正月二日に「福粥(ふくがゆ)」を取材させていただいた葉本家。
「福粥」はお家の行事。
しかも正月早々の取材のお願いに伺ったのは昨年末の12月29日だった。
呼び鈴を押して玄関から出てこられたご主人。
時期も近づいてきたのでお電話をしようと思っていた、という。
そろそろ来られるのでは、と思っていたそうだ。
正月二日に「福粥」をしていると聞いたのは、平成27年の11月28日だった。
その3年前の3月のことである。
「大和な雛まつり」会場の一つにある葉本邸に訪れて取材させてもらった。
葉本家は、それこそ大和な歴史を紡いでこられた旧家である。
蔵にあったお宝もんを整理されて展示されている。
それは葉本家の暮らしの歴史でもある。
再び訪れた平成27年。
そのときにお母さんと娘さんがぽつりと口から洩れた「フクガユ」である。
正月二日に供える「フクガユ」は正月祝いの料理。
朱塗りの椀の盛って供えると話していた。
「フクガユ」の件を初めて知った書誌がある。
帯解郷土研究会が昭和28年4月1日に発行、昭和56年7月10日に再販、平成4年4月に加筆されて再編した『語りつごう、くらしの文化 帯解町郷土誌』である。
奈良市の帯解地区(田中町・山村町・(下)山町・池田町・今市町・窪之庄町・本町・柴屋町)における町内の年中行事から生活行事の文化面から歴史をとらえた文化史にかつての民俗が書かれてあった。
中断されて今では見られない行事記録もある。
興味深く読んだ行事は類事例として大いに活用している。
その『帯解町郷土誌』によれば、「福粥(福沸かし)」を「正月二日は福沸かしの日である。雑煮の他に、朝、小豆粥を食べるが、この準備も元旦と同じように、その家の主人がする習慣がある。然(しか)し最近では少なくなった。雑煮と同じように餅を入れる家もあるが、だいたい茶粥に小豆を入れて炊く。神棚や先祖さんにも供える」と解説してあった。
葉本家の二人の婦人が話していたのは、このことであろう。
記事にあるように、昭和28年ころの帯解界隈では、すでに“最近では少なくなった”状況になっていたのである。
その件を覚えていたから、思わず取材を願った次第である。
その経緯もつらつらとブログに書かせてもらった。
その文面を読んでいたご主人が気にされていたのだ。
訪問したのは平成27年の11月28日。
記事を公開したのは平成28年の8月13日だったから、その年の1月2日は取材に至っていない。
本年はたぶんに来られると察知されたご主人は電話で伝えようとしていたところに私はお願いにあがったというわけだ。
ご承諾をいただいてありがたく正月二日にお年賀を持参して訪問する。
早速、上がらせてもらってご先祖さんを祭る仏壇に供えている「福粥」を拝見する。
その仏壇のことを「ごぜんさん」と呼んでいたのが興味深い。
「ごぜんさん」を充てる漢字は「御前さん」である。
「御前さん」は、つまりご先祖さん。
一代前の大おばあさんは福粥を供えていたという話しの展開から考えて、敬意を表して、仏壇におられるご先祖さんを、「ごぜんさん」と呼んでいるような気がした。
仏壇正面に阿弥陀如来立像。
その段に2段重ねのコモチにダイダイ(ミカンかも)を供えている。
それより最下段に一杯の福粥を供えている。
前夜から小豆にお米を水に浸していた。
午前中から夕刻にかけて、少し柔らかくなったところで炊く。
お米は小豆色に染まる。
小豆の粒も潰れずに炊くのが難しいと、他所で聞いたことがある。
正月に「福」をいただく「福粥」。
朝一番のお祝いに家族揃って「福粥」をいただいた、という。
「福粥」は脚のある御膳に載せた。
盛った椀は紋があるそうだ。
男は朱塗りの椀。
女性は黒塗りの椀に盛る。
家の雑煮は朱塗りの椀に盛る。
雑煮は白味噌仕立て。
昔は主人のお爺さんが竃に火を点けて薪をくべた。
一番の年寄りである家長が朝6時から作っていた雑煮を思い出された。
昭和元年、京都で生まれ育ったお母さんは父親が京都で、母親は奈良。
東京暮らしもあった。
正月につきもののクワイにボウダラはなかったという。
