奈良県内では主に山間部で行われている虫送りの行事。
奈良市内の町中、奈良阪町で行われる虫送りはたいへん珍しい。
陽が沈むころ、奈良豆比古神社の氏子らで構成される奉行衆らが同寺本堂に集まってくる。
祭壇には太い青竹が三本、両脇にはシデが結ばれた笹が供えられる。
虫送りに用いられる拍子木、鉦に加えて木魚を並べられて始まった。
なむあみだぶつと念仏を唱えて虫送り祈祷の法要。
焼香を済ませると提灯を先頭に拍子木、鉦、竹持ちのカシラ、二人の笹持ちと続く行列は南に向けてお練り。
南の端まで行くとくるりと回り、今度は北へ向かいとんど場となった同神社境内駐車場へ到着する。
昨年までのとんど場は道路を隔てた畑地だったが、先日の春日大社付近の土産物屋で火災があったことから、安全性を考えてやむなく駐車場に替わった。
到着すると笹、竹を燃やす間も拍子木と鉦を打ち続ける。
三本の竹がポン、ポン、ポンと音を立てて終える虫送りは、その後「虫送りしましたでー」と大声挙げて町中にふれ回る。
その間、絶え間なく木魚を叩き祈祷のお経をあげていた西福寺本堂。
戻ったお練り衆は虫送りを終えた報告をすると、一同はなんまいだーぶつと唱和する。
少なくなった農耕行事のひとつであるが、これからも続けていきたいと奉行衆らは語った。
(H20. 7. 6 Kiss Digtal N撮影)
奈良市内の町中、奈良阪町で行われる虫送りはたいへん珍しい。
陽が沈むころ、奈良豆比古神社の氏子らで構成される奉行衆らが同寺本堂に集まってくる。
祭壇には太い青竹が三本、両脇にはシデが結ばれた笹が供えられる。
虫送りに用いられる拍子木、鉦に加えて木魚を並べられて始まった。
なむあみだぶつと念仏を唱えて虫送り祈祷の法要。
焼香を済ませると提灯を先頭に拍子木、鉦、竹持ちのカシラ、二人の笹持ちと続く行列は南に向けてお練り。
南の端まで行くとくるりと回り、今度は北へ向かいとんど場となった同神社境内駐車場へ到着する。
昨年までのとんど場は道路を隔てた畑地だったが、先日の春日大社付近の土産物屋で火災があったことから、安全性を考えてやむなく駐車場に替わった。
到着すると笹、竹を燃やす間も拍子木と鉦を打ち続ける。
三本の竹がポン、ポン、ポンと音を立てて終える虫送りは、その後「虫送りしましたでー」と大声挙げて町中にふれ回る。
その間、絶え間なく木魚を叩き祈祷のお経をあげていた西福寺本堂。
戻ったお練り衆は虫送りを終えた報告をすると、一同はなんまいだーぶつと唱和する。
少なくなった農耕行事のひとつであるが、これからも続けていきたいと奉行衆らは語った。
(H20. 7. 6 Kiss Digtal N撮影)
ジーパンぐらいはもう一枚買っておきとかーさんに言われていた。
長男からは似合わないベルトしてたらあかんやんとしょっちゅう言われてた。
おしゃれにはとんと興味のない私は馬の耳を見物。
朝、チラシを見てたら安売り商品がでてた。
今が買い時だとユニクロへ。
そんなら僕もと長男と一緒に出かけた。
あれやこれやと品定めしてもダメだしくらう。
なんとか一本決めて裾の調整。長男も決まって裾直し。
待ち時間はおよそ30分弱。
腹も減ったし冷やしうどんを食べたいという。
それならばと向かった先は四条大路食堂。
いたるところで見られるユニーク字体の看板は、夜になったら満月かと思うほど錯覚する。
たしかうどんもあったはずやし、とにもかくも一度は行ってみたかった食堂だ。
冷やしうどんはなかったけど浪花のかけうどん。
量は少なめだと思って隣の焼きめしも。
これで370円ほどじゃ。
長男は天ぷらうどんに、食べたい、安い、食べたい、安いといってトレイに品物が並ぶ。
のどごしいい麺に出汁がまぁまぁ美味いうどん。
歳いったし、昼はこれ一杯でいいかも。
(H20. 7. 5 SB912SH撮影)
長男からは似合わないベルトしてたらあかんやんとしょっちゅう言われてた。
おしゃれにはとんと興味のない私は馬の耳を見物。
朝、チラシを見てたら安売り商品がでてた。
今が買い時だとユニクロへ。
