代々とも呼ぶ夏祭りの行事が行われる大和郡山市田中町の甲斐神社。
この日は朝からどしゃぶりの雨だった。
午後はどうなることだろうと心配したが、雨は小雨。
なんとか実施された。
甲斐神社では8月の祖霊祭、9月の八朔祭、10月のマツリ宵宮と本日の夏祭りにおいて御湯が行われる。
一年に4回もされている地域はおそらく当地だけではないだろうか。
かつて3月のお田植祭でも行われていたが、今では見られない。
釜湯を沸かすのは一年で交替する「湯焚きさん」と呼ばれる二十歳代の若者だ。
御湯作法をされるのは小泉神社宮司家妹の森本明美巫女である。
宮司家の姉さんの旦那さんは璒美川勉宮司。
森本明美巫女の旦那さんも宮司で璒美川勉宮司の実弟である。
兄弟姉妹で結ばれたご夫婦が神事を勤めているのだ。
森本明美巫女が作法される神楽・御湯は璒美川先代の藤井家に嫁いだ叔母から母親へと伝えられた。
明治32年生れの叔母は大三輪・大神神社の巫女だったそうだ。
大神神社では御湯は慶応四年(1868)の神仏分離令によって廃された。
第二次大戦後には復興を試みられたが、継承されることなく現在に至っているやに聞く。
廃れたものの、里巫女家によって継承されてきたと考えられるが、どうも違うようだ。
2月7日に行われる三輪恵比須神社の御湯の神事がある。
作法を拝見した限りではあるが、「浪速神楽」と思えるのだ。
平成21年に大阪府教育委員会が発刊した『大阪府の民俗芸能-大阪府民俗芸能緊急調査報告書』に4月に行われる大阪府富田林市の佐備に鎮座する佐備神社の春の祭・神楽祭がある。
佐備の御湯神楽に「花湯」がある。
一方、田中町の氏子が書き残した『氏子総代と年中行事』に御湯名を「湯花神事」と書いていた。
類似点等より推測するに、田中町の御湯・神楽の作法は「浪速神楽」と思えるのである。
祭りの神事に拝殿へ登るのは宮守五人衆と自治会長・水利組合長。
氏子たちは参籠所に座っている。
いつもこうしているのである。
この日の参拝は男性が18人で女性は16人。
ほとんどが長寿会の人たちである。
修跋、祝詞奏上、玉串奉奠を終えた氏子たちは境内前庭に設えた湯釜を囲むように並ぶ。
始めに神楽を舞って、それから御湯の作法に移る。
湯釜に酒、塩、シトギを投入して幣でかき混ぜる。
そして、2束の笹を湯に浸ける。
当地で云う「湯花神事」である。
巫女は祝詞を唱えることなく、笹を湯に浸けては氏子たちに向けて湯を飛ばす。
この日の湯飛ばしは数えられないぐらいに多いのである。
浸けては飛ばす。
これを何度も繰り返す作法。
小雨が降っていたが、御湯の熱気で感じることはない。
笹に浸けた湯の量は多い。
衣服がびしょ濡れになるぐらいの量であるが遠くに居る人には届いているだろうか。
そのあとは、笹を湯に浸けて一人ずつ前に向かって鈴と笹湯で祓う。
ありがたいことに私までも祓ってくださった。
(H26. 7.13 EOS40D撮影)
この日は朝からどしゃぶりの雨だった。
午後はどうなることだろうと心配したが、雨は小雨。
なんとか実施された。
甲斐神社では8月の祖霊祭、9月の八朔祭、10月のマツリ宵宮と本日の夏祭りにおいて御湯が行われる。
一年に4回もされている地域はおそらく当地だけではないだろうか。
かつて3月のお田植祭でも行われていたが、今では見られない。
釜湯を沸かすのは一年で交替する「湯焚きさん」と呼ばれる二十歳代の若者だ。
御湯作法をされるのは小泉神社宮司家妹の森本明美巫女である。
宮司家の姉さんの旦那さんは璒美川勉宮司。
森本明美巫女の旦那さんも宮司で璒美川勉宮司の実弟である。
兄弟姉妹で結ばれたご夫婦が神事を勤めているのだ。
森本明美巫女が作法される神楽・御湯は璒美川先代の藤井家に嫁いだ叔母から母親へと伝えられた。
明治32年生れの叔母は大三輪・大神神社の巫女だったそうだ。
大神神社では御湯は慶応四年(1868)の神仏分離令によって廃された。
第二次大戦後には復興を試みられたが、継承されることなく現在に至っているやに聞く。
廃れたものの、里巫女家によって継承されてきたと考えられるが、どうも違うようだ。
2月7日に行われる三輪恵比須神社の御湯の神事がある。
作法を拝見した限りではあるが、「浪速神楽」と思えるのだ。
平成21年に大阪府教育委員会が発刊した『大阪府の民俗芸能-大阪府民俗芸能緊急調査報告書』に4月に行われる大阪府富田林市の佐備に鎮座する佐備神社の春の祭・神楽祭がある。
佐備の御湯神楽に「花湯」がある。
一方、田中町の氏子が書き残した『氏子総代と年中行事』に御湯名を「湯花神事」と書いていた。
類似点等より推測するに、田中町の御湯・神楽の作法は「浪速神楽」と思えるのである。
祭りの神事に拝殿へ登るのは宮守五人衆と自治会長・水利組合長。
氏子たちは参籠所に座っている。
いつもこうしているのである。
この日の参拝は男性が18人で女性は16人。
ほとんどが長寿会の人たちである。
修跋、祝詞奏上、玉串奉奠を終えた氏子たちは境内前庭に設えた湯釜を囲むように並ぶ。
始めに神楽を舞って、それから御湯の作法に移る。
湯釜に酒、塩、シトギを投入して幣でかき混ぜる。
そして、2束の笹を湯に浸ける。
当地で云う「湯花神事」である。
巫女は祝詞を唱えることなく、笹を湯に浸けては氏子たちに向けて湯を飛ばす。
この日の湯飛ばしは数えられないぐらいに多いのである。
浸けては飛ばす。
これを何度も繰り返す作法。
小雨が降っていたが、御湯の熱気で感じることはない。
笹に浸けた湯の量は多い。
衣服がびしょ濡れになるぐらいの量であるが遠くに居る人には届いているだろうか。
そのあとは、笹を湯に浸けて一人ずつ前に向かって鈴と笹湯で祓う。
ありがたいことに私までも祓ってくださった。
(H26. 7.13 EOS40D撮影)