先に話題提供してくれた椀にあった紋は京都の里の紋のようである。
そこで配膳してくださった正月の特別接待膳。
葉本家のお味をいただいてくださいと数々の品を盛ってくれた。
右上の福粥は仏壇の先祖さんに供えたものと同じ。
その左上の小椀は黒豆の煮たもの。
飴の蜜に浸して京都風の砂糖水で煮た黒豆は、その通りの甘い味。
黒豆は柔らかくて、粒がほくほく。
正月らしい落ち着いた味であるが、出汁はシロップの味がした。
その下の大きな椀に盛った4品。
伊達巻に紅白カマボコ、昆布巻きカマボコ、タツクリに自家製の柚餅子(ゆべし)である。
柚子の実を刳りぬいて、皮を干す。
カツを節に胡麻を入れた味噌和え。
唐辛子も入れて作った柚餅子である。
その右下にある盛りはカキナマス。
千切りのニンジンにダイコンを塩もみ。
甘酢で和えてできあがるが、奈良県の特徴はそこに細かく刻んだホシガキを載せて、お味を一層甘く引き立てる。
葉本家のカキナマスはさっぱり感がある。
酢そのものはあまり感じない。
そう思っておれば違っていた。
底には思いっきりあった「酢」感がすごかった。
どれもこれも美味しくいただいた葉本家の正月祝いの品々。
我が家では味わえない料理にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
ちなみに柚餅子(ゆべし)は十津川村の郷土料理。
作る家によっては調味がそれぞれ異なるので、それぞれの味になる。
参考までに葉本家のレシピを拝見させていただいた。
材料は柚子が30個であるが、簡単なレシピメモなので予めご了承いただきたい。
材料は柚子の他に味噌、マグロフレーク、干しシイタケ、かつお節、胡麻、餅米、一味に砂糖である。
味噌、砂糖、マグロフレーク以外はミキサーにかける。
餅米は1/3ずつミキサーにかけて潰す。
一味は練って1/3をミキサーに入れる。
ちょっと辛目になる。
これをミキサーから取り外して団子状に丸める。
蒸し時間は2~2.5時間。
干すは2週間とあるから、間を補えば丸めた柚餅子の中身は刳りぬいた柚子に入れる、である。
30個作ってこれを蒸す。
蒸し終えたら天日に干す。
それで出来上がり。
蓋がどれであるのか、わかる線が見える。
柚餅子の皮はしわ皺。
風格ある焦げ目のついた黒皮である。
よばれた柚餅子はむちゃ美味い。
酒飲みにぴったりのアテになる。
見た目は奈良漬けであるが、口に入れたら美味しいのである。
がっつり食べるわけにはいかない柚餅子はちょっと噛んでは口内に放り込む。
食感は良いし、味も濃い。
ちょっとずつ食べてちょびちょびいただく柚餅子は酒が進むくんであろうが、葉本家でよばれるわけにはいかない。
次の取材先に向かうには車の運転がある。
法令は遵守しなければならない。
実は、かつて柚餅子を食べたことがある。
そのときの味は拒否するほど個性が強かったが、葉本家の柚餅子は美味しくいただける。
どこで買ったのか覚えていない強い個性があった柚餅子は観光物産の土産だったように思える。
何が違うのかと云えば出汁である。
先にレシピを挙げたが、出汁のことはどこにも書いていない。
お話を聞けば味噌が手造り。
お姉さんが作っている自家製の味噌が利いているようだ。
ときおりピリリと感じる柚餅子。
一味がいい具合に利いている。
ところで何故に葉本家に十津川名物の柚餅子が登場するのか。
お聞きすればご主人の生まれ育った地が十津川村。
しかも、である。
大字は風屋。
親戚筋にあたるのが民宿津川と聞いて腰を抜かすほど驚いたものだ。
母親は今でも暮らす津川姓。
近い親戚筋だというから、民宿津川の元猟師のおっちゃんも亡くなったおばちゃんも二人のねーちゃんも皆、知っているというのにはまいった。
毎年の旅というか、会社時代の仲間たちと訪れて泊まる宿が民宿津川である。
今度、泊まる際には伝えておきたい巡り会いエピソードである。
まさかの十津川話しになるとは思わなんだ葉本家の正月二日。
ゆったり寛いでいまいそうなところに「お臼」もいただく。
益々、お尻が離れにくくなってしまう。
