
興福寺領であった奈良市中ノ川。
平安時代末期、中川寺成身院によって戒律復興を唱えていたという所縁の跡地。
県道脇から下っていけば五輪塔がある。
実範上人廟塔と伝承されるそうだ。
周囲は奇麗に清掃されてお供えもあった。
石塔巡りをされている人がときおり訪れるらしい。
五人衆の話ではここを「牛塚」と呼ぶそうだが共同墓地であったかも知れない。
そこにも五輪塔があるという。
(H24. 2.18 EOS40D撮影)
平安時代末期、中川寺成身院によって戒律復興を唱えていたという所縁の跡地。
県道脇から下っていけば五輪塔がある。
実範上人廟塔と伝承されるそうだ。
周囲は奇麗に清掃されてお供えもあった。
石塔巡りをされている人がときおり訪れるらしい。
五人衆の話ではここを「牛塚」と呼ぶそうだが共同墓地であったかも知れない。
そこにも五輪塔があるという。
(H24. 2.18 EOS40D撮影)