マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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木津川市山城町上狛・M家の正月迎え

2017年09月14日 09時04分39秒 | もっと遠くへ(京都編)
山城町の上狛で砂撒きを今尚されているお家はごく数軒。

以前はもっと多くの家でされていたようだが、家屋の新築に伴うカドニワの減少や木津川の砂採取の問題と重なって、今やごく数軒でみられるお家の習俗はとても貴重である。

お忙しい年末どきにも拘わらず、前日にお約束してくださったM家を訪問する。

砂撒きは自由な発想でしているというMさん。

早速、はじめてくださった砂撒きは玄関辺りの土があるところだ。

松・竹・梅に金銀、紅白の水引を結んだ門松を立てた。

昨今はDIYのお店でも売るようになった葉牡丹も添えて門松を立てた。

今どき家で門松を立てていること自体が貴重である。

ご夫妻ともども正月を迎えるのは毎年のことだから、と云いながら淡々と作業をされる。



正月だから特別というわけでもなく、M家の年中行事は毎日ように何かがあるらしい。

過去にも、M家の年中行事を取材されたことがあるといって掲載された『日本の民俗』という大判の頁を開いてくださる。

極端な言い方をすれば、M家だけで一冊の本ができあがるかもしれないぐらいの質と量をもっている。

まずは、正月を迎えるにあたって門松を立てた。

Mさん自身が結った注連縄も張る。

前日の夜になってでき上ったらしい。

本数は聞かなかったが、相当な数だと思う。

ウラジロにユズリハを取り付けてダイダイも。



やや太めの注連縄は紐で縛ったタワラを内部に納めているという。

幣切りをした御幣も取り付けた注連縄はあまり見ることもない。

尤も神社の注連縄では当然であるが、お家でそうされている家はこれまで取材させていただいた中では見られない。

実に丁寧なM家の正月迎えの飾り付けである。

晦日は寝る間もないぐらいに忙しいと話している訳がわかる。

奥さんもおられるがこれらはMさん一人でしてきたこと。

たいへんやとかしんどいという言葉は取材中に一言も発せられなかった。



木津川の清浄な砂でカドニワに撒くということは年神さんを迎えるにあたって清めの意味がある。

そう云いながら淡々と作業を進めていく。

円形の砂の撒き方はO家と同じであるが、丁寧さが違う。

なんせ広いカドニワすべてに砂を撒くには時間がかかる。

丁寧さは求めず、ざっ、ざっと箕を振って砂を落とす。

作業をはじめたときから気になる砂落しの箕。

それは金属製であった。



実は材料が一斗缶。

それを1/3くらいに切断した。

角を切りとって砂を落とす口を作る。

手で持つ部分も口も鋭角をとって丸くする。

手が切れないようにするためだ。

さらには、その縁の部分は内側に折りこんで丸くする。

なぜに一斗缶を利用したかといえば、斜めにするだけで砂が毀れていくようにしたいからだ。

あまり滑り過ぎてもいかんが、竹製の箕とかであれば、その間に砂が詰まる。

それを避けたかった一斗缶の再利用である。

カドニワは広いから何度も、何度も一輪車で川砂運び。



軽トラ荷台に採取した砂をスコップで掬って一輪車に移す。

砂撒きをする場所は時間が経つにつれて蔵の前まで動いた。

水溜りの箇所を避けて砂を撒く。

その姿をみている奥さん。



一服したら、どうという言葉も背中に廻して黙々と作業を進めていく。

この時間帯で午後5時。



大晦日の夕べはあっという間に日が暮れる。

暗くなるまでに終わらせたい砂撒きである。

その砂撒きをしているときに蔵の内部が気になった。



旦那さんは砂撒きに忙しく、奥さんがお話ししてくださる。

この蔵は現役の米蔵。

米作り農家にとっては必須の米蔵である。

内部に収穫したお米を収納いているのはもちろんだがさまざまなモノもある。

右に階段がある。

蔵の高さから判断して、中二階建の蔵にも注連縄を飾っている。

その階段手前にある鏡餅。

松・竹・梅に南天を立てて神酒口もある。

ウラジロを敷いた上に鏡餅。

串柿にダイダイも飾っていた。

昭和43年1月2日の日付があったコウジブタ。



その下に立ててあるのは何であるか。

