平成14年から始まったカメラのキタムラ写真展は今回で13回目。
テーマは稲作における「実成りに感謝」にした。
苗代の場の注連縄立てから始まって鎌納めまでの8枚組を展示する場は奈良市杏町153番地のカメラのキタムラ奈良南店。
私が紹介する写真は行事が主体。
見にこられた人が店員さんに「これなんですのん」と質問をうけ始めたのが平成19年。
解説の必要性を感じたが毎日出向くには無理がある。
そう思って作った解説シート。
A4用紙に場所・写真。解説・撮影日を一枚ごとに書いた。
ご自由に持って帰ってもらえるように何枚か展示場に置いている。
これで店員さんも困らない。
それからは毎年続けている解説シート付きの写真展。
本日出向いたら早くも数枚が減っていた。
持って帰られたのであろう。
少なくなれば補充をする。
展示は1月末辺りまで。
それまではときおり立ち寄って残枚数の確認を要する。
(H27. 1. 3 SB932SH撮影)
8枚組のテーマは「実成りに感謝」。
これまでは原版リバーサルフィルムのプリントだった。
今回はデジタル画像もあるしフィルム画像もある混在だ。
いろいろな観点から混在となった作品選び。
いっそのことすべてのプリントはデジタルから起こしてもいいだろうと思って依頼したプリントはクリスタルの4pw。
仕上がったプリントは混在していてもまったく判らない。
良い仕上がりだ。
できあがりを見ていた店員さん。
「これは何っ」と云った「サブラキ」の映像。
田植え初めに行われる農家の在り方は初めて見たという。
もう一人の店員さんは「カマ納めのカリヌケ」写真を見てこう云った。
「実家で暮らしていた子供のころ。稲刈りが終わったら稲を刈ったカマを箕に納めていた。豊作であったことに感謝する家の風習。納めたのは座敷だった。減反政策もあって今では家人が食べるだけの稲を栽培している」と云うのだ。
もう一枚の写真を見たKさんは「これもしていた」と云う田んぼの注連縄。
大晦日だったか覚えてないが、玄関扉や納屋などに家で作った輪っかの注連縄を飾っていたと云う。
その日は苗代にも竹に挿して立てた。
ミカンはなかったがウラジロはあったと思いだされる。
裏山の山の神さんにも注連縄を飾ったと話すKさんは淡路島が出身地。
阪神大震災で活断層がむき出しになった一宮(いちのみや)で暮らしていたそうだ。
奈良県内ではおそらく今市だけであろうと思われる田んぼの注連縄。
在り方もまったく同じである。
Kさんが思い出したもう一枚。
1月15日の小正月に正月のモチとかアズキガユを供えていた。
その場も苗代田である。
朝にアズキガユを食べた。
カヤススキの茎の堅い部分を十数cmに切って箸代わりに食べていたと云うのだ。
さらに思い出した「ミトマツリ」。
イロバナはなかったが、割った竹に白い紙片を挟んで苗代に立てていたそうだ。
今回展示するほとんどを体験していたのだ。
例年のとおり、今回も写真付きで解説シートを準備した。
カメラのキタムラで写真展をされる人やグループには解説なんてものはなく写真だけである。
写真展はどこでもそうだが、私が展示する写真は毎回において閲覧者が店員さんに質問をするそうだ。
困ったことに何を尋ねられても判らない行事や風習の写真展。
そうであれば解説シートを作ればいいのだと思って毎回作るようにした。
Kさんも体験したことがない「クワハジメ」、「サブラキ」もある稲作の一年を紹介する。
(H26.12.16 記)
今回のテーマを選んだのは田植え・稲刈りイベントの報道を見て「これは本質ではない」と思ったからだ。
収穫したお米で炊いたオニギリをほうばる子供たちの笑顔。
映像にでてくる親の微笑ましい顔。
「田植え」や「稲刈り」の日だけに参加する米作りオーナー制度に応募した人たちの姿をとらえる報道に違和感をもった。
今日の朝刊に「棚田オーナー制度」の募集があった。
「草刈り」を入れて年3回の農作業に参加するが普段の日常管理は農家が行うと伝えていた。
しんどいところは体験せずに「えーとこ撮り」。
ましてや、今回のテーマに挙げた写真で紹介する農家の祈りや感謝は「教え」もない。
オーナー制度そのものの批判はしたくはないが、「アイ」の日の田んぼで何が行われているか足を運んで「気づき」をしてほしいと思って投げかけた写真展。
見られて感じた「思い」を伝えてくださったら、私も「気づき」になると思っている。
