昨年は行事が終わったあとに訪問した宇陀市榛原長峯長安院の修正会。
今回こそは落としてはならぬと思って早めに出かけた。
前夜に降った雪で大和高原は真っ白。
旧都祁吐山から香酔峠を通り抜けたが、道路も真っ白。
ソロソロ運転で辿りついた長安院は屋根も境内も真っ白だった。
昨年にお会いした何人かの人は私を覚えてくださっておられ「お堂に上がってください」と伝えられる。
お堂天満宮観音寺だ。
この日の修正会に勤めるのは天満宮行事を勤める5軒組の頭屋たち。
正式には「天満宮頭屋」であるという。
かつては10軒ほどの家筋であった天満宮頭屋。
いつしか村行事に移ったことで長峯を十数組に分けた年番の当番制にされた。
天満神社の行事が主であるが、この日に行われる長安院の修正会も受け持つ。
お堂に上がって思わず声をあげた。
これほど見事なモチバナ(ハナモチと呼ぶ地域もある)などは見たこともない。
豪華絢爛に思えたモチバナの色彩は白ばかりであるが私にとっては感動的だ。
水平に据えた一本の真竹に括りつけたモチバナは左右両側にある。
芽ぶきのクロモジの木にくっつけたモチバナの正式名称は「舞玉」だ。
「繭玉(マユダマ)」と呼ぶ地域は東日本が多いやに聞くが、当地では「舞玉」の字を充てていた。
モチバナは捻じるようにクロモジの木の枝にくっつけていた。
モチバナの上に置いていた平べったい煎餅のようなモチは「月日モチ」と呼ぶ。
四角い形は木や紙。
木は松で松折敷、紙は紙折敷と呼んでいる。
数本は紙で花の形のように象って嵌めていた。
これを「ユリノハナ」と呼んでいるが、県内各地で見られるオコナイ行事の事例からいえば「ハナ」である。
「ハナ」は12個ある。
充てる漢字は「造花」である。
写真では判り難いが、ぶら下げた「舞玉」や「造花」の内部にそれぞれ柄杓を吊っていた。
さらに内部といえば「カラスのオドシ」と呼ばれる祭具がある。
頭屋の長老が云うには「小鳥のエサ」であると云う。
奥には御供を並べてあった。
これもまた写真では判り難いが、昨年に拝見した五穀成就を願ったお重に盛った小豆、粟、米、麦、青豆の五穀である。
天下泰平・五穀成就・村中安全を願った「花餅」もあるようだが隠れて見えなかった。
これらの御供・祭具を拝見して「オコナイ」行事に違いないと思った。
当地ではこれを正式名称の「修正会」と呼称している。
正月初めに十一面観音立像(藤原時代作であるが台座に貞享四年(1687)の修理銘があるらしい)を前にして村の五穀豊穣を祈念する村行事である。
祈祷される僧侶は玉立(とうだち)の住職<日蓮宗真門派青龍寺>だ。
同寺には昭和55年に榛原町山辺三西方寺・磯田了義氏が写し書き記された『長峯長安院観音寺修正会次第』がある。
当時は融通念仏宗派の西方寺が祈祷していたものと思われる。
『長峯長安院観音寺修正会次第』に記された祈願文は寛永二年(1625)春正月元日のものを文久元年(1861)十一月下春に荻原邑天野寺住職教恵房が61歳のときに書写したとある。
「長峰邑頭人中」の文字もあることから、当時からも天満宮頭屋がついていたのであろう。
お堂に参集された村の人。
およそ30人にもおよぶお堂は満席になった。
区長は住職の後ろに座る。
5軒組頭屋は二人、三人に別れて両側端に座る。
机の上にはランジョー作法に叩かれるウルシ棒を置いた。
それぞれ2本のウルシ棒である。
ウルシ被れを防ぐために各自は軍手をはめた。
これより始まる初祈祷は1時間の法会。
修正会の次第に沿って僧侶が唱える神名帳の詠みあげ。
日本国中の神社名に神さんを詠みあげるのである。
大和国十五郡、山城の国、東海道十五国、東山道八国、北陸道七国、山陰道八国、山陽道八国、南海道六国、西海道九国だ。
発願、平等利益の際に発声される「乱声」を合図にウルシ棒で机をガンガン叩く。
「ランジョー」と呼ぶ作法は僅か2秒で終える。
かつては子供が叩く床叩きであったが、現在は頭屋が叩く机叩きになったそうだ。
続いて、仏名教化、三十二相、導師、荘厳目録、発願、祈願詞云、仏名教化、発願、等利益、祈願詞云、仏名教化・・・「乱声」に二回目のランジョー。
これを三度繰り返すが、何時発声されるか判らない。