大きな、大きな一斗桝である。

斜めに支えの板を嵌め込んでいる一斗桝。

黒さからいえば相当な年代を経て代々継がれてきた一斗桝。

それを台にしている鏡餅などのお供えは正月に恵みを願う「枡神(ますがみ)さん」である。

「取材もお疲れさまですね」、と声をかけていただいて座敷に招いてくださる。

あがるなり目が大きくなった床の間の正月飾り。

中央に伊勢神宮の内宮、外宮を配置したと思われる掛図。

掛図は近年に表装をし直しているので美しい。



右は中央に配した雨宝童子姿の天照皇大神。

上にある尊像は伊弉諾尊と伊弉冊尊。

一番下は大巳貴命に稲蒼魂命(ウカノミタマノミコト)である。

左の掛図は三社託宣図のような配置であるが、私自身は見たことがない初物。

中央に愛宕大神宮を配置して右に若宮火皇産大神。

左は勝軍天熊大神だった。

その床の間を飾る正月迎えは三つ。

左は花瓶に入れて立てた若松である。

若松を立てていた竹である。

ハサガケをしていた奈良県の人。

吉野で竹工房を開設していた人だった。

その人がM家に自生する竹は良い竹や、その竹を分けて欲しいと云われたのであげたという。

中央は三方に盛った鏡餅。

枡神(ますがみ)さんと同様にウラジロを敷いてのせた鏡餅に串柿とダイダイである。

その右横の盛り付けに驚いた。

その盛りは大和郡山市雑穀町で拝見した元藩医家の「三宝飾り」と同じでは、と思ったくらいに盛る内容がほぼ一緒である。



M家の三宝飾りは昔からあるものを使っているという藁で編んだタワラ(俵)にカヤの実、干し柿、ミカンに髭のあるトコロ芋である。

ここに白昆布とタツクリがあればまったく同じである。

これらは中に盛った三合の米の上に置いて飾っていた。

なお、愛宕三神掛図を掲げているM家は毎年の4月24の大祭に参るそうだ。

また、これら三幅の掛図は正月から幕の内まで飾っておく。

鏡餅はそこまでもたない理由もあるが、一般的同様に1月4日の鏡割りに餅を押し切りで切っているという。

ところでM家の正月雑煮である。

雑煮は三日間とも味噌雑煮。

合わせ味噌で作る。

昔は味噌も家で作っていたが、今は市販品の味噌を使っている。

京都府内ではあるが、M家は白味噌を使ったことはない、という。

雑煮はもちろんのカシライモ(頭芋)がある。

隣村の椿井はきな粉雑煮。

きな粉をつけた餅を雑煮に入れる。

取り出して小皿に盛る。

砂糖を塗して食べているという。

三が日の雑煮のすべてを男が作る。

兄弟がおれば交替する。

朝、昼は雑煮食であるが、晩は白ご飯を食べる。

その朝雑煮に12枚の素焼きのカワラケを並べる。

竹の棒に何がしかの「箱」を天井辺りから吊っていた。

12枚のカワラケに餅を供える。

餅は12個。

いわゆるニュウニツキのモチをカワラケに盛って供えた。

燈明もあげて供えていた「箱」は、天井角の場にあったという。

「箱」は吊っている竹を中心に廻る仕組みがあったというから、これもまた大和郡山市雑穀町で拝見した元藩医家のサンニンサンの写真の箱を思い出す。

回転する「箱」で思い出した。

M家の正月迎えの話題は農家と町屋の違いはあるものの大和郡山市の元藩医家と同じような形式もあったことに感動した。

上狛に10軒で営む日待ち講がある。

一年に一度の寄り合う日待ちは1月15日の前日である。

明けた15日の土曜、若しくは日曜に天筆をするトンド焼きをしている。

新しい火でトンドの火点け。

サラ(新品)のマッチで擦りおこした火でトンドの藁に火を点ける。

トンド場は精米所の橋の上。

上狛駅の踏切近くでしていたが、危険というわけで、今は一カ所に集約された。

トーヤ(当家)の家でしていた。

掲げるお軸は天照大神。

文字の掛図だった。

愛宕さんの掛図もかけるようだ。

お神酒やアラレを供えて般若心経を唱える。

いつもはトーヤが導師を務めていた。

心経が終わればアラレを下げて食べていた。

そのあとは鶏すき焼き鍋。

集まって食べているのは男性である。

「男の飲み会」の別称があるらしい日待ち講。

6年ほど前からはトーヤ家から料理屋に替えたそうだ。

長時間に亘る砂撒きに正月迎えのあれこれを教えてくださったM家に感謝し、「どうぞよいお年を」と挨拶させていただいた。

(H28.12.31 EOS40D撮影)