そんなら僕もと長男と一緒に出かけた。
あれやこれやと品定めしてもダメだしくらう。
なんとか一本決めて裾の調整。長男も決まって裾直し。
待ち時間はおよそ30分弱。
腹も減ったし冷やしうどんを食べたいという。
それならばと向かった先は四条大路食堂。
いたるところで見られるユニーク字体の看板は、夜になったら満月かと思うほど錯覚する。
たしかうどんもあったはずやし、とにもかくも一度は行ってみたかった食堂だ。
冷やしうどんはなかったけど浪花のかけうどん。
量は少なめだと思って隣の焼きめしも。
これで370円ほどじゃ。
長男は天ぷらうどんに、食べたい、安い、食べたい、安いといってトレイに品物が並ぶ。
のどごしいい麺に出汁がまぁまぁ美味いうどん。
歳いったし、昼はこれ一杯でいいかも。
(H20. 7. 5 SB912SH撮影)
県立民俗博物館での写真展「郡山の祭りと行事」が終わったあとの展示物は大和郡山市市民交流館で引き続き紹介されることになった。
貴重な写真は後生に伝え、地元の人に見ていただきたいと用命が下り展示されることになった。
ありがたいお言葉です。
一斉に展示できるスペースはありませんので、季節に応じた祭りや行事をセレクションして2枚ずつ展示しております。
傍らには観光マップに小さな写真を貼った手作り行事マップも置いています。
(H20. 7. 2 SB912SH撮影)
貴重な写真は後生に伝え、地元の人に見ていただきたいと用命が下り展示されることになった。
ありがたいお言葉です。
一斉に展示できるスペースはありませんので、季節に応じた祭りや行事をセレクションして2枚ずつ展示しております。
傍らには観光マップに小さな写真を貼った手作り行事マップも置いています。
(H20. 7. 2 SB912SH撮影)
先月、苗代作りでお世話になった南六条南方の旧当屋のDさんを訪問して、杵築神社の年中行事などを教えていただいた。
旧当屋と称される座衆は、本来宮本衆と呼ばれた集団で同神社の祭礼を営む所謂宮座衆である。
大正六年のころであろうか、村人らの要望で氏神さんを祀るのは宮座だけでなく村人にも開放してほしいという願いから、組織を改正され村当屋が新たに加わった営み形態になったという。
年中行事は11月23日の新嘗祭、正月前の門松立て、1月7日の七草の日の御田祭(5日から15日までの日曜に移行)、2月17日の祈年祭(近い日曜に移行)、5月5日の端午の節句のチンマキ御供、7月14日の祇園さん、9月28日の二十八日座(28日に近い日曜に移行)、10月4日の当屋注連縄張り(例祭の一週間ほど前)、10月10日の秋の例祭(体育の日の前日)、11日は鍵渡し(体育の日)となっている。
そのうち、御田祭と二十八日座は旧当屋で営まれる。
8軒で組織される旧当屋は格式ある「神名帳(おそらく宮座記録)」をもつ宮本衆。
何故か名字がDさんとYさん名ばかり(1軒は当屋株を拝領したので別姓)である。
二十八日座は秋の例祭を営むにあたり禊ぎが行われる。
以前は龍田川の禊ぎ場であったが、現在は普段着で天理の桃尾の滝に行って滝で足を洗う。
所謂の禊ぎ儀式です。
御田祭は着物を着た旧当屋で営まれる。
苗代飾りに見られた牛玉宝印を刷っていくそうだが昔のこと。
現在はコピーとなっている。
ごおさんと呼ばれる牛玉宝印は旧当屋の引き継ぎ宝物だとおっしゃる。
村当屋で営まれるのが秋の例祭。
白丁の装束を着た旧当屋に着物姿の村当屋。
地区の四垣内(現在は班と呼ばれる)からそれぞれ神社までお渡り。
根付き稲穂を担ぐイネカタギ(本来は子どもでいなければ若衆)、御幣持ちのミナライ、ホンドーヤ、トーヤと列をなしてのお渡りは、鳥居の前に到着するとそれぞれ役割ごとに一列に並ぶ。
神主のお祓いを受けて拝殿に登り神事が行われる。
お渡りの前、ホンドーヤ、ミナライが上座に座り、垣内の人らとともにすまし汁の椀に入れた一合モチをよばれます。
「ボウトウ(冒頭であろうか)ノモチ」と呼ばれる儀式だといいます。
例祭を終えた夕刻18時には拝殿で振り上げ神事が行われる。