(H29. 1. 2 EOS40D撮影)
「福粥」はお家の行事。
しかも正月早々の取材のお願いに伺ったのは昨年末の12月29日だった。
呼び鈴を押して玄関から出てこられたご主人。
時期も近づいてきたのでお電話をしようと思っていた、という。
そろそろ来られるのでは、と思っていたそうだ。
正月二日に「福粥」をしていると聞いたのは、平成27年の11月28日だった。
その3年前の3月のことである。
「大和な雛まつり」会場の一つにある葉本邸に訪れて取材させてもらった。
葉本家は、それこそ大和な歴史を紡いでこられた旧家である。
蔵にあったお宝もんを整理されて展示されている。
それは葉本家の暮らしの歴史でもある。
再び訪れた平成27年。
そのときにお母さんと娘さんがぽつりと口から洩れた「フクガユ」である。
正月二日に供える「フクガユ」は正月祝いの料理。
朱塗りの椀の盛って供えると話していた。
「フクガユ」の件を初めて知った書誌がある。
帯解郷土研究会が昭和28年4月1日に発行、昭和56年7月10日に再販、平成4年4月に加筆されて再編した『語りつごう、くらしの文化 帯解町郷土誌』である。
奈良市の帯解地区(田中町・山村町・(下)山町・池田町・今市町・窪之庄町・本町・柴屋町)における町内の年中行事から生活行事の文化面から歴史をとらえた文化史にかつての民俗が書かれてあった。
中断されて今では見られない行事記録もある。
興味深く読んだ行事は類事例として大いに活用している。
その『帯解町郷土誌』によれば、「福粥(福沸かし)」を「正月二日は福沸かしの日である。雑煮の他に、朝、小豆粥を食べるが、この準備も元旦と同じように、その家の主人がする習慣がある。然(しか)し最近では少なくなった。雑煮と同じように餅を入れる家もあるが、だいたい茶粥に小豆を入れて炊く。神棚や先祖さんにも供える」と解説してあった。
葉本家の二人の婦人が話していたのは、このことであろう。
記事にあるように、昭和28年ころの帯解界隈では、すでに“最近では少なくなった”状況になっていたのである。
その件を覚えていたから、思わず取材を願った次第である。
その経緯もつらつらとブログに書かせてもらった。
その文面を読んでいたご主人が気にされていたのだ。
訪問したのは平成27年の11月28日。
記事を公開したのは平成28年の8月13日だったから、その年の1月2日は取材に至っていない。
本年はたぶんに来られると察知されたご主人は電話で伝えようとしていたところに私はお願いにあがったというわけだ。
ご承諾をいただいてありがたく正月二日にお年賀を持参して訪問する。
早速、上がらせてもらってご先祖さんを祭る仏壇に供えている「福粥」を拝見する。
その仏壇のことを「ごぜんさん」と呼んでいたのが興味深い。
「ごぜんさん」を充てる漢字は「御前さん」である。
「御前さん」は、つまりご先祖さん。
一代前の大おばあさんは福粥を供えていたという話しの展開から考えて、敬意を表して、仏壇におられるご先祖さんを、「ごぜんさん」と呼んでいるような気がした。
仏壇正面に阿弥陀如来立像。
その段に2段重ねのコモチにダイダイ(ミカンかも)を供えている。
それより最下段に一杯の福粥を供えている。
前夜から小豆にお米を水に浸していた。
午前中から夕刻にかけて、少し柔らかくなったところで炊く。
お米は小豆色に染まる。
小豆の粒も潰れずに炊くのが難しいと、他所で聞いたことがある。
正月に「福」をいただく「福粥」。
朝一番のお祝いに家族揃って「福粥」をいただいた、という。
「福粥」は脚のある御膳に載せた。
盛った椀は紋があるそうだ。
男は朱塗りの椀。
女性は黒塗りの椀に盛る。
家の雑煮は朱塗りの椀に盛る。
雑煮は白味噌仕立て。
昔は主人のお爺さんが竃に火を点けて薪をくべた。
一番の年寄りである家長が朝6時から作っていた雑煮を思い出された。
昭和元年、京都で生まれ育ったお母さんは父親が京都で、母親は奈良。
東京暮らしもあった。
正月につきもののクワイにボウダラはなかったという。
先に話題提供してくれた椀にあった紋は京都の里の紋のようである。
