マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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山添春日の春日神社申祭り

2010年01月11日 08時19分27秒 | 山添村へ
高い山々に初冠雪の便りが届いた。

気温は3度。強い風が吹く山添村の春日は身体が心底まで冷えていく。

来年に造宮を控えている春日神社は工事中。

神さんは一時退避で参籠所に遷されている。

今年の申祭りの奉納は舞台を斜めに設えた。

奉るサカキは神さんが見える方角でなければならない。

演者が渡る廊下は筵を敷いて伸ばした。

34年ぶりの造宮に苦心の造り舞台になった。

経費削減で、神膳と呼ばれる鮮やかに盛られた鶴の子柿、柑子蜜柑、白餅は平ら状に小さめのタイになった。



料理もしなくていいようになった。

苦渋の決断がなされたとは、撮影に夢中の団体カメラマンには知るよしもない饗膳の場。

強風がまともに吹き込んではかなわんとガラス窓を引いた。

春日春楽社の方々による能楽演舞が始まった。

演者は菅生や春日の方々。



白装束の翁舞、弓矢祝言榊ノ舞、子ども狂言と舞台は申祭りの奉納舞が続く。

(H21.12.17 Kiss Digtal N撮影)

鍋屋町初宮神社春日田楽詣で

2010年01月10日 07時12分28秒 | 奈良市へ
17日の朝、春日若宮おん祭のお渡りに先だって鍋屋町の初宮神社へ田楽詣でが行われる。

華やかな五色の御幣に綾藺笠(あやいがさ)を被って編木(ささらぎ)・笛・太鼓を持つ集団は田楽座。

おん祭で行われる芸能のうちで最も興福寺と深い関係を持ってきた芸能集団だ。

春日若宮おん祭のお渡り行列は平安時代に始まったとされる。

当時のルートは交名の儀のあとに興福寺南側を西から北へと向かい、時計回りに四至を巡って一の鳥居(春日大社)を目指していたことが大社宝物殿の学芸員松村和歌子氏の研究で明らかにされている。

その時代の同寺北端は県庁や裁判所付近を含んでいた。

現在のルートは逆方向だが、田楽座が境内から離れた初宮神社に芸能を奉納していたことが『奈良坊目拙解』に記されていたそうだ。

また、天理図書館蔵『奈良町絵図』には初渡宮とあり、少なくとも15世紀までそのルートで行われていた。

鍋屋町の通り道は朱雀門から東大寺西門に続く旧二条大路で道幅が36メートルもあったという。

初宮神社を守っている町内の方が田楽座を迎えて一年ぶりのご挨拶。

同神社は春日若宮さんの末社で(おばさんにあたる)あって、社務所には「初心」の書を掲げている。

子供のころから拝見していた田楽座。

近年は見物客も増えてきた。

ありがたいことだと話すHさんは社務所の扉を開けて拝観する。



<画像は高足>

シャッ、シャッと鳴るササラの音色が心地よい。

商店街では15年ほど前からおん祭を盛り上げようと裏方役で奉仕してきた。

大宿所祭が始まる15日までには街通りに注連縄を張ってご神燈提灯をぶら下げて祭りを迎えている。

(H21.12.17 Kiss Digtal N撮影)

石川町Y家のイチゴ栽培

2010年01月09日 07時28分39秒 | もらいもの・おくりもの
ビニールハウスの中は甘い香りで充満している。

高い畝にはイチゴ畑が連なる。

窪地には籾がびっしりと敷き詰められている。

ハウスの室温が上がらんように湿気を含んだ土から吸い取る籾。

JAで安うわけてもらったという二老のYさん。

晴天やったらイチゴの味もよろしいんやけど曇天や雨天やったら味が落ちる。

こんなけ悪い日が続いたら収穫上がらんし不作やとこぼされる。

「女峰(にょうほう)」、「あすかルビー」に「とよのか」を作ってきた。

9月中旬ころに植え付けして翌年の5月まで収穫できるイチゴ栽培。

堆肥はいらんけどパイプで流す水溶き液肥やり。

一番花が咲いて赤い実がなっている。

小さい蕾や古い葉を摘んで取り除く。

これが日課やという。

イチゴは二番花の実がいちばん美味しいという。

パックに詰めてくれた「さがほのか」をほおばった。

甘みは少ないけど美味しい。

その夜は家人も喜んで砂糖を塗して食べた。

(H21.12.16 SB912SH撮影)

