待ちに待った日がやってきた。
数か月に一度は検査に診察する術後の心臓具合。
前回の循環器内科診察は3カ月前の7月10日だった。
ほぼ10カ月間はなんの変調も見られない身体状況に安心しきっていた。
が、状態が一変したのは9月26日。
昼の心拍数が75拍だった。
これまでの心拍数は高くても50拍台前半。
20拍もアップすれば心臓はドキドキ感。
じっとしているうちに収まるだろうと思っていたが、どうにも、こうにもの場合は、主治医に緊急電話をすることなく、必要とする場合はワソラン錠で服用して下げてください、と云われていた。
突然の発症は10カ月前の平成29年11月6日だった。
身体が震えるほどの心臓ドキドキ。
そのときの心拍数は122の心房粗動。
翌日に緊急的検査に診察。
診断は下されて、入院措置の心房粗細動のカウンターショック。
入院手続きまでしていたが、処方されたワソラン錠で頻脈が解消されたことによって入院措置は回避された。
心拍数は3桁までいっていないから、前回の症状とはまた違う今回の症状である。
症状が出てからの朝、昼、晩の心拍数は変位が見られる。
起床時は50拍台。
上位でも57拍くらいだから問題にはしない。
就寝中は心臓も落ち着いていることだから特に問題視はしない。
身体が動くその後の昼と晩の値である。
9月29日の朝は51拍で昼は63拍の晩が69拍。
9月30日の朝は57拍で昼は64拍の晩が68拍。
10月1日の朝は55拍で昼は70拍の晩が64拍。
ワソラン錠は毎朝、昼、晩に服用してきたが、拍数低下の様相はまったくない。
診察前夜の就寝は不安が過る。
目を覚ました時間帯は深夜の0時。
その瞬間にドキドキ感が高まる。
横たわっていてもドキドキ感。
座っていてもドキドキ感。
眠れなくなったうえに発汗が。
首辺りに汗が滲むくらいの深夜。
いつしか体温も・・。
気になって体温計、と思ったが・・。
眠ることのできない午前1時20分。
悲壮感に浮かぶ悪魔の囁き。
この日の診断に下される結果は・・もやもや感に描かれるストーリーは入院、血栓疑惑を検査する経食道エコー検査、心房粗細動のカウンターショック、それでもどうもならないときは電極カテーテルアブレーション処置・・・。
場合によってはペースメーカーの埋込み手術・・・なんてことを悩んでいても仕方はないが一応測ってみる計測値は血圧が146-93に心拍数が70拍。
不安要素を解決する処置ははっきりと認識できているが、10カ月前の状況を、念のためと思って書き遺していた昨年の11月の突発性頻脈事象記録文を読み返した。
記録文を読み返しているうちに、落ち着きを取り戻す。
少しばかり気分が治まっていた。
そのときの時間帯は午前2時半。
血圧は134-81。
心拍数は59拍に低下していた。
その間は深夜放送のテレビ映像をぼやーっと見ていた。
横になってはいたが、眠ってはいない。
やがて朝の放送が始まった午前5時。
予定していた午前5時半の起床時間にセットした目覚し時計が鳴った。
深夜の0時から一睡もせずにとうとう夜が明けてしまった。
計測した血圧は146-76。
心拍数は66拍だった。
支度を調えて自宅を出た午前7時半。
病院の駐車場に停めた時間帯は8時4分。
機械受付が8時7分で順番待ちのある総合受付時間が8時14分。
そして朝一番に大勢の患者さんが待つ血液検査。
検査時間は8時50分になっていた。
それから心電図検査。
たぶんに異常値が波形に現われるだろう。
それらを終えてデータ待ち。
それがなければ主治医のI循環器内科医師の診断はくだせない。
待っている時間帯が実に苦しい。
満員の待合室に一つだけ空いていた席に座って待つが、座るのもしんどい状態だった。
2診の呼び出し時間は午前10時20分だった。
医師はいつもどおりにいかがですか・・。
それに答える身体はしんどい・・・。
腰は怠いし、歩くのもしんどい。
怠さ、しんどさに肩こりも。
2度ほど感じた目眩もあった近況に毎日の身体状況を記録した「わたしの生活習慣手帳」の提示。
9月16日から本日までの記録はデータだけでなく排便時の出血や正常な黒便に快便状態も記録していた。
辿ってみればその16日に出血とある。
それから毎日が出血。
ここ3、4日は落ち着いたもののポタポタ状態。
