マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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デンガラを供えた家で聞く民俗

2018年07月08日 08時44分48秒 | 川上村へ
ぱくぱく館でデンガラ作りの一部始終を拝見し終えて、この日に取材ができたお礼の報告を伝えたく、I家を訪問する。

この年の2月3日の節分の日にも訪問したI家である。

ご夫婦からデンガラについて教えてもらったのは、前年の平成28年6月10日だった。

そのデンガラをネットでぐぐって検索したら川上村ブログに見つかった。

今でもしているような雰囲気だったので、電話で問い合わせたI家である。

このときの一言がなければ、知ることもなかった郷土料理のデンガラである。

ついさっきに買ったデンガラ4個を挨拶代わりにもってきた手土産である。

そりゃ逆やがな、と云われたが・・・受け取ってくれた。

二人はとても喜んでくれて、仏壇に供えてくる、というから大慌て。

室内に上らせてもらって撮らせてもらった一枚の写真である。

2月に訪れたときのご主人は気持ちが沈んでいたが、この日は元気になっていた。

この日も数々の高原の民俗を伝えてくださる。

芋名月のときである。

「たばらしてやー」と云って近所を巡ってもらいに出かけていた。

お月さんが出てらへんかったら、まだ出てけえへんで、とか言葉を交わしていた。

今でもしているで、という芋名月も取材してみたいが、どうなんだろうか。

平成29年3月20日にNPO法人共存の森ネットワーク関西地区が発刊した『奥吉野高原のへそ』がある。

冊子は32頁。

本日、取材したデンガラ作りを話してくれた代表を務めるIさんの思い出話も載っている。

神社や寺の年中行事も簡単に紹介している冊子は2冊。

A4版とコンパクト版の2冊は村全戸に配布されたようだ。

その冊子に9月15日の芋名月のことが書かれている。

「一升枡にサツマイモ、サトイモを入れた器を庭先に置いて、お月さんに供える。晩になると子どもたちが各戸を巡る。“たばらしてんけー”と云って、芋をもらって帰る。芋の数は、例年で12個。閏年は13個の芋を器に盛る」である。

その様相は平成28年9月15日に取材した十津川村の滝川で行われている十五夜芋たばりと同じような在り方だ。

高原に小さな子どもさんがおられることは風の便りに聞いている。

その家族次第だと思うが、機会があれば取材したいものだ。

その芋名月に関してもIさんはこう語っていた。

「ずいきってコイモの皮を剥いた赤い茎がずいき。

コイモは芋名月に使うもので、高原では“マイモ”と呼んでいる」である。

ただ、拝見した『奥吉野高原のへそ』の記事文がとても気にかかる。

その芋名月の項に書いてあった表現である。

それには「※イモ名月は、高原の“ハロウインと考えられる!”、”トリックオアトリート“の代わりに”たばらしてんけ“と言ってみましょう」と〆ていた。

この文面はとんでもない。

たぶんに執筆者は若い人。

閏年は13個という数でわかる高原の芋名月の歴史。

旧暦閏年は大の月の年は12カ月でなく13カ月だった。

旧暦閏年は江戸時代まで続いていた日本の暦である。

そんな時代に“ハロウイン”という考え方はあり得ない。

昭和の時代の何時だったか記憶になりが、映画、テレビで取り上げるようになった外国文化の“ハロウイン”である。

“ハロウイン”そのものに日本の文化はない。

起源も経緯も由緒もあり方もまったく異なる異文化である。

それをもって芋名月を高原の“ハロウインと考えられる!”と記事にするのはとんでもないことだと思っている。

要職に就くある人が、村の行事を“ハロウイン”のようであるとFBに書かれたので、私は「子どもが集落のあちこち巡ってお菓子などをもらいにいく村行事(例えばイノコとか月見どろぼうとか豆もらいとか)に、外国のハロウィンっやっていう人がとにかく多く見られるようになっているのが気がかりです。ハロウィン行事をあたかも日本で発生したイベントのように伝えるテレビの映像にげんなりすることも度々です」とコメントさせてもらったら、平謝りだった。