伊勢の代参で授かったお札。神主が立ち会い、狩衣を着衣した村当屋が御幣串と呼ばれるお札を静かに下げる。
すると、丸めた和紙がすぅっとあがってきて次の当屋が決まる。
所謂神占いの儀式であり、当屋の鍵渡しの儀式ともいわれる。
いずれにしても訪れてみたい南六条南方の村祭りだ。
(H20. 6.30 SB912SH撮影)
旧当屋と称される座衆は、本来宮本衆と呼ばれた集団で同神社の祭礼を営む所謂宮座衆である。
大正六年のころであろうか、村人らの要望で氏神さんを祀るのは宮座だけでなく村人にも開放してほしいという願いから、組織を改正され村当屋が新たに加わった営み形態になったという。
年中行事は11月23日の新嘗祭、正月前の門松立て、1月7日の七草の日の御田祭(5日から15日までの日曜に移行)、2月17日の祈年祭(近い日曜に移行)、5月5日の端午の節句のチンマキ御供、7月14日の祇園さん、9月28日の二十八日座(28日に近い日曜に移行)、10月4日の当屋注連縄張り(例祭の一週間ほど前)、10月10日の秋の例祭(体育の日の前日)、11日は鍵渡し(体育の日)となっている。
そのうち、御田祭と二十八日座は旧当屋で営まれる。
8軒で組織される旧当屋は格式ある「神名帳(おそらく宮座記録)」をもつ宮本衆。
何故か名字がDさんとYさん名ばかり(1軒は当屋株を拝領したので別姓)である。
二十八日座は秋の例祭を営むにあたり禊ぎが行われる。
以前は龍田川の禊ぎ場であったが、現在は普段着で天理の桃尾の滝に行って滝で足を洗う。
所謂の禊ぎ儀式です。
御田祭は着物を着た旧当屋で営まれる。
苗代飾りに見られた牛玉宝印を刷っていくそうだが昔のこと。
現在はコピーとなっている。
ごおさんと呼ばれる牛玉宝印は旧当屋の引き継ぎ宝物だとおっしゃる。
村当屋で営まれるのが秋の例祭。
白丁の装束を着た旧当屋に着物姿の村当屋。
地区の四垣内(現在は班と呼ばれる)からそれぞれ神社までお渡り。
根付き稲穂を担ぐイネカタギ(本来は子どもでいなければ若衆)、御幣持ちのミナライ、ホンドーヤ、トーヤと列をなしてのお渡りは、鳥居の前に到着するとそれぞれ役割ごとに一列に並ぶ。
神主のお祓いを受けて拝殿に登り神事が行われる。
お渡りの前、ホンドーヤ、ミナライが上座に座り、垣内の人らとともにすまし汁の椀に入れた一合モチをよばれます。
「ボウトウ(冒頭であろうか)ノモチ」と呼ばれる儀式だといいます。
例祭を終えた夕刻18時には拝殿で振り上げ神事が行われる。
伊勢の代参で授かったお札。神主が立ち会い、狩衣を着衣した村当屋が御幣串と呼ばれるお札を静かに下げる。
すると、丸めた和紙がすぅっとあがってきて次の当屋が決まる。
所謂神占いの儀式であり、当屋の鍵渡しの儀式ともいわれる。
いずれにしても訪れてみたい南六条南方の村祭りだ。
(H20. 6.30 SB912SH撮影)
五條市大野に立ち寄った際、ある池を通り過ぎようとしたとき、キラキラ光る白いものが目に入った。
池面にわぁーっと浮かぶ白い花群れ。
水面下にはモが見られる。
周りにはジュンサイやヒシも一緒に水生植物がびっしり詰まっている。
農家の方にお願いして観察用に採取していただきもらいました。
白い花はたしかにモの花だった。
やまちゃん先生に確認してもらった結果、オオカナダモでした。
(H20. 6.30 Kiss Digtal N撮影)
池面にわぁーっと浮かぶ白い花群れ。
水面下にはモが見られる。
周りにはジュンサイやヒシも一緒に水生植物がびっしり詰まっている。
農家の方にお願いして観察用に採取していただきもらいました。
白い花はたしかにモの花だった。
やまちゃん先生に確認してもらった結果、オオカナダモでした。
(H20. 6.30 Kiss Digtal N撮影)
一方の地蔵盆の御膳。
お供物と呼ぶそうだ。
広橋の峠(旧学校)から丹生へ下る道。
左へ細い道を下る四辻。庄屋の辻とされるところに会館がある。
花折地蔵と呼ばれる地蔵さんは新しくなった五体。
栽培した小さなナスビ、キュウリなどを椀に入れて供える。