出血は止まらずに、本日で連続17日目になる。
心電図検査結果に心拍数は多いものの、心電図波形は綺麗な状態で出力している。
p波もくっきり綺麗だ。
どこもおかしくなく、血液検査結果の心臓の負担具合を視るBNP、PT-INRデータはなんの異常も示さない。
BNPは34.4。
前回の7月受診よりは下がった値。
基準値は18.4pg/ml以下だ。
PT-INRは2.16。
7月受診とほぼ同じ値。
基準値の0.86-1.12よりもやや上方にあるが、まったく問題なし。
つまりは正常範囲内であった。
心臓はおかしくないが、心拍数は何故に・・。
血液検査結果はもう一つ。
ヘモグロビン値はなんと、8.8だった。
3カ月前の値は12.6。
基準値よりもやや下であるが、なんの問題もなかったヘモグロビン値の基準値範囲は13.7-16.8g/dlである。
平成27年7月31日に手術して以来の最低値に貧血目眩は当然のような血液欠乏状態である。
酷い内痔核を手術したのは平成21年6月18日。
17日に入院してすぐに除去手術をしたが、すべてを取り除くことはできなかった。
そのおかげもあって酷い貧血状態は消え去った。
ところが、今回の貧血状態はこのときとほぼ同じような状態である。
身体が異常な状態になったとはっきり認識した平成21年5月19日。
国立博物館で行われていた「国宝 鑑真和上展」の鑑賞に電車で向かった。
近鉄奈良駅から国立博物館を目指して歩くのだが・・・歩けない。
1歩、1歩の足が重たい。
身体は怠くて、足を上げることさえままならない。
博物館近くにある坂道はとんでもない状態になっていた。
原因は内痔核出血による貧血であった。
忘れもしないあのとき。
その1カ月後は田北病院での入院・手術の身であった。
そんな昔のことを思い出した貧血状態。
血液欠乏症を処置する薬は毎日に1回は服用する鉄分補給剤のフェロ・グラデュメット105mgがある。
1錠では間に合わないので、もう1錠を7日分追加しましょうということになったが、不安な一面を残す。
それは毎夜に服用しているワーファリン錠である。
血液をサラサラにするワーファリン錠が邪魔していないか、である。
鉄分補給しても、駄々洩れではなんにもならない。
痛し痒しのワーファリン錠を停止するわけにはいかない。
内痔核からの出血は止血が先決。
当院の消化器外科で検査をしてもらいましょうということになった。

循環器内科医師が手配をした指示書に「循環上り コンサルあります」と朱書きがあった。
そのシートを消化器外科受付に手渡せば、3枚もある問診票を。
記入項目に服用している薬記入がある。
現在、服用中薬のすべてを列挙した。
あまりの多さに嫌になるが、このおかげをもって私は生きている。
問診票にもう1枚。
消化器外科の外来診察に検体承諾書同意書が付属する。
断る理由が見当たらないので同意のサインを書いて提出した。
ちなみに頻脈の原因は出血によるものである。
出血、貧血がストレス。
そのストレスを感じた私のペースメーカーが狂ったわけだ。
根本的な原因を除去できれば、またごく普通の身体に戻れる。
そうありたい私の身体がほど良いと感じる心拍数は45泊~56拍。
前後少しの余裕はあるが、希望する拍数である。
消化器外科の診察が始まったのは11時35分。
外科診察室は4診もある。
この時間帯は予約に外来も診察する4人の医師の名があった。
私が呼ばれたのは2診のS(医師。
他にI医師やY医師にM医師らが診察しているようだ。
よろしくお願いしますと医師の前に座る。
本日に至る発症の経緯を伝えるとともに、過去において内痔核除去をしたことも。
苺色のような真っ赤な患部。
色はそうだが、実態的には雲丹のようなつぶつぶ感が、四つに割れたような感じのでっかい患部。
すべてを除去したら肛門に大きなダメージを与えてしまうという医師の判断で半分の2分割を除去してもらって、今日に至っている。
立ち仕事、重労働は避けて、排便は気張らないようにと、当時手術してくださった医師の教えを守り、患部はそれ以上にもならずに済んでいる。
また、心臓術後の薬剤治療のおかげもあって、数か月に一度は出血するものの、数日間で止血する。
内痔核は飛び出すこともないが、毎日に何度かする指押さえで保っている、などと現況を伝えた。
