桜井市の大字萱森は山間部。
標高は400mから480mに3垣内が分散している。
かつては集落内に小学校があったくらいに住民数は多かった。
昭和30年代では60から70戸もあったが、村を転出される家が増えて今では17戸になった。
在地は宮垣内(4軒)、中垣内(4軒)、下垣内(9軒)の3垣内。
それぞれがやや離れた地域に分散している。
昨年の私祭の神祭(カンマツリ)に伺ったときは、すでに終わっており、祭り後の翌日に慰労する後宴の真っ最中だった。
日程を聞き誤っていたのだ。
繰り返してはならないと思って記憶を改めてでかけた萱森の頭屋家である。
前日、宵宮に高龗(たかおかみ:雨冠に下は龍)神社の分霊遷しましをされた頭屋家。
神さんが泊りの一夜を過ごした翌朝は太夫(一老)、二老、三老、祭頭総代に中老、副中老ら氏子一同は龗神社の幟を立てた頭屋家に集まって頭屋祭の祭り道具を調製する。
前庭が狭いことから幟全景をとらえることは難しい。
また頭屋家の玄関前には太い真竹を交差・組立てて日の丸国旗を掲げた。
軒下廊下でネムの木を細工していた二老、三老。
カマボコ板のような大きさの木は5枚重ねして苧で括っていた。
頭屋(頭人:この年は四老)も一緒になって作る木の札には頭人の名前を書き入れる。
二組作って鳥居下の両端に立てる木の札は頭屋の札。
「シバ」と呼んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/19/2bda533d4d3109c6208f5518cee8fc59.jpg)
一方、作業小屋では大注連縄や9本(燈籠・狛犬・掘切/春日/八幡の小宮・山の神・頭屋家)の小注連縄(こじめ)を作っている。
材は今年にできた新米藁である。
「いつもこじめは私が作っているんや」とワラナイする男性は云う。
やや太めに結っておいた注連縄。
くるりと輪にしてほどけないように縛る。
細い尾の方を胴に回して結ぶ。
胴の方は5cmぐらい出しておく。
メジャーで長さ測って一定にした細い荒縄は締め用だ。
適当な量で手掴みした束を二つ折りにしてコジメに巻く。
荒縄でしっかりと縛る。
これを4本コジメに取り付けていく脚部。
メジャーで測ってこれもまた一定の長さにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/ad/677dff92ef3f4e59c4158f921139e2b6.jpg)
まるで五徳のような形であるが脚は4本だ。
作業は慣れて手際よく作られる。
「他の人ではできんのじゃ」と話す氏子たち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/12/d338d3a3cdd69092b29374d7829530d5.jpg)
納屋のなかでは拝殿等に掲げる大注連縄を結っていた。
10mが2本(拝殿・社務所)、8mが1本(手水)、3mは3本というから合せてみれば37mにもなる長さだ。
もう一つの大注連縄作り。
鳥居に架ける大注連縄は藁すぐりをした藁を3束。
太くするからそれだけの量が要る。
まずは藁3束を地面に置いていく。
同等量の藁3束を隣に並べる。
もう一本の藁束も並べる。
量が均等になるように測って束ねる。
繋げる束を重ねて藁縄でしっかりと縛る。
これを繰り返して長くする。
一般的な大注連縄作りでは継ぎ足しの藁を入れながら三本拠りにしていくのだが、萱森では人足が少ないために作業を工夫されている。
広い場を要するために納屋外での作業である。
先端を藁縄で縛って崩れないようにするが、藁縄の長さはある程度長い。
これは鳥居に掛けるための長さが要るのだ。
これらができあがれば納屋の天井辺りから吊るしたロープに掛けて引き上げる。
作業場は頭屋家の納屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8f/6efa671ea1b71ed688c25e6972d91de3.jpg)
昭和54年10月12日に上棟祭に揚げた棟札があった。
当時の施主は頭家当主の父親。
平成5年四月に発刊した私家版の『萱森風土記』の著者だったのだ。
ここからの作業は力仕事になる。
頭人も加わって3人で縄を依る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/fc/d875756b43914249d556d67b1ba655be.jpg)
しっかりと藁を掴んで息を合せて「せーのっ」と声をかけて捩る。
3人揃って身体を捩る。
これを何度も何度も繰り返す。
尾の部分は崩れないように荒縄で締める。
頭の部分は押し切り道具でざくっと切った。
仕上げは挟みで刈り取って奇麗にする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/6a/180be27fb64f5232df6c6f55c0a83912.jpg)
鳥居に掛ける太い注連縄ができあがるころにはナタとヨキ(カマとも)をそれぞれ2個ずつ作っていた。
材はシバと同じく当地ではコカンボと呼んでいるネムの木である。
端のほうに二穴を開けて苧を通して結び固定する。
90度にしたそれぞれの山の道具に黒い筋を書き入れる。
刃側となる部分は4本でウラ側は3本の筋だ。
一方、宮司は大御幣や注連縄に掛ける幣垂れを作っていた。
大御幣用は杉原紙だ。頭屋家には大御幣を立て掛けて御供を供えた祭壇を奉る。
分霊を遷しましていたヤカタもある。
