マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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再訪、藤岡家住宅

2012年05月22日 08時48分00秒 | 五條市へ
NPO法人うちのの館が管理する五條市近内町の藤岡家住宅は俳人の藤岡玉骨の生家。

登録有形文化財である。

施設に感動した昨年の四月。

今年も同月に訪れた。

この時期はお雛さんを飾っている。



今年は花の季節が一週間ほど遅れていたが、樹齢250年とされる長兵衛古梅も美しく咲いている。

藤岡家所有のお雛さんは享保年間(1716~1736年)の製作と伝えられている。



左大臣、右大臣は嘉永元年(1848)だと納めている箱に書かれてあった。

その上に乗せられていたのは蘭陵王(らんりょうおう)。

年代は定かでなく、お雛さんとは別物と思われるが、雛壇に飾られている。

藤岡家は両替商だが、問屋でもあって馬や人足を扱っていた。

五條市の町内に藤井館があるという。

現在も旅館を営む藤井館は江戸時代まで同じような卸問屋だったと解説される。



鴨居上に祀られている「御祈祷之札」の屋形。

そこに吊るされた丸いドーナツのような形。

それは馬鈴。

馬の首や鞍、馬具に下げていた馬鈴だそうだ。



和泉、橋本、五條、御所、橿原、奈良へと続く街道を走る馬。

10時間ほどで着いたというから相当早い。

円形の内部は空洞で玉が入っている。

ヒモで吊るして振ればシャンシャンと音がする。

その音色が聞こえてくれば早駆けの馬が登場したのであろう。

五條は物流運搬の中継地。

川上村から切り出された木々は五條、橋本へと吉野川を筏で流す。

それぞれの地にはイカダバがあった。

カワバタと呼ばれる処は材木屋。

それは新町だったかもと話す。

ヒロセ、タカセという呼び地はおそらく「瀬」。

そこに係留した筏。

昭和21年生まれというご婦人は三つ、四つ覚えているそうだ。

橋本生まれの昭和11年ベルリンオリンピックを報じるラジオから聞こえてきた「マエハタガンバレ」で名高い前畑秀子さんが紀ノ川の急流で泳いでいたという。

筏流しは紀ノ川の河口まで。

流れが緩い処は小さな舟で筏を曳いた。

大阪湾から淀川に入って材木になったという。



そんな話題を提供してくれた藤岡家の土蔵はなまこ壁。

特徴ある形はあまり見かけることない円形の幾何学模様。

一般的にはなまこ壁は四角い菱型である。

斜めから撮ってしまったのでその美しさが反滅したことに悔やまれる。



鴨居には大黒さまに鯛を釣る恵比寿さん。

左側の一体は何であろうか。

話題はつきなく閉館時間の16時を過ぎていた。

二日後にはヒナアラシがやってくる藤岡家住宅。

長居をするわけにはいかない。

次に訪れる機会に尋ねてみよう。

(H24. 4. 1 EOS40D撮影)