coco壱番館

2010年01月08日 08時15分44秒 | 食事が主な周辺をお散歩
昨今、盛んにテレビから映し出されるcoco壱番館のカレー。

車を走らせていれば、こんなところにもできた。

次から次へお店を発見するたびに儲かってるんやなと思うことがある。

先日のテレビで見ていたかーさんが食べに行こうと言い出した。

コマーシャルも多いんやで、創業が喫茶店で家庭の味だとテレビに出演していた現社長が言ってた。

次男も一緒に行くからと下笠間から戻ってきておでかけした。

そういやどこにあるんだっけ。

今国府にもあったような、学園前辺りでみかけたような。

なんや調べてへんのんかいなと言いながら阪名道路の交差点を目指した。

看板が目に入ったのは藤ノ木店。

メニューを見て選んだのはオムエッグカレー(580円)とポテチキセット(280円)。



次男はポークカレー(530円)で、かーさんはカキフライカレー(780円)を注文した。

テーブルに出てくるのが早い。

早速スプーンで口に運んだ。

何口か食べた。

カレーには違いないけど、なんかインパクトがない。

顔を見合わせて、三人とも口にでたのがコクがない。

うま味がない。

家のカレーのほうが美味しいでという次男。

たしかに。食べ終わっても後味が残らない。

マリオのまぼろしカレーが断然美味いや。

数年間も行ってないが未だに口が覚えている味は忘れられない至極の味。

アンケートも書いたけど再び訪れることはないだろう。

(H21.12.13 SB912SH撮影)

下笠間の伊勢講

2010年01月07日 05時42分35秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
江戸時代に流行ったお伊勢参り。

お参りは行きたいがお金の工面がいる。

当時の庶民にとっては旅費負担が重みであった。

いきなり大金を工面できるはずもなく、少しずつお金を積み立てて用立てした。

それが伊勢講の仕組みである。

気のおうた者どうしが集まって組織された伊勢講は数少なくなった。

現代でも続いている伊勢講の大半はお伊勢参りのパックツアーになっている。

室生区下笠間には数組の伊勢講や個人宅で営む家がある。

そのうちの一組は6軒の講中で営んでいる。

12月16日と決まっていた伊勢講の日は、集まりやすい16日に近い日曜日になった。

かつて当番の家に集まって飲食していた。

お寿司、オードブル、茶碗蒸し、すき焼きをして食べていた。T家が新婚時代だった50年前はダイビキがあった。

大きな平皿に盛った丸ごとの鰤。

食べやすいように切り身の刺身料理にしていた。

長机を座敷に2列並べて席についてよばれた。

大きな皿鉢料理をダイビキと呼んでいた。

七品で作った料理をメンメンボンという。

講の家に行くときは空の重箱を持って行って、帰るときにメンメンボンの料理を詰めて持ち帰った。

お寿司やオードブルに茶碗蒸しがご馳走だった。

それらはいつしかすき焼きに代わった。

そんなたいそうなことはかなわんということで、お金を集めて名張の料理屋に行くようにした。

飲食は大きく変化したが、伊勢講の舘は今でも祀っている。

当番の家で一年間、床の間で祀ってきた舘は、この日に次の当番の家に渡される。

普段の日は炊いたご飯と水を供えている。

祝いの日であれば御供は七品になるが、それをしなければならないというような、特に決まりはない。

今日は、祀ってきた舘を布巾などで埃をはらって美しくして、お頭付きの魚(サバかアジ)とキノコ(シイタケがなかったのでシメジ)にダイコン、洗米、御神酒を供える。

次当番へ行く時間が迫ってきたのでそろそろ行こかと舘を抱えた当主。

隣家の主とともに次当番の家に向かった。



受け入れ当主は、舘を迎えて祭壇に祀って灯明に火を点す。

集まった講衆は手を合わせて拝む。



受け入れの式典は瞬く間もなく終わった。

料理屋のお迎えマイクロバスが来るまでは、今年の会費を集めて会計報告の場。

数年後にはお伊勢参りができそうな金額になったと話された。

なお、下笠間ではお伊勢神楽を拝観に行く村行事の代々講がある。

同じように年会費を集めているが金額は少額。

それでも70軒もなれば相当な金額になる。

通帳を確認した会計はおよそ10年の間隔で行っているなとおっしゃる。

(H21.12.13 Kiss Digtal N撮影)