問題はテレビや新聞のアナウンスである。

学校教育にまで侵食している“ハロウイン”。

今後の日本の民俗文化がどうなっていくのか、非常に危惧する昨今である。

記事にある”トリックオアトリート“も気になる。

高原の民俗誌にもなるような聞取り報告書のような冊子に”トリックオアトリート“表現は無用であろう。

私は存知したい英語言葉。

調べてみれば単に「台詞」とか「詞章」。

或いは「囃子詞」であった。

わざわざ英語で書く必要もないと思うのだが・・。

さて、高原の話題に戻そう。

芋名月の話題に旦那さんが話してくださったI家の玄関土間である。



土間にある板が気になって、アレはなんですかと聞いたら、それは「芋穴」だという。

土間に三つも四つもあった穴。

戦時中は何も喰うもんがなかった。

米よりも芋の方が主食だった。

大・小問わず芋を焼いて胃袋を満たしていた。

芋は今みたいな細長い芋でなく、丸かったようだ。

芋名月から芋穴。芋話題は道具に移った。

収穫した芋は「イモコジ」で洗っていたという。

水を入れたタライのような「ニダル」に何枚かの羽根板を入れてゴジゴジした。

大の男が寄って「イモコジ、イモコジ」と云いながら風呂に浸かった。

大勢の男たちである。

風呂に入って「イモコジ」していたという。

「イモコジ」道具は簡単なモノで心棒にタライ幅と同じ長さの板を2枚括り付ける。

略図を描いて見てもらったら、実際はタライの半径の長さのようだ。

心棒には通しの棒を据えている。

それを両手で掴んで右、左にゴジゴジするという簡単な道具であった。

ゴジゴジを何度もすることで板に当たった芋の皮が捲れるというような構造は、いわゆる簡易型撹拌機のようなものだ。

芋の子を洗うような感じで風呂に何人もの男が入っていたように想像してみた「イモコジ」民俗であった。

奥さんが嫁入りしたころである。

小屋の軒下に作ったデンガラを吊るしていた。

数は多く、軒下にずらーーとあった。

その様相はとても壮観に見えたという。

その当時のデンガラは米を挽いて作ったシンコの米粉。

湯で練って作った団子である。

水で練って作ったシンコを食べたら口裏にへばりつくから、お湯でしていた。

ただ、この場合でも食べ方があって、シンコは湯掻けば柔らかくなるので、そうして食べたそうだ。

今は、柔らかく艶が出るようにクリームをつけている。

その方が持ちも良いという。

杵で搗いたシンコに塩を入れて搗く。

搗きあがってから色艶を良くするモチクリームを塗って団子にしていた。

甘ったるくもないほどのこし餡を引き立てるシンコモチ(※この場合、餅粉が混ざってないのでシンコ団子が正しい)にしっとり感がある。

ホオの葉の香りと相まったデンガラは高原の郷土の美味しい甘味。

帰宅してからよばれた高原のデンガラはとても美味しかった。

ホオの葉のなんともいえない香り。

甘い香りでもないやすらぎを覚える香りである。

作りたてよりも数時間、ホオの葉に包まれるように寝かしたほうが餡餅に香りが移る。

しっとりした食感が口の中でとろける。

餡そのものもエグくない甘さ。

ほどよい甘さに舌が唸る。

まるで和菓子屋さんが作った上等もんのモチのようなしっとり感が嬉しい。

お相伴にいただいたかーさんも美味しい美味しいと云いながら食べていた。

デンガラと呼ばれるお菓子は他府県にもある。

参考に紹介する飯高のデンガラはネットをぐぐって見つかった。

三重県松坂市飯高町波瀬(はぜ)のデンガラは四角い形。

高原同様の朴葉で作るが、枝付きでもなく、形も異なる。

これも同じく飯高町。

道の駅飯高駅で売っていたデンガラを紹介していた。

もう一つは奈良県東吉野村にあるデンガラ

高原と同様の枝付きの朴葉であるが、写真はなかった。

(H29. 6. 5 EOS40D撮影)


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