8月24日に近い日曜日の昼ころまでに供えられるそうだ。
新住の地蔵さんではオニギリを盆に載せて供える。
田中町ではトヤ制度がなくなったがそれらしきお供物を並べるという。
下市の地蔵盆は市内中心部の街道筋に多く見られるが、7月に行う地域と8月に行う地域とに別れている。
大和郡山でも両月に別れている。
これらの分布を県内全域に亘って調べるにはたいへんな労力がいる。
いずれにしても訪れたい行事である。
(H20. 6.30 SB912SH撮影)
お供物と呼ぶそうだ。
広橋の峠(旧学校)から丹生へ下る道。
左へ細い道を下る四辻。庄屋の辻とされるところに会館がある。
花折地蔵と呼ばれる地蔵さんは新しくなった五体。
栽培した小さなナスビ、キュウリなどを椀に入れて供える。
8月24日に近い日曜日の昼ころまでに供えられるそうだ。
新住の地蔵さんではオニギリを盆に載せて供える。
田中町ではトヤ制度がなくなったがそれらしきお供物を並べるという。
下市の地蔵盆は市内中心部の街道筋に多く見られるが、7月に行う地域と8月に行う地域とに別れている。
大和郡山でも両月に別れている。
これらの分布を県内全域に亘って調べるにはたいへんな労力がいる。
いずれにしても訪れたい行事である。
(H20. 6.30 SB912SH撮影)
下市の昔展が下市観光文化センターで催されていると新聞記事があった。
宮座行事など地元の祭りごとがたくさんあるというので訪問した。
「太古踊り」に新住の宮座行事、地蔵盆、お大師さん、ほんこ、亥の子などなど興味深い写真が展示してあるが詳しい場所や祭事日が書かれていない。
太古踊りは丹生川上神社での雨乞い太鼓踊りであろう。
県指定民俗文化財になってはいるものの現在は中断中だ。
新住の宮座行事の写真は特徴ある形態のお仮屋。
また、地蔵盆には御膳らしきものが写っている。
大和郡山でも見られた御膳であろうか。
これらについて教えていただこうとセンターに問い合わせたら提供者を紹介してくださった。
当日は仕入れに行かれていたので、翌月5日にお伺いした。
下市文化連盟会長のKさんは御年80歳。
若いときに下市市史編纂者だったそうで、地域文化を記録しておこうと50年間に亘り写真を撮り続けているという。
文字化はしていないが頭のなかに入っているから次から次へと止め処なく話すんですよと奥さまは笑う。
2ヶ月に一回はテーマを変えて展示していたが、そうそう仕事を止めるわけにはかないので3ヶ月単位に伸ばしたそうだ。
宮座のお仮屋はというと、新住の八幡神社秋祭の行事のひとつで一ヶ月前の9月中旬ころにトヤの広い庭に建てられるそうだ。
氏子社中は7垣内。
トヤは7年にいっぺん回ってくるが、広い庭のある家でないと建てられないのでそのときには代替家となるようだ。
左右両座があった時代はそれぞれ1基ずつ造ったお仮屋。
大和郡山の環濠集落に似たものがあると聞いてでかけたが見つからなかったそうだ。
環濠でお仮屋、家型で考えられるのは番条町ではないだろか。
番条町のお仮屋は今ではすっかり変わってコンパクトな形態。
昔のものは民俗博物館に展示されている。
が、どうも感じが違う。
おそらく見聞きした人が似ていると思い込んだものではないだろうか。
思い込みは大きなズレを生じる場合がある。
秋祭りは本来15日だったが、集まりやすい日曜に替わったそうだ。
15日に近い日曜が本祭、前日の土曜日が宵宮。
その宵宮の夕刻、2、3基ほどのススキ提灯を掲げてお渡りするという。
昼過ぎの本祭では稚児装束の男の子と女の子が「シデ振り」所作。
いわゆる奉幣振り神事だと思われるが神主は行わないという。
(H20. 6.30 SB912SH撮影)
宮座行事など地元の祭りごとがたくさんあるというので訪問した。
「太古踊り」に新住の宮座行事、地蔵盆、お大師さん、ほんこ、亥の子などなど興味深い写真が展示してあるが詳しい場所や祭事日が書かれていない。
太古踊りは丹生川上神社での雨乞い太鼓踊りであろう。
県指定民俗文化財になってはいるものの現在は中断中だ。