では、ベッドに横たわってズボン、下着を降ろして、医師が診やすいようにお尻を突き出して・・・と。
大腸も肛門も内痔核も診るのは医師の指による直腸診。
いわゆる触診である。
もちろん直の指ではなく薄手の手袋をはめて触診である。
それだけでほぼわかるが、器具で肛門を広げて直に診る検査もある。
器具は実際に見ることはないが、鋏のような形で逆の動きをする。
力をかけたら肛門が開いて直腸や内痔核の存在状況がわかる。
私が伝えた通りの現状にあると医師が云った。
この状態であれば内痔核除去まで至らなく、軟膏の効力をもって、腫れ、うっ血状態を抑えることでいいでしょうという。
処方箋は軟膏薬の強力ポステリザン。
1日、2回に1回が1個の強力ポステリザンを肛門内にチューブを絞って注入する。
これもまた久しぶり。
当時、田北病院で内痔核処置後の数か月間を処方してもらっていたから軟膏剤は体験済だ。
とにかく、今回の症状に対する処方箋は二つ。

フェロ・グラデュメット105mgによる鉄分補給。
強力ポステリザンによる腫れ、うっ血の鎮静化である。
抗生剤でもないから、一挙に治るわけでもない。
徐々に沈静化する二つの薬の効き目はいつ現れるのだろうか。
台風24号接近による退避していたおふくろを居住地に戻したその夜は疲れが出たのか、それとも安心できたからなのか、ぐっすりと眠りについた。
朝の目覚めも爽やかだったが・・・。
翌日の3日の深夜。
またもや発症した心臓のドキドキ感。
尤も就寝前からその兆候はあった。
目が覚めた深夜の2時間半はずっとテレビ放送を見ていた。
睡魔が襲って再び寝床につく。
翌朝の起床時は晴れて、いや雨天だが、爽やかな朝。
3日の起床時の血圧は118-63。
心拍数は54拍。
朝食後の血圧は101-62の51拍。
昼食後の血圧は82-51の67拍。
晩食後の血圧は95-53の70拍。効き目は未だ発揮していない。
翌朝の4日の起床時の血圧は125-60。心拍数は51拍。
朝食後の血圧は120-70の52拍。
昼食後の血圧は109-70の60拍。
以下・・・日々坦々に続く
(H30.10. 2 SB932SH撮影)
数か月に一度は検査に診察する術後の心臓具合。
前回の循環器内科診察は3カ月前の7月10日だった。
ほぼ10カ月間はなんの変調も見られない身体状況に安心しきっていた。
が、状態が一変したのは9月26日。
昼の心拍数が75拍だった。
これまでの心拍数は高くても50拍台前半。
20拍もアップすれば心臓はドキドキ感。
じっとしているうちに収まるだろうと思っていたが、どうにも、こうにもの場合は、主治医に緊急電話をすることなく、必要とする場合はワソラン錠で服用して下げてください、と云われていた。
突然の発症は10カ月前の平成29年11月6日だった。
身体が震えるほどの心臓ドキドキ。
そのときの心拍数は122の心房粗動。
翌日に緊急的検査に診察。
診断は下されて、入院措置の心房粗細動のカウンターショック。
入院手続きまでしていたが、処方されたワソラン錠で頻脈が解消されたことによって入院措置は回避された。
心拍数は3桁までいっていないから、前回の症状とはまた違う今回の症状である。
症状が出てからの朝、昼、晩の心拍数は変位が見られる。
起床時は50拍台。
上位でも57拍くらいだから問題にはしない。
就寝中は心臓も落ち着いていることだから特に問題視はしない。
身体が動くその後の昼と晩の値である。
9月29日の朝は51拍で昼は63拍の晩が69拍。
9月30日の朝は57拍で昼は64拍の晩が68拍。
10月1日の朝は55拍で昼は70拍の晩が64拍。
ワソラン錠は毎朝、昼、晩に服用してきたが、拍数低下の様相はまったくない。
診察前夜の就寝は不安が過る。
目を覚ました時間帯は深夜の0時。
その瞬間にドキドキ感が高まる。
横たわっていてもドキドキ感。
座っていてもドキドキ感。
眠れなくなったうえに発汗が。
首辺りに汗が滲むくらいの深夜。
いつしか体温も・・。
気になって体温計、と思ったが・・。
眠ることのできない午前1時20分。
悲壮感に浮かぶ悪魔の囁き。
この日の診断に下される結果は・・もやもや感に描かれるストーリーは入院、血栓疑惑を検査する経食道エコー検査、心房粗細動のカウンターショック、それでもどうもならないときは電極カテーテルアブレーション処置・・・。
