マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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初詣では登弥神社

2015年10月09日 09時35分50秒 | 奈良市へ
我が家の初詣では奈良市石木町に鎮座する登弥(とみ)神社。

自宅から500歩ほどだ。

鳥居前にある大燈籠は文政年間(1818~)であるが、階段を登る途中にある燈籠はそれより古い天明八年(1788)だ。

手すりを使って登るおふくろは88歳。

今までは手をかけることもなかった。



登弥神社の二社殿は檜葺き。

消失した翌年の文政四年(1821)に再建された。

近年は老朽化激しく、昨年2月の大雪で檜葺きは損壊。

応急措置で繋いでいたが200年も経過する社殿は彩色も剥がれていることから平成の再建を決断された。

昨年10月から始まった再建工事は今年の9月に終えて神遷しをされる。

登弥神社は奈良市石木町と大和田町に大和郡山市の城町が氏子圏。

3年間勤める大字総代の一人(石木町)が話してくれた。



社殿周りにある土塀は土を鑑定した結果、平安時代のものだと判ったそうだ。

築造は後年であろう。

総代が話したもう一つの話題。

一の鳥居前にある大燈籠に窪んだ穴があると云う。

いつの時代か判らないが、子供を産みたいと願う人が穴をあけたらしい。

らしいというのはたまたま当地に来られた三重大学の教授が伝えてくれたと云う。

孕みたいと願うのは女性であろう。

どのような道具で穴を掘ったか判らない。

丸みを帯びた穴ははっきりと見える

子供が産まれたらその穴を埋める。



埋めるのは何の材料なのか・・・。

こうした願掛けは他所にもあると教授が云っていたそうだ。

石燈籠の穴あけは「盃状穴(はいじょうけつ)」と呼ぶそうだ。

盃状穴は硬い石で叩いて擦り合わせる。

一挙に穴があくものでないから相当な時間と労力を費やしたのであろう。

点滴、岩をも穿つである。



大燈籠は文政年間(1818~)の建之。

その時代以降にあけられたと考えられる窪んだ穴。

孕み・安産の願掛けとすれば、穴あけ行為は女性のシンボルに例えた生殖、子孫繁栄を願う民間信仰の一つに挙げられそうだが、未だ明確な答えもなく、謎のようだ。

それから数日後に報道発表された正月三が日における初詣客の人数。

寒さが影響したのか低調ぶりが目立って例年より26万人減数になった。

県警発表によれば県内5社寺合計で219万7千9百40人・・・25万8千60人も減少した。

橿原神宮は昨年より5万人減で91万人。

春日大社は7万人少ない52万人。

大神神社は4万9千人減の49万8千人。

のきなみの低調ぶりであった。

年末年始は冷たい風で気温が低い日が続いた。

元日に雪が降り積もったことも影響したのであろうと伝える。

(H27. 1. 2 SB932SH撮影)