新住の宮座行事の写真は特徴ある形態のお仮屋。
また、地蔵盆には御膳らしきものが写っている。
大和郡山でも見られた御膳であろうか。
これらについて教えていただこうとセンターに問い合わせたら提供者を紹介してくださった。
当日は仕入れに行かれていたので、翌月5日にお伺いした。
下市文化連盟会長のKさんは御年80歳。
若いときに下市市史編纂者だったそうで、地域文化を記録しておこうと50年間に亘り写真を撮り続けているという。
文字化はしていないが頭のなかに入っているから次から次へと止め処なく話すんですよと奥さまは笑う。
2ヶ月に一回はテーマを変えて展示していたが、そうそう仕事を止めるわけにはかないので3ヶ月単位に伸ばしたそうだ。
宮座のお仮屋はというと、新住の八幡神社秋祭の行事のひとつで一ヶ月前の9月中旬ころにトヤの広い庭に建てられるそうだ。
氏子社中は7垣内。
トヤは7年にいっぺん回ってくるが、広い庭のある家でないと建てられないのでそのときには代替家となるようだ。
左右両座があった時代はそれぞれ1基ずつ造ったお仮屋。
大和郡山の環濠集落に似たものがあると聞いてでかけたが見つからなかったそうだ。
環濠でお仮屋、家型で考えられるのは番条町ではないだろか。
番条町のお仮屋は今ではすっかり変わってコンパクトな形態。
昔のものは民俗博物館に展示されている。
が、どうも感じが違う。
おそらく見聞きした人が似ていると思い込んだものではないだろうか。
思い込みは大きなズレを生じる場合がある。
秋祭りは本来15日だったが、集まりやすい日曜に替わったそうだ。
15日に近い日曜が本祭、前日の土曜日が宵宮。
その宵宮の夕刻、2、3基ほどのススキ提灯を掲げてお渡りするという。
昼過ぎの本祭では稚児装束の男の子と女の子が「シデ振り」所作。
いわゆる奉幣振り神事だと思われるが神主は行わないという。
(H20. 6.30 SB912SH撮影)
一週間ほど前につぼみだったヒオウギ。
ようやく花がひらきだした。
鮮やかな色合いの花が咲いたのは何年前だったのだろうか、記憶にない。
(H20. 6.27 Kiss Digtal N撮影)
後日、アップ画像を見た社長からヒオウギとちゃうでと電話があったそうだ。
昔に隣家からもらったときてっきりヒオウギやと思いこんでたのが大間違い。
調べてみりゃヒオウギはぜんぜん違いますがな。
「緋」の色が鮮やかなこの花って何?
7月26日にほんものの自然に咲いていたヒオウギを見てきました。
まったく違ってた。
で、家の花は何の花なのか先生に教えてもらった。
南アメリカ原産のヒメヒオウギスイセン。
別名はモントブレチアというそうです。
あーすっきりした。
ようやく花がひらきだした。
鮮やかな色合いの花が咲いたのは何年前だったのだろうか、記憶にない。
(H20. 6.27 Kiss Digtal N撮影)
後日、アップ画像を見た社長からヒオウギとちゃうでと電話があったそうだ。
昔に隣家からもらったときてっきりヒオウギやと思いこんでたのが大間違い。
調べてみりゃヒオウギはぜんぜん違いますがな。
「緋」の色が鮮やかなこの花って何?
7月26日にほんものの自然に咲いていたヒオウギを見てきました。
まったく違ってた。
で、家の花は何の花なのか先生に教えてもらった。
南アメリカ原産のヒメヒオウギスイセン。
別名はモントブレチアというそうです。
あーすっきりした。
樹木に鳥の巣。
10日ほど前はピーの鳴き声や尻尾(10cmほどの白黒模様)が見られました。
それからも観察していましたが鳥そのものが見られなくなりました。
たぶん巣立ちしたものと思われます。
大きさからセキレイぐらいかと思いますね。
(H20. 6.26 SB912SH撮影)
10日ほど前はピーの鳴き声や尻尾(10cmほどの白黒模様)が見られました。
それからも観察していましたが鳥そのものが見られなくなりました。
たぶん巣立ちしたものと思われます。
大きさからセキレイぐらいかと思いますね。
(H20. 6.26 SB912SH撮影)