女の子が居る家に行ってお菓子を貰いに巡るヒナアラシ。
旧暦の4月3日に五條市の近内町で行われている。
近内町は100軒ほどだが、女の子が居る家はおよそ60軒。
各家にはお雛さんが飾られている。
そこを一軒、一軒ずつ巡ってお菓子を貰う子供は男女区別なく小学6年生まで。
大きな袋を抱えて出発する。
小さな子供は乳母車を押す母親もつく。
それぞれの家がそれぞれに出発する。
近内町のヒナアラシは子供会のような団体でもなく組織的な集まりでもない子たちめいめいがバラバラに巡るのだ。
決められているのは出発時間が8時と小学6年生までだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/f8/3c3bec71f226c782e367ac8a762cd324.jpg)
他の市町村へお嫁に行った婦人も連れ子と共に近内町へ里帰り。
大和郡山市在住のI親子も楽しんでいる。
お菓子を貰う風習は経験者でなければ嬉しさが判らない。
近内町に嫁入りした人はとても驚いたというヒナアラシ。
かつては100軒も回ったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bd/33153a663f697a5ee84fb3a7bbd2f77b.jpg)
両脇に抱えたお菓子の袋。
持ち切れないほどにいっぱいになれば、一旦は家に戻って戦利品を下して再び町内を回ったそうだ。
この日は不思議と雨が降らないようだ。
小雨であってもヒナアラシをしていれば雨も止む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/d2/47e3a91d08ca010a42d1f437ac904b1b.jpg)
「ヒナさん アラさしてー」と家人に声を掛けて家々を巡る。
かつては子供だけで回ったと高齢者は話す。
雛飾りをじっくり見る子はいない。
目的はお菓子貰いだ。
かつてはアラレやキリコを出していた。
それを盗むような感じで取っていったという。
その様相は生駒高山の月見どろぼうと同じようだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/6c/41a9c13ef9eb2569982602d7a503ce2a.jpg)
居間、縁側、玄関などで待ちうける家人たち。
子供たちが喜んで持って帰る姿に目を細める。
お雛さんは神さんのようなものだからご馳走を作って供えていたと話す婦人もいる。
町の下から上へ。上の子らは下へと巡る近内町。
あっちこっちから子供の姿が出没して交差する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/73/abc4cb1245e8be351d37c33476904cb3.jpg)
藤岡旧家もヒナアラシたちが来るとお菓子をあげている。
これが楽しみなのだというNPO法人うちのの館の人たち。
ヒナアラシが去った後は、先日まで飾っていた盆梅の鉢やお雛さんを仕舞っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/18/7a75a7d735029e7c6ad7b9be094f01a8.jpg)
次の展示替えが忙しい。
ヒナアラシが終わる時間に決まりはない。
再び襲ってくるかもしれないからと、お菓子を置いておく。
そこにはお内裏さまとお雛さまも。
優しい心づかいである。
歩いた歩数計は6千歩を示していた近内町のヒナアラシの走行時間は1時間半余り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/78/6d6726a9e944c0c3f29c4f6ea2600346.jpg)
戻ってきた孫もお家のお菓子を貰う。
最後に立ち寄ったN家で飾っていたお雛さんの話を伺った。
この日はちらし寿司を供えていた。
ヒナアラシが去った後は家族揃ってお花見に出かけた。
近くにあるお宮さんだ。
そこには桜が咲いていた。
ちらし寿司の他、弁当やお茶を持っていって食べていた。
おじいちゃんもおばあちゃんも一緒だった。
農業を営んでいたのでみんなで花見をしていた。
ご主人の母親の話ではオモチを小さく切ってアラレにした。
それを油で揚げていた。
キリコモチとも呼んでいた。
この日の午後、一段落したらいち早く方付ける。
大雨であれば、湿気をすうからといってお内裏さんだけを方付ける。
家によってはお内裏さんだけを後ろ向きにする場合もあるという。
雨が上がって天気のいい日にお雛さんを方付ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d7/b4db133c5b155943e06819d45e0dd802.jpg)
娘が誕生すると嫁の実家が雛飾りを贈る習慣があった。
また、親戚筋やご近所からはおめでとうと初節句にお人形を贈ってもらう習慣があるという。
その人形も一緒に飾った雛飾りのある家。
贈る期間は3月3日から4月2日までだそうだ。
ヒナアラシが行われる3日までに贈るのは初めに生まれた子だけだった。
婦人は言った。
「何が楽しかったと言えば、ヒナアラシ。普段は出合うことが少なくなったが、子供や孫が同級生を連れてやってくる。あそこで生まれた家やと姉妹同志で盛り上がった。家に帰ったらお菓子を数えるのも楽しみだった。」と笑顔で語る。
ヒナアラシが去った一時間後には雨がポツポツ降りだした。
午後には暴風雨が襲いかかる。
雷も鳴りだした「春の嵐」はほんまもののアラシになった。
それは、それは、おっとろしいほどの強い風で、電車も一時的にストップした。
和歌山友ヶ島では瞬間最大風速が40m以上も吹いた温帯性低気圧。
地域によればヒョウや氷まで降ったようだ。
先日、訪れた南阿田にはヒナアラシの風習は聞かなかったが、宇陀市の本郷はかつてあったと聞いたことがある。
道返寺(どうへんじ)垣内で行われていたヒナアラシだ。
それは3月3日だったと思い出された。
ヨモギで作ったヒシモチや煎ったキリコモチを添えていた。
それを「盗りにくるさかいに置いていた」という。
女の子の楽しみやったヒナアラシにはセリのおひたしもあったそうだ。