場合によってはペースメーカーの埋込み手術・・・なんてことを悩んでいても仕方はないが一応測ってみる計測値は血圧が146-93に心拍数が70拍。
不安要素を解決する処置ははっきりと認識できているが、10カ月前の状況を、念のためと思って書き遺していた昨年の11月の突発性頻脈事象記録文を読み返した。
記録文を読み返しているうちに、落ち着きを取り戻す。
少しばかり気分が治まっていた。
そのときの時間帯は午前2時半。
血圧は134-81。
心拍数は59拍に低下していた。
その間は深夜放送のテレビ映像をぼやーっと見ていた。
横になってはいたが、眠ってはいない。
やがて朝の放送が始まった午前5時。
予定していた午前5時半の起床時間にセットした目覚し時計が鳴った。
深夜の0時から一睡もせずにとうとう夜が明けてしまった。
計測した血圧は146-76。
心拍数は66拍だった。
支度を調えて自宅を出た午前7時半。
病院の駐車場に停めた時間帯は8時4分。
機械受付が8時7分で順番待ちのある総合受付時間が8時14分。
そして朝一番に大勢の患者さんが待つ血液検査。
検査時間は8時50分になっていた。
それから心電図検査。
たぶんに異常値が波形に現われるだろう。
それらを終えてデータ待ち。
それがなければ主治医のI循環器内科医師の診断はくだせない。
待っている時間帯が実に苦しい。
満員の待合室に一つだけ空いていた席に座って待つが、座るのもしんどい状態だった。
2診の呼び出し時間は午前10時20分だった。
医師はいつもどおりにいかがですか・・。
それに答える身体はしんどい・・・。
腰は怠いし、歩くのもしんどい。
怠さ、しんどさに肩こりも。
2度ほど感じた目眩もあった近況に毎日の身体状況を記録した「わたしの生活習慣手帳」の提示。
9月16日から本日までの記録はデータだけでなく排便時の出血や正常な黒便に快便状態も記録していた。
辿ってみればその16日に出血とある。
それから毎日が出血。
ここ3、4日は落ち着いたもののポタポタ状態。
出血は止まらずに、本日で連続17日目になる。
心電図検査結果に心拍数は多いものの、心電図波形は綺麗な状態で出力している。
p波もくっきり綺麗だ。
どこもおかしくなく、血液検査結果の心臓の負担具合を視るBNP、PT-INRデータはなんの異常も示さない。
BNPは34.4。
前回の7月受診よりは下がった値。
基準値は18.4pg/ml以下だ。
PT-INRは2.16。
7月受診とほぼ同じ値。
基準値の0.86-1.12よりもやや上方にあるが、まったく問題なし。
つまりは正常範囲内であった。
心臓はおかしくないが、心拍数は何故に・・。
血液検査結果はもう一つ。
ヘモグロビン値はなんと、8.8だった。
3カ月前の値は12.6。
基準値よりもやや下であるが、なんの問題もなかったヘモグロビン値の基準値範囲は13.7-16.8g/dlである。
平成27年7月31日に手術して以来の最低値に貧血目眩は当然のような血液欠乏状態である。
酷い内痔核を手術したのは平成21年6月18日。
17日に入院してすぐに除去手術をしたが、すべてを取り除くことはできなかった。
そのおかげもあって酷い貧血状態は消え去った。
ところが、今回の貧血状態はこのときとほぼ同じような状態である。
身体が異常な状態になったとはっきり認識した平成21年5月19日。
国立博物館で行われていた「国宝 鑑真和上展」の鑑賞に電車で向かった。
近鉄奈良駅から国立博物館を目指して歩くのだが・・・歩けない。
1歩、1歩の足が重たい。
身体は怠くて、足を上げることさえままならない。
博物館近くにある坂道はとんでもない状態になっていた。
原因は内痔核出血による貧血であった。
忘れもしないあのとき。
その1カ月後は田北病院での入院・手術の身であった。
そんな昔のことを思い出した貧血状態。
血液欠乏症を処置する薬は毎日に1回は服用する鉄分補給剤のフェロ・グラデュメット105mgがある。
1錠では間に合わないので、もう1錠を7日分追加しましょうということになったが、不安な一面を残す。
それは毎夜に服用しているワーファリン錠である。
血液をサラサラにするワーファリン錠が邪魔していないか、である。