慣れた長老はそのころともなればウルシの木を持って構える。
突然に行われる作法だけにカメラ・シャッター押しは間に合わない。
構えたとたんに終える作法である。
祈願、教化・・・差帳可讀、教化・・・乱声で三回目のランジョー。
成善願、勧請、四仏、錫杖、廻向、発願、五大願、仏名教化・・で終える長丁場の修正会はオコナイとも呼ばれている。
初祈祷の法会が終わってモチバナをクロモジの枝ごと鋏で切り取る。
「月日モチ」も切り分けて参拝者に配られる。
モチバナをさばいたら内部に隠れていたワラで編んだモノが出てきた。
下部は円系。
4本の竹箸を挿して固定する。
中央にはワラ棒。
そこには竹箸に挿したドロイモがある。
上部半分は皮を剥いているのでまるでクリのように見える。
例年なら12本であるが、新暦の閏年なら13本。
かつては旧暦であったろう。
この祭具を「カラスのオドシ」と呼ぶ。
なぜに柄杓を吊り下げているのか判らない。
ちなみに1m70cmのウルシ棒に挟んでいた祈祷札は「牛王宝印」書。
ありがたくウルシともどもいただいた。
手がかぶれると云われたが私の手はなんともない。
中央の文字は観音寺。
版木で刷る。
大晦日までにこれらの道具を揃える頭屋たちの一年はこうして終えた。
祈祷を終えた「カラスのオドシ」はどうされるのか。
その答えはトンドで燃やすという。
ご本尊に供えて祈祷したウルシ棒に挟んだ祈祷札は特別なものであるが、後日に処分すると昨年に聞いた。
これもまたトンドで燃やすのだろう。
祈祷札は長いウルシ棒に挟んだ状態で奈良県立民俗博物館に寄贈されている。
そのマツリ用具は平成25年4月27日から6月30日の春季企画展の「お米作りと神々への祈り」で出展された。
もしよろしければ県立民俗博物館に寄贈でもとお願いすれば松折敷・紙折敷とともにくださった。
貴重な祭具史料になるであろう。
早朝はマイナス1度。
初祈祷を終えた境内の雪は消えていた。
お堂の屋根に積もっていた雪も流れていた。
照る朝日に気温が上昇して溶けていた。
(H27. 1. 3 EOS40D撮影)
今回こそは落としてはならぬと思って早めに出かけた。
前夜に降った雪で大和高原は真っ白。
旧都祁吐山から香酔峠を通り抜けたが、道路も真っ白。
ソロソロ運転で辿りついた長安院は屋根も境内も真っ白だった。
昨年にお会いした何人かの人は私を覚えてくださっておられ「お堂に上がってください」と伝えられる。
お堂天満宮観音寺だ。
この日の修正会に勤めるのは天満宮行事を勤める5軒組の頭屋たち。
正式には「天満宮頭屋」であるという。
かつては10軒ほどの家筋であった天満宮頭屋。
いつしか村行事に移ったことで長峯を十数組に分けた年番の当番制にされた。
天満神社の行事が主であるが、この日に行われる長安院の修正会も受け持つ。
お堂に上がって思わず声をあげた。
これほど見事なモチバナ(ハナモチと呼ぶ地域もある)などは見たこともない。
豪華絢爛に思えたモチバナの色彩は白ばかりであるが私にとっては感動的だ。
水平に据えた一本の真竹に括りつけたモチバナは左右両側にある。
芽ぶきのクロモジの木にくっつけたモチバナの正式名称は「舞玉」だ。
「繭玉(マユダマ)」と呼ぶ地域は東日本が多いやに聞くが、当地では「舞玉」の字を充てていた。
モチバナは捻じるようにクロモジの木の枝にくっつけていた。
モチバナの上に置いていた平べったい煎餅のようなモチは「月日モチ」と呼ぶ。
四角い形は木や紙。
木は松で松折敷、紙は紙折敷と呼んでいる。
数本は紙で花の形のように象って嵌めていた。
これを「ユリノハナ」と呼んでいるが、県内各地で見られるオコナイ行事の事例からいえば「ハナ」である。
「ハナ」は12個ある。
充てる漢字は「造花」である。
写真では判り難いが、ぶら下げた「舞玉」や「造花」の内部にそれぞれ柄杓を吊っていた。
さらに内部といえば「カラスのオドシ」と呼ばれる祭具がある。
頭屋の長老が云うには「小鳥のエサ」であると云う。
奥には御供を並べてあった。
これもまた写真では判り難いが、昨年に拝見した五穀成就を願ったお重に盛った小豆、粟、米、麦、青豆の五穀である。