そこで配膳してくださった正月の特別接待膳。
葉本家のお味をいただいてくださいと数々の品を盛ってくれた。
右上の福粥は仏壇の先祖さんに供えたものと同じ。
その左上の小椀は黒豆の煮たもの。
飴の蜜に浸して京都風の砂糖水で煮た黒豆は、その通りの甘い味。
黒豆は柔らかくて、粒がほくほく。
正月らしい落ち着いた味であるが、出汁はシロップの味がした。
その下の大きな椀に盛った4品。
伊達巻に紅白カマボコ、昆布巻きカマボコ、タツクリに自家製の柚餅子(ゆべし)である。
柚子の実を刳りぬいて、皮を干す。
カツを節に胡麻を入れた味噌和え。
唐辛子も入れて作った柚餅子である。
その右下にある盛りはカキナマス。
千切りのニンジンにダイコンを塩もみ。
甘酢で和えてできあがるが、奈良県の特徴はそこに細かく刻んだホシガキを載せて、お味を一層甘く引き立てる。
葉本家のカキナマスはさっぱり感がある。
酢そのものはあまり感じない。
そう思っておれば違っていた。
底には思いっきりあった「酢」感がすごかった。
どれもこれも美味しくいただいた葉本家の正月祝いの品々。
我が家では味わえない料理にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
ちなみに柚餅子(ゆべし)は十津川村の郷土料理。
作る家によっては調味がそれぞれ異なるので、それぞれの味になる。
参考までに葉本家のレシピを拝見させていただいた。
材料は柚子が30個であるが、簡単なレシピメモなので予めご了承いただきたい。
材料は柚子の他に味噌、マグロフレーク、干しシイタケ、かつお節、胡麻、餅米、一味に砂糖である。
味噌、砂糖、マグロフレーク以外はミキサーにかける。
餅米は1/3ずつミキサーにかけて潰す。
一味は練って1/3をミキサーに入れる。
ちょっと辛目になる。
これをミキサーから取り外して団子状に丸める。
蒸し時間は2~2.5時間。
干すは2週間とあるから、間を補えば丸めた柚餅子の中身は刳りぬいた柚子に入れる、である。
30個作ってこれを蒸す。
蒸し終えたら天日に干す。
それで出来上がり。
蓋がどれであるのか、わかる線が見える。
柚餅子の皮はしわ皺。
風格ある焦げ目のついた黒皮である。
よばれた柚餅子はむちゃ美味い。
酒飲みにぴったりのアテになる。
見た目は奈良漬けであるが、口に入れたら美味しいのである。
がっつり食べるわけにはいかない柚餅子はちょっと噛んでは口内に放り込む。
食感は良いし、味も濃い。
ちょっとずつ食べてちょびちょびいただく柚餅子は酒が進むくんであろうが、葉本家でよばれるわけにはいかない。
次の取材先に向かうには車の運転がある。
法令は遵守しなければならない。
実は、かつて柚餅子を食べたことがある。
そのときの味は拒否するほど個性が強かったが、葉本家の柚餅子は美味しくいただける。
どこで買ったのか覚えていない強い個性があった柚餅子は観光物産の土産だったように思える。
何が違うのかと云えば出汁である。
先にレシピを挙げたが、出汁のことはどこにも書いていない。
お話を聞けば味噌が手造り。
お姉さんが作っている自家製の味噌が利いているようだ。
ときおりピリリと感じる柚餅子。
一味がいい具合に利いている。
ところで何故に葉本家に十津川名物の柚餅子が登場するのか。
お聞きすればご主人の生まれ育った地が十津川村。
しかも、である。
大字は風屋。
親戚筋にあたるのが民宿津川と聞いて腰を抜かすほど驚いたものだ。
母親は今でも暮らす津川姓。
近い親戚筋だというから、民宿津川の元猟師のおっちゃんも亡くなったおばちゃんも二人のねーちゃんも皆、知っているというのにはまいった。
毎年の旅というか、会社時代の仲間たちと訪れて泊まる宿が民宿津川である。
今度、泊まる際には伝えておきたい巡り会いエピソードである。
まさかの十津川話しになるとは思わなんだ葉本家の正月二日。
ゆったり寛いでいまいそうなところに「お臼」もいただく。
益々、お尻が離れにくくなってしまう。
(H29. 1. 2 EOS40D撮影)