その物さしで測って、長ければカマスの尾っぽを切るそうだ。
11月は亥の子の日のイノコモチ。
一年の締めくくりというか、正月にかけて供えるモチがある。
ミズのモチという押しモチ。薄く伸ばす。
それは若水さんのモチ。
元日の朝、主人が井戸の水を汲みに行って、バケツに括り付けるモチ。
長い箸にモチを挿す。先っぽは葉付きのコウジミカンを挿す。
こうしてその年も一年が始まる。
モチは家人の健康や豊作を年中祈る大切なハレの食べ物であろう。
(H21.11.22 SB912SH撮影)