2月3日の節分には煎った豆を持参して氏神さんに供えた。
次に来た人は豆を供えて置いてあった豆を持ち帰る。
ここにも節分豆の風習があった奈良市北村町の戸隠(とがくし)神社。
「享保元年(1716)十一月吉日」とある燈籠には「九頭大明神」。
「享保十九(1734)甲庚天五月吉日」も見られる灯籠。
その他に「明治三十七年七月七日 戸隠神社」や「昭和六年 戸隠神社 道具市次郎寄進」なども。
明治時代以前は九頭神社と呼ばれていたのだろう。
この日は氏神さんの御田祭。
御田祭(おんださい)には松苗だという人もおられたが、この日に作られたのは松とサカキの木。
サカキは常緑性の葉をもつだけにツバキと間違って採ってくることもあるそうだ。
2本の松とサカキに数粒の稲籾を半紙に包んで括りつけて20本ほどこしらえた。
神饌はサイラと呼ぶサンマの開き。
海の産物であれば、サバ、アジなど何でも構わないという。
野菜も祭り時期に採れるものなら何でもいいと言って今年はミブナ。
いずれもマツリの座の大座がこしらえる。

それを本殿に供えた村神主。
五穀豊穣を願って祝詞を奏上する。
秋のマツリは氏神祭り。
三つの座のマツリであるが御田祭は村行事。
座とは関係なく営まれる。
それを済ませた人たちは公民館に上がる。
当番の人が作ったおつゆとともにテーブルで直会だ。
この日から勤めることになった村神主の挨拶で始まった。
昨年まではトウキダイコン(干しダイコンのこと)を輪切りにして味噌汁に入れた。
トウキダイコンは寒干し。
正月祝いの木に吊るして、大座が作ったそうだ。
今年は即席の味噌汁。形式を替えずに手間を省いた。
行事の在り方は年々変化するそうだ。
かつては団子を搗いて奉っていた。
それはお菓子になった。
お菓子は封を開けてバラバラにしていたが面倒になり一袋。
一世帯に一つとした御供の数。
それは交換して持ち帰るようになった。
節分の豆と同じ形式である。
昨年まではキジのタマゴと呼ばれるお供えもあった。
粳米が7合で餅米が3合。
6:4の割合でも構わないと云う。
それを粉にして水で溶いてオニギリにする。
白粉(しろこ)を塗して卵の形。
それをワラで作った巣のようなものに置く。
まさにキジのタマゴである。
ワラの巣は正月参拝に作っておくという。
オニギリにキナコを塗したときもあった。
形式は徐々に変化してオハギになったこともあったと話す。
猿が出没している。
その数は50匹にもおよぶ。
三つぐらいのグループが居る。
それが集まるとまるで猿山のような光景だったと口々に話す。
「青いウンコ」もあったという。

そんな村の会話をしながら食べるオハギはとても美味しかった。
(H24. 3.16 EOS40D撮影)
次に来た人は豆を供えて置いてあった豆を持ち帰る。
ここにも節分豆の風習があった奈良市北村町の戸隠(とがくし)神社。
「享保元年(1716)十一月吉日」とある燈籠には「九頭大明神」。
「享保十九(1734)甲庚天五月吉日」も見られる灯籠。
その他に「明治三十七年七月七日 戸隠神社」や「昭和六年 戸隠神社 道具市次郎寄進」なども。
明治時代以前は九頭神社と呼ばれていたのだろう。
この日は氏神さんの御田祭。
御田祭(おんださい)には松苗だという人もおられたが、この日に作られたのは松とサカキの木。
サカキは常緑性の葉をもつだけにツバキと間違って採ってくることもあるそうだ。
2本の松とサカキに数粒の稲籾を半紙に包んで括りつけて20本ほどこしらえた。
神饌はサイラと呼ぶサンマの開き。
海の産物であれば、サバ、アジなど何でも構わないという。
野菜も祭り時期に採れるものなら何でもいいと言って今年はミブナ。
いずれもマツリの座の大座がこしらえる。

それを本殿に供えた村神主。
五穀豊穣を願って祝詞を奏上する。
秋のマツリは氏神祭り。
三つの座のマツリであるが御田祭は村行事。
座とは関係なく営まれる。
それを済ませた人たちは公民館に上がる。
当番の人が作ったおつゆとともにテーブルで直会だ。
この日から勤めることになった村神主の挨拶で始まった。
昨年まではトウキダイコン(干しダイコンのこと)を輪切りにして味噌汁に入れた。
トウキダイコンは寒干し。
正月祝いの木に吊るして、大座が作ったそうだ。
今年は即席の味噌汁。形式を替えずに手間を省いた。
行事の在り方は年々変化するそうだ。
かつては団子を搗いて奉っていた。
それはお菓子になった。
お菓子は封を開けてバラバラにしていたが面倒になり一袋。
一世帯に一つとした御供の数。
それは交換して持ち帰るようになった。
節分の豆と同じ形式である。
昨年まではキジのタマゴと呼ばれるお供えもあった。
粳米が7合で餅米が3合。
6:4の割合でも構わないと云う。
それを粉にして水で溶いてオニギリにする。
白粉(しろこ)を塗して卵の形。
それをワラで作った巣のようなものに置く。
まさにキジのタマゴである。
ワラの巣は正月参拝に作っておくという。
オニギリにキナコを塗したときもあった。
形式は徐々に変化してオハギになったこともあったと話す。
猿が出没している。
その数は50匹にもおよぶ。
三つぐらいのグループが居る。
それが集まるとまるで猿山のような光景だったと口々に話す。
「青いウンコ」もあったという。

そんな村の会話をしながら食べるオハギはとても美味しかった。
(H24. 3.16 EOS40D撮影)