天下泰平・五穀成就・村中安全を願った「花餅」もあるようだが隠れて見えなかった。
これらの御供・祭具を拝見して「オコナイ」行事に違いないと思った。
当地ではこれを正式名称の「修正会」と呼称している。
正月初めに十一面観音立像(藤原時代作であるが台座に貞享四年(1687)の修理銘があるらしい)を前にして村の五穀豊穣を祈念する村行事である。
祈祷される僧侶は玉立(とうだち)の住職<日蓮宗真門派青龍寺>だ。
同寺には昭和55年に榛原町山辺三西方寺・磯田了義氏が写し書き記された『長峯長安院観音寺修正会次第』がある。
当時は融通念仏宗派の西方寺が祈祷していたものと思われる。
『長峯長安院観音寺修正会次第』に記された祈願文は寛永二年(1625)春正月元日のものを文久元年(1861)十一月下春に荻原邑天野寺住職教恵房が61歳のときに書写したとある。
「長峰邑頭人中」の文字もあることから、当時からも天満宮頭屋がついていたのであろう。
お堂に参集された村の人。
およそ30人にもおよぶお堂は満席になった。
区長は住職の後ろに座る。
5軒組頭屋は二人、三人に別れて両側端に座る。
机の上にはランジョー作法に叩かれるウルシ棒を置いた。
それぞれ2本のウルシ棒である。
ウルシ被れを防ぐために各自は軍手をはめた。
これより始まる初祈祷は1時間の法会。
修正会の次第に沿って僧侶が唱える神名帳の詠みあげ。
日本国中の神社名に神さんを詠みあげるのである。
大和国十五郡、山城の国、東海道十五国、東山道八国、北陸道七国、山陰道八国、山陽道八国、南海道六国、西海道九国だ。
発願、平等利益の際に発声される「乱声」を合図にウルシ棒で机をガンガン叩く。
「ランジョー」と呼ぶ作法は僅か2秒で終える。
かつては子供が叩く床叩きであったが、現在は頭屋が叩く机叩きになったそうだ。
続いて、仏名教化、三十二相、導師、荘厳目録、発願、祈願詞云、仏名教化、発願、等利益、祈願詞云、仏名教化・・・「乱声」に二回目のランジョー。
これを三度繰り返すが、何時発声されるか判らない。
慣れた長老はそのころともなればウルシの木を持って構える。
突然に行われる作法だけにカメラ・シャッター押しは間に合わない。
構えたとたんに終える作法である。
祈願、教化・・・差帳可讀、教化・・・乱声で三回目のランジョー。
成善願、勧請、四仏、錫杖、廻向、発願、五大願、仏名教化・・で終える長丁場の修正会はオコナイとも呼ばれている。
初祈祷の法会が終わってモチバナをクロモジの枝ごと鋏で切り取る。
「月日モチ」も切り分けて参拝者に配られる。
モチバナをさばいたら内部に隠れていたワラで編んだモノが出てきた。
下部は円系。
4本の竹箸を挿して固定する。
中央にはワラ棒。
そこには竹箸に挿したドロイモがある。
上部半分は皮を剥いているのでまるでクリのように見える。
例年なら12本であるが、新暦の閏年なら13本。
かつては旧暦であったろう。
この祭具を「カラスのオドシ」と呼ぶ。
なぜに柄杓を吊り下げているのか判らない。
ちなみに1m70cmのウルシ棒に挟んでいた祈祷札は「牛王宝印」書。
ありがたくウルシともどもいただいた。
手がかぶれると云われたが私の手はなんともない。
中央の文字は観音寺。
版木で刷る。
大晦日までにこれらの道具を揃える頭屋たちの一年はこうして終えた。
祈祷を終えた「カラスのオドシ」はどうされるのか。
その答えはトンドで燃やすという。
ご本尊に供えて祈祷したウルシ棒に挟んだ祈祷札は特別なものであるが、後日に処分すると昨年に聞いた。
これもまたトンドで燃やすのだろう。
祈祷札は長いウルシ棒に挟んだ状態で奈良県立民俗博物館に寄贈されている。
そのマツリ用具は平成25年4月27日から6月30日の春季企画展の「お米作りと神々への祈り」で出展された。
もしよろしければ県立民俗博物館に寄贈でもとお願いすれば松折敷・紙折敷とともにくださった。
貴重な祭具史料になるであろう。
早朝はマイナス1度。
初祈祷を終えた境内の雪は消えていた。
お堂の屋根に積もっていた雪も流れていた。
照る朝日に気温が上昇して溶けていた。
(H27. 1. 3 EOS40D撮影)