タイトルは繞道火の道

2010年01月06日 08時48分33秒 | 民俗の掲載・著作
いつもなら奈良を代表する風景写真を要求される。

それも昼間の写真だった。

今回は違った。

行事の写真を採用したいと話す。

先般、発刊した「奈良大和路の年中行事」を知った隣人は既に決められていた。

それが桧原神社の繞道祭だった。

届けられた暴追だより。

ページを捲って拝見した。

なんと廣瀬神社の砂かけ祭りが載っている。

空白ができたので編集しておいたという。



撮り直ししなければならないと思っているが、当日はあまりにも行事が多い。

いつになったら行けるのだろうか。

(H21.12.13 SB912SH撮影)

おん祭りの提灯と注連縄

2010年01月05日 09時01分23秒 | 奈良市へ
JR奈良駅から三条通りを経て目指す近鉄奈良駅に向けて夜の街を歩いた。

道路向こうの花芝商店街に行くには信号を渡る。

点滅しだしたので足早に向かった。

渡りきったとき、ご神燈の提灯が目に入った。

今夜は祭りなのだろうか。

商店街通りを歩いていくと筋毎に細い注連縄が張られている。

近くに神社があるとすれば鍋屋町初宮神社だろう。

ところが神社にはなにもない。

商店街の通りだけに張られているのだ。

それは後日に判った。



<画像はもちいどの商店街>

春日おん祭を迎える商店街の提灯と注連縄だったのだ。

(H21.12.12 SB912SH撮影)

JA特産品アンテナショップ

2010年01月04日 10時54分40秒 | 奈良市へ
3年前のことだ。奈良市八条町を通りがかったとき、目に入ったのが数十枚も板に干してあった切干しダイコン。

干していたお家の方にお話しを伺ったことを思い出す。

切干しダイコンは商品。

JA特産品アンテナショップで売ってもらっていると言った。

貰った切干しダイコンはとても美味しくて家では大評判だった。

天日で干すと旨味が増すと仰っていた。

まさにそのとおりである。

いつかは買いにいかなければと思っていた。

それがこのお店だった。

お店の人に尋ねたら売っていた。

天日干し千切大根、蒸し干し大根の袋入りが二種。



白っぽいのは天日干しで150円。

蒸し干しは寒風に干して蒸す。

それをさらに2日間も干す。

作るには4日間もいる。

手がかかっているので200円だ。

早速買って食べてみた。

安くて美味い天日干しダイコンはこれからも我が家で重宝することだろう。

(H21.12.12 SB912SH撮影)

田中八王子神社十日祭

2010年01月02日 08時30分44秒 | 奈良市へ
昔はミカンを撒いていたからミカン祭りといっていた田中町八王子神社の十日祭り。

今は会所でミカンを配っている。

幕を張り提灯台を設えた神社に集まってきた関係者は会所に上がる。

柳生の神職に白衣の村神主は上座。

周りの席は七人衆、自治会長、神社会計係。婦人が上座から配膳される紅白饅頭と昆布茶。

それではいただきますと一老の挨拶でお茶を飲み干す。

10月の頭家祭も同じようにされる所作は参拝に向かうための儀式でもある。

本殿の前に並んで神事が始まった。

十日祭りは初穂を御食に捧げ、新穀に感謝する日。

いわゆる新嘗祭である。

神饌御供には柳の枝を削った二膳の箸が置かれている。



これも頭家祭と同じである。

このように神さんに食べていただくよう箸を添えているのは古来様式の証しであろう。

このあとは再び会所にあがり膳をよばれる。

今日は村神主の招待日であって宮籠もりの日でもある。

(H21.12.10 Kiss Digtal N撮影)