(H27. 1. 4 記)
テーマは稲作における「実成りに感謝」にした。
苗代の場の注連縄立てから始まって鎌納めまでの8枚組を展示する場は奈良市杏町153番地のカメラのキタムラ奈良南店。
私が紹介する写真は行事が主体。
見にこられた人が店員さんに「これなんですのん」と質問をうけ始めたのが平成19年。
解説の必要性を感じたが毎日出向くには無理がある。
そう思って作った解説シート。
A4用紙に場所・写真。解説・撮影日を一枚ごとに書いた。
ご自由に持って帰ってもらえるように何枚か展示場に置いている。
これで店員さんも困らない。
それからは毎年続けている解説シート付きの写真展。
本日出向いたら早くも数枚が減っていた。
持って帰られたのであろう。
少なくなれば補充をする。
展示は1月末辺りまで。
それまではときおり立ち寄って残枚数の確認を要する。
(H27. 1. 3 SB932SH撮影)
8枚組のテーマは「実成りに感謝」。
これまでは原版リバーサルフィルムのプリントだった。
今回はデジタル画像もあるしフィルム画像もある混在だ。
いろいろな観点から混在となった作品選び。
いっそのことすべてのプリントはデジタルから起こしてもいいだろうと思って依頼したプリントはクリスタルの4pw。
仕上がったプリントは混在していてもまったく判らない。
良い仕上がりだ。
できあがりを見ていた店員さん。
「これは何っ」と云った「サブラキ」の映像。
田植え初めに行われる農家の在り方は初めて見たという。
もう一人の店員さんは「カマ納めのカリヌケ」写真を見てこう云った。
「実家で暮らしていた子供のころ。稲刈りが終わったら稲を刈ったカマを箕に納めていた。豊作であったことに感謝する家の風習。納めたのは座敷だった。減反政策もあって今では家人が食べるだけの稲を栽培している」と云うのだ。
もう一枚の写真を見たKさんは「これもしていた」と云う田んぼの注連縄。
大晦日だったか覚えてないが、玄関扉や納屋などに家で作った輪っかの注連縄を飾っていたと云う。
その日は苗代にも竹に挿して立てた。
ミカンはなかったがウラジロはあったと思いだされる。
裏山の山の神さんにも注連縄を飾ったと話すKさんは淡路島が出身地。
阪神大震災で活断層がむき出しになった一宮(いちのみや)で暮らしていたそうだ。
奈良県内ではおそらく今市だけであろうと思われる田んぼの注連縄。
在り方もまったく同じである。
Kさんが思い出したもう一枚。
1月15日の小正月に正月のモチとかアズキガユを供えていた。
その場も苗代田である。
朝にアズキガユを食べた。
カヤススキの茎の堅い部分を十数cmに切って箸代わりに食べていたと云うのだ。
さらに思い出した「ミトマツリ」。
イロバナはなかったが、割った竹に白い紙片を挟んで苗代に立てていたそうだ。
今回展示するほとんどを体験していたのだ。
例年のとおり、今回も写真付きで解説シートを準備した。
カメラのキタムラで写真展をされる人やグループには解説なんてものはなく写真だけである。
写真展はどこでもそうだが、私が展示する写真は毎回において閲覧者が店員さんに質問をするそうだ。
困ったことに何を尋ねられても判らない行事や風習の写真展。
そうであれば解説シートを作ればいいのだと思って毎回作るようにした。
Kさんも体験したことがない「クワハジメ」、「サブラキ」もある稲作の一年を紹介する。
(H26.12.16 記)
今回のテーマを選んだのは田植え・稲刈りイベントの報道を見て「これは本質ではない」と思ったからだ。
収穫したお米で炊いたオニギリをほうばる子供たちの笑顔。
映像にでてくる親の微笑ましい顔。
「田植え」や「稲刈り」の日だけに参加する米作りオーナー制度に応募した人たちの姿をとらえる報道に違和感をもった。
今日の朝刊に「棚田オーナー制度」の募集があった。
「草刈り」を入れて年3回の農作業に参加するが普段の日常管理は農家が行うと伝えていた。
しんどいところは体験せずに「えーとこ撮り」。
ましてや、今回のテーマに挙げた写真で紹介する農家の祈りや感謝は「教え」もない。
オーナー制度そのものの批判はしたくはないが、「アイ」の日の田んぼで何が行われているか足を運んで「気づき」をしてほしいと思って投げかけた写真展。
見られて感じた「思い」を伝えてくださったら、私も「気づき」になると思っている。
(H27. 1. 4 記)