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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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三昧田咳乃地蔵講

2012年05月01日 07時44分50秒 | 天理市へ
春日神社境内隅に建てられているお堂内に咳によく効くとされる地蔵さんが祀られている天理市三昧田の咳乃地蔵さん。

かつては村の北外れの上街道(初瀬街道付近)にあったという。

旅人を守ってきたという地蔵さんは南無阿弥陀佛の六字名号。

六地蔵ともよばれていた地蔵石仏は天正八年(1580)三月二十四日の刻印が見られるそうだ。

毎年の3月15日に地蔵会式を営まれるのは咳乃地蔵尊を守ってきた世話人たち。

講中のN氏の話によれば文政七年から先祖代々続いてきた6軒だという。

その証拠だとされる石塔は昭和5年9月に建てた地蔵堂の角。

「文政七年(1824)甲年十二月吉日」の刻印がある。

そこには深い四角彫りがある。

おそらく灯明が置かれたのであろう。

N氏が調べた結果では先祖の六兵衛が願主となって建立したという。

地蔵会式は昼前に営まれ多くの参拝者が参ったという。

かつてはヤドの家に集まって会食をしていたそうだ。

陽が落ちる前には地蔵堂の扉を閉めて解散する。

支度を整えて世話人が再び集まる場所は料理屋。

何代にも亘って継承してきた世話人たちの懇親会だ。

かつての会式には浄財御供があったようだ。

内容は判らないが二十銭の大御膳金と十銭の小御膳金を示す「御膳帳」が残されている。

山邊郡朝和村大字三昧田村の有志者から寄進されたのだろう。

その人たちの名は「浄財喜捨人名表」がる。

寄付はしたいが貧しい。

それでも惜しむことなく喜んで浄財・お供えをするから喜捨(きしゃ)。

村を出た京都や大阪に住む人も喜捨していたのであった。

大御膳と小御膳の版木は今でも残されているという。

昔は子供が土だんごを供えて祈願していた。

満願の際にはアメを供えたという地蔵会式。

モチ、ダイコン、ニンジン、ゴボウに果物を供える。

一番大切な御供はノドアメだと話す世話人たち。



丹波市町の迎乗寺の住職が法要されたそうだ。

後日に訪問した世話人のN氏。

数年前(平成20年)には大和で名高いちゃんちゃん祭のトーヤを勤めたことがある。

孫たちは頭人児のお役目をした。

当地でも少子化の傾向にある。

頭人児が足らなければ貸すこともしなければならないと話す。

氏からありがたく授かった当時のカザグルマ(風車)。

それを見て思い出した。

平成22年のちゃんちゃん祭のときだった。

カブラダイコンに挿したカザグルマは子供が楽しむオモチャだったという台詞。

そう、そのときにカザグルマの話を聞いたご仁であったのだ。

出合いは咳乃地蔵さんが呼んだ縁であろう。

氏によれば三昧田では伊勢講、明神講があるという。

(H24. 3.15 EOS40D撮影)