(H24. 4. 3 EOS40D撮影)
旧暦の4月3日に五條市の近内町で行われている。
近内町は100軒ほどだが、女の子が居る家はおよそ60軒。
各家にはお雛さんが飾られている。
そこを一軒、一軒ずつ巡ってお菓子を貰う子供は男女区別なく小学6年生まで。
大きな袋を抱えて出発する。
小さな子供は乳母車を押す母親もつく。
それぞれの家がそれぞれに出発する。
近内町のヒナアラシは子供会のような団体でもなく組織的な集まりでもない子たちめいめいがバラバラに巡るのだ。
決められているのは出発時間が8時と小学6年生までだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/f8/3c3bec71f226c782e367ac8a762cd324.jpg)
他の市町村へお嫁に行った婦人も連れ子と共に近内町へ里帰り。
大和郡山市在住のI親子も楽しんでいる。
お菓子を貰う風習は経験者でなければ嬉しさが判らない。
近内町に嫁入りした人はとても驚いたというヒナアラシ。
かつては100軒も回ったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bd/33153a663f697a5ee84fb3a7bbd2f77b.jpg)
両脇に抱えたお菓子の袋。
持ち切れないほどにいっぱいになれば、一旦は家に戻って戦利品を下して再び町内を回ったそうだ。
この日は不思議と雨が降らないようだ。
小雨であってもヒナアラシをしていれば雨も止む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/d2/47e3a91d08ca010a42d1f437ac904b1b.jpg)
「ヒナさん アラさしてー」と家人に声を掛けて家々を巡る。
かつては子供だけで回ったと高齢者は話す。
雛飾りをじっくり見る子はいない。
目的はお菓子貰いだ。
かつてはアラレやキリコを出していた。
それを盗むような感じで取っていったという。
その様相は生駒高山の月見どろぼうと同じようだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/6c/41a9c13ef9eb2569982602d7a503ce2a.jpg)
居間、縁側、玄関などで待ちうける家人たち。
子供たちが喜んで持って帰る姿に目を細める。
お雛さんは神さんのようなものだからご馳走を作って供えていたと話す婦人もいる。
町の下から上へ。上の子らは下へと巡る近内町。
あっちこっちから子供の姿が出没して交差する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/73/abc4cb1245e8be351d37c33476904cb3.jpg)
藤岡旧家もヒナアラシたちが来るとお菓子をあげている。
これが楽しみなのだというNPO法人うちのの館の人たち。
ヒナアラシが去った後は、先日まで飾っていた盆梅の鉢やお雛さんを仕舞っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/18/7a75a7d735029e7c6ad7b9be094f01a8.jpg)
次の展示替えが忙しい。
ヒナアラシが終わる時間に決まりはない。
再び襲ってくるかもしれないからと、お菓子を置いておく。
そこにはお内裏さまとお雛さまも。
優しい心づかいである。
歩いた歩数計は6千歩を示していた近内町のヒナアラシの走行時間は1時間半余り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/78/6d6726a9e944c0c3f29c4f6ea2600346.jpg)
戻ってきた孫もお家のお菓子を貰う。
最後に立ち寄ったN家で飾っていたお雛さんの話を伺った。
この日はちらし寿司を供えていた。
ヒナアラシが去った後は家族揃ってお花見に出かけた。
近くにあるお宮さんだ。
そこには桜が咲いていた。
ちらし寿司の他、弁当やお茶を持っていって食べていた。
おじいちゃんもおばあちゃんも一緒だった。
農業を営んでいたのでみんなで花見をしていた。
ご主人の母親の話ではオモチを小さく切ってアラレにした。
それを油で揚げていた。
キリコモチとも呼んでいた。
この日の午後、一段落したらいち早く方付ける。
大雨であれば、湿気をすうからといってお内裏さんだけを方付ける。
家によってはお内裏さんだけを後ろ向きにする場合もあるという。
雨が上がって天気のいい日にお雛さんを方付ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d7/b4db133c5b155943e06819d45e0dd802.jpg)
娘が誕生すると嫁の実家が雛飾りを贈る習慣があった。
また、親戚筋やご近所からはおめでとうと初節句にお人形を贈ってもらう習慣があるという。
その人形も一緒に飾った雛飾りのある家。
贈る期間は3月3日から4月2日までだそうだ。
ヒナアラシが行われる3日までに贈るのは初めに生まれた子だけだった。
婦人は言った。
「何が楽しかったと言えば、ヒナアラシ。普段は出合うことが少なくなったが、子供や孫が同級生を連れてやってくる。あそこで生まれた家やと姉妹同志で盛り上がった。家に帰ったらお菓子を数えるのも楽しみだった。」と笑顔で語る。
ヒナアラシが去った一時間後には雨がポツポツ降りだした。
午後には暴風雨が襲いかかる。
雷も鳴りだした「春の嵐」はほんまもののアラシになった。
それは、それは、おっとろしいほどの強い風で、電車も一時的にストップした。
和歌山友ヶ島では瞬間最大風速が40m以上も吹いた温帯性低気圧。
地域によればヒョウや氷まで降ったようだ。
先日、訪れた南阿田にはヒナアラシの風習は聞かなかったが、宇陀市の本郷はかつてあったと聞いたことがある。
道返寺(どうへんじ)垣内で行われていたヒナアラシだ。
それは3月3日だったと思い出された。
ヨモギで作ったヒシモチや煎ったキリコモチを添えていた。
それを「盗りにくるさかいに置いていた」という。
女の子の楽しみやったヒナアラシにはセリのおひたしもあったそうだ。
(H24. 4. 3 EOS40D撮影)