マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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木津川市山城町上狛・O家の砂撒き

2017年09月13日 09時08分07秒 | もっと遠くへ(京都編)
京田辺市宮津の籾御供配りを拝見してから隣町の木津川市山城町上狛に向かう。

距離的にはそれほど遠くない。

直線距離にしてみればおよそ6km。

道路事情が適量だったこともあり、予定していただいている時間には十分間に合った。

前日、写真家のKさんとともに民家の砂撒き取材をお願いしていたO家を訪問した。

早速、砂撒きをされるOさん。

先日に採っていた木津川の綺麗な砂を箕に移す。

川砂だけに水分を含んでいるから重さがある。

玄関前に動いて箕を両手で持ちながら、ひょういひょいと振動させるような感じで砂を落とす。



斜めにしている箕からどっと落ちないように、さっさ、さっさと揺らして降るような加減で砂を庭に落とす。

かつて庭園はもっと広かった。

収穫した稲を広げるように干した。

いわゆるカド干しができるぐらいの庭だった。

それだけに庭とは呼ばない。

カドニワである。

農家の人に聞いてもらったらわかるが、どのお家もカドニワと呼んでいたはずだ。

箕から落とした砂は円形を描く。

コンパスでいえば撒く人が支点。

腕の長さと箕をもつ範囲がコンパスでいう「穂」になる。

その「穂」から落とされた量によって砂撒きの高さとかが決まる。

水分を含んでいた砂は、撒いていく途中に白っぽくなる。

川砂は乾きが早いのである。

場所を移動して、そこへも同じように微動しながら砂を撒く。

Oさんがいうには砂撒きは「年があらたまり、新年を迎えるものだ」という。



知らず、知らずのうちに踏んでしまった砂が減る。

減るから大晦日に撒いているが、そんな例えとでもなく、年神さんを家に迎えるものだと話される。

この日はお孫さんも一緒になって砂を撒く。

例年であれば、息子さんと二人の砂撒きであるが、今年は孫さん。



Oさんの父親は金春流の謡をしていた。

柳沢藩に仕えた甲州流師範をしていたという。

親父さんがいた時代は一つだけだが、門松も作って玄関前に立てていたという。

そのような昔話をしながら孫に伝える家の風習。

いつまでもずっと続けてほしいという願いである。

ちなみに砂撒きの大きさ、量は決まっていない。

円を繋げることもない。

「なんなっと、砂の量に合わせて作っている」という。

(H28.12.31 EOS40D撮影)