マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八島町新仏弔うチャンカラカン

2013年12月07日 07時56分57秒 | 奈良市へ
8月7日は七日盆のお勤めをされていた奈良市八島町の鉦講たち。

彼岸の涅槃講と同じように公民館で行われていた。

八島町でも他所と同じように8月13日は夕方に墓参りを済ませてオショウライサン迎えをする。

かつては藁に火を点けて、六斎鉦を叩く人もいたようだ。

集落それぞれの辻で火を移した線香を家にもって帰る。

いわゆる迎え火である。

新仏の家ではトーシ供えたムエンサンを吊り下げる家もある。

吊るムエンサンは八島町の特徴らしく、ローソクの火も点ける。

そして、日暮れになれば軽快なリズムで叩く太鼓念仏と鉦念仏を唱えるに正装姿で新仏の家に参る。

ドウシンと呼ばれる導師とヒラ(平)が鉦念仏を唱える。

アラタナを飾る家で弔う念仏は亡くなった人が親よりもアトかサキかによって念仏の曲目が替る。

親よりも先に亡くなった逆縁の若死にの場合は「地獄・地獄」で、幼児の場合は「西院の河原」。

順当であれば「念仏行者」となる供養の1曲である。

辛い取材であるが講員のご厚意で取材させていただいた。

30歳の子供を亡くされたM家では始めに太鼓念仏を申す。

逆縁となったためウタヨミは「地獄・地獄」である。

アラタナに飾ってあった遺影写真が目に入るのが辛い。

思わず手を合わせるチャンカラカンの取材である。

病弱だった子供は笑顔が素敵だったと話す母親。

毎日を楽しませてくれた子供に感謝すると話す。

「地獄 地獄は多けれど おまずの地獄と申すのは 井戸は掘れども水わかず 行けども行けども道はなし シヤバにありしきその時に 養子を一人(いちにん)とりたなら かかるうきめは せまいもの ひとくこだけにすがりつく 助け給えや 地獄菩薩 たのめよたのめよ 念仏を はあなんまいだ はあなんまいだ」と念仏を唱えて、しばらく続くウチコミ。

「願似此功徳一切同・・・行者安楽国(のように聞こえたが・・)」の念仏を申してから続けてウチコミ。

しばらくウチコミをされて、もう一回のお念仏を唱えて終えた「地獄・地獄」は「念仏行者」と同じように4分間ぐらいだった。

その後の念仏鉦は「シゼン」で弔われた。

次に弔う新仏の家は2年前に亡くなられた念仏講の元会長家だったY家。

そのときも取材をさせていただいたY家は2年越しで、この年は91歳のおばあさん。

当時生まれたばかりのA子ちゃんは3歳になった。

講員の接待をしたくてうずうずしている。

お菓子は軽いから運べるものの、飲み物はとても無理。



講員に一人ずつ手渡すことができて嬉しそう。

順縁にあたることから太鼓念仏のウタヨミは「念仏行者」でる。

小休止を挟んで申した鉦念仏は「バンド」であった。

3番目の新仏はそこから下ったⅠ家。父親を亡くされた。

当家も順縁で「念仏行者」。

小休止を挟んで弔いの鉦念仏は「ハクマイ」であった。

「シゼン」はおよそ18分間で「ハクマイ」が14分間。

「バンド」もそれぐらいで、いずれも長丁場の弔い鉦念仏である。



他にもアラタナを祀る新仏の家もあるがチャンカラカンの念仏を遠慮された。

かつては34軒もあったチャンカラカンの鉦講は念仏講とも呼ばれている。

いつしか脱貝される戸主もあり、鉦を打つ講員は15軒になった。

この夜のお勤めは講員の都合もあって13人で行われた。

(H25. 8.13 EOS40D撮影)