鉄分補給しても、駄々洩れではなんにもならない。
痛し痒しのワーファリン錠を停止するわけにはいかない。
内痔核からの出血は止血が先決。
当院の消化器外科で検査をしてもらいましょうということになった。

循環器内科医師が手配をした指示書に「循環上り コンサルあります」と朱書きがあった。
そのシートを消化器外科受付に手渡せば、3枚もある問診票を。
記入項目に服用している薬記入がある。
現在、服用中薬のすべてを列挙した。
あまりの多さに嫌になるが、このおかげをもって私は生きている。
問診票にもう1枚。
消化器外科の外来診察に検体承諾書同意書が付属する。
断る理由が見当たらないので同意のサインを書いて提出した。
ちなみに頻脈の原因は出血によるものである。
出血、貧血がストレス。
そのストレスを感じた私のペースメーカーが狂ったわけだ。
根本的な原因を除去できれば、またごく普通の身体に戻れる。
そうありたい私の身体がほど良いと感じる心拍数は45泊~56拍。
前後少しの余裕はあるが、希望する拍数である。
消化器外科の診察が始まったのは11時35分。
外科診察室は4診もある。
この時間帯は予約に外来も診察する4人の医師の名があった。
私が呼ばれたのは2診のS(医師。
他にI医師やY医師にM医師らが診察しているようだ。
よろしくお願いしますと医師の前に座る。
本日に至る発症の経緯を伝えるとともに、過去において内痔核除去をしたことも。
苺色のような真っ赤な患部。
色はそうだが、実態的には雲丹のようなつぶつぶ感が、四つに割れたような感じのでっかい患部。
すべてを除去したら肛門に大きなダメージを与えてしまうという医師の判断で半分の2分割を除去してもらって、今日に至っている。
立ち仕事、重労働は避けて、排便は気張らないようにと、当時手術してくださった医師の教えを守り、患部はそれ以上にもならずに済んでいる。
また、心臓術後の薬剤治療のおかげもあって、数か月に一度は出血するものの、数日間で止血する。
内痔核は飛び出すこともないが、毎日に何度かする指押さえで保っている、などと現況を伝えた。
では、ベッドに横たわってズボン、下着を降ろして、医師が診やすいようにお尻を突き出して・・・と。
大腸も肛門も内痔核も診るのは医師の指による直腸診。
いわゆる触診である。
もちろん直の指ではなく薄手の手袋をはめて触診である。
それだけでほぼわかるが、器具で肛門を広げて直に診る検査もある。
器具は実際に見ることはないが、鋏のような形で逆の動きをする。
力をかけたら肛門が開いて直腸や内痔核の存在状況がわかる。
私が伝えた通りの現状にあると医師が云った。
この状態であれば内痔核除去まで至らなく、軟膏の効力をもって、腫れ、うっ血状態を抑えることでいいでしょうという。
処方箋は軟膏薬の強力ポステリザン。
1日、2回に1回が1個の強力ポステリザンを肛門内にチューブを絞って注入する。
これもまた久しぶり。
当時、田北病院で内痔核処置後の数か月間を処方してもらっていたから軟膏剤は体験済だ。
とにかく、今回の症状に対する処方箋は二つ。

フェロ・グラデュメット105mgによる鉄分補給。
強力ポステリザンによる腫れ、うっ血の鎮静化である。
抗生剤でもないから、一挙に治るわけでもない。
徐々に沈静化する二つの薬の効き目はいつ現れるのだろうか。
台風24号接近による退避していたおふくろを居住地に戻したその夜は疲れが出たのか、それとも安心できたからなのか、ぐっすりと眠りについた。
朝の目覚めも爽やかだったが・・・。
翌日の3日の深夜。
またもや発症した心臓のドキドキ感。
尤も就寝前からその兆候はあった。
目が覚めた深夜の2時間半はずっとテレビ放送を見ていた。
睡魔が襲って再び寝床につく。
翌朝の起床時は晴れて、いや雨天だが、爽やかな朝。
3日の起床時の血圧は118-63。
心拍数は54拍。
朝食後の血圧は101-62の51拍。
昼食後の血圧は82-51の67拍。
晩食後の血圧は95-53の70拍。効き目は未だ発揮していない。
翌朝の4日の起床時の血圧は125-60。心拍数は51拍。
朝食後の血圧は120-70の52拍。
昼食後の血圧は109-70の60拍。
以下・・・日々坦々に続く
(H30.10. 2 SB932SH撮影)