手前には神輿も置いた。
萱森の頭屋は一年に二回、在宅に分霊を迎える。
この日のマツリと3月に行われる三月朔座のオシメイリ(御神明入り)と呼ぶ儀式である。
隣村の瀧倉においてもかつては2月に御分霊還幸祭並びに御注連入りと呼ぶ御分霊頭屋入祭が行われていた。
還幸祭には御頭揚げと呼ぶ儀式もあったが、分霊を受け入れる頭屋もなく、平成23年を最後に中断された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6e/1722adf66a5d15333000497695952a3f.jpg)
それはともかく唐櫃に収める御供もある。
一升餅、稲穂付きの新穀、甘酒、洗米、果物にクリの木で調製した二膳の箸もある。
小注連縄などに紙垂れを括りつけた時間は昼も過ぎていた。
これよりしばらくは頭屋家でよばれる会食となる。
(H26.10.18 EOS40D撮影)
標高は400mから480mに3垣内が分散している。
かつては集落内に小学校があったくらいに住民数は多かった。
昭和30年代では60から70戸もあったが、村を転出される家が増えて今では17戸になった。
在地は宮垣内(4軒)、中垣内(4軒)、下垣内(9軒)の3垣内。
それぞれがやや離れた地域に分散している。
昨年の私祭の神祭(カンマツリ)に伺ったときは、すでに終わっており、祭り後の翌日に慰労する後宴の真っ最中だった。
日程を聞き誤っていたのだ。
繰り返してはならないと思って記憶を改めてでかけた萱森の頭屋家である。
前日、宵宮に高龗(たかおかみ:雨冠に下は龍)神社の分霊遷しましをされた頭屋家。
神さんが泊りの一夜を過ごした翌朝は太夫(一老)、二老、三老、祭頭総代に中老、副中老ら氏子一同は龗神社の幟を立てた頭屋家に集まって頭屋祭の祭り道具を調製する。
前庭が狭いことから幟全景をとらえることは難しい。
また頭屋家の玄関前には太い真竹を交差・組立てて日の丸国旗を掲げた。
軒下廊下でネムの木を細工していた二老、三老。
カマボコ板のような大きさの木は5枚重ねして苧で括っていた。
頭屋(頭人:この年は四老)も一緒になって作る木の札には頭人の名前を書き入れる。
二組作って鳥居下の両端に立てる木の札は頭屋の札。
「シバ」と呼んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/19/2bda533d4d3109c6208f5518cee8fc59.jpg)
一方、作業小屋では大注連縄や9本(燈籠・狛犬・掘切/春日/八幡の小宮・山の神・頭屋家)の小注連縄(こじめ)を作っている。
材は今年にできた新米藁である。
「いつもこじめは私が作っているんや」とワラナイする男性は云う。
やや太めに結っておいた注連縄。
くるりと輪にしてほどけないように縛る。
細い尾の方を胴に回して結ぶ。
胴の方は5cmぐらい出しておく。
メジャーで長さ測って一定にした細い荒縄は締め用だ。
適当な量で手掴みした束を二つ折りにしてコジメに巻く。
荒縄でしっかりと縛る。
これを4本コジメに取り付けていく脚部。
メジャーで測ってこれもまた一定の長さにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/ad/677dff92ef3f4e59c4158f921139e2b6.jpg)
まるで五徳のような形であるが脚は4本だ。
作業は慣れて手際よく作られる。
「他の人ではできんのじゃ」と話す氏子たち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/12/d338d3a3cdd69092b29374d7829530d5.jpg)
納屋のなかでは拝殿等に掲げる大注連縄を結っていた。
10mが2本(拝殿・社務所)、8mが1本(手水)、3mは3本というから合せてみれば37mにもなる長さだ。
もう一つの大注連縄作り。
鳥居に架ける大注連縄は藁すぐりをした藁を3束。
太くするからそれだけの量が要る。
まずは藁3束を地面に置いていく。
同等量の藁3束を隣に並べる。
もう一本の藁束も並べる。
量が均等になるように測って束ねる。
繋げる束を重ねて藁縄でしっかりと縛る。
これを繰り返して長くする。
一般的な大注連縄作りでは継ぎ足しの藁を入れながら三本拠りにしていくのだが、萱森では人足が少ないために作業を工夫されている。
広い場を要するために納屋外での作業である。
先端を藁縄で縛って崩れないようにするが、藁縄の長さはある程度長い。
これは鳥居に掛けるための長さが要るのだ。
これらができあがれば納屋の天井辺りから吊るしたロープに掛けて引き上げる。
作業場は頭屋家の納屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8f/6efa671ea1b71ed688c25e6972d91de3.jpg)
昭和54年10月12日に上棟祭に揚げた棟札があった。
当時の施主は頭家当主の父親。
平成5年四月に発刊した私家版の『萱森風土記』の著者だったのだ。
ここからの作業は力仕事になる。
頭人も加わって3人で縄を依る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/fc/d875756b43914249d556d67b1ba655be.jpg)
しっかりと藁を掴んで息を合せて「せーのっ」と声をかけて捩る。
3人揃って身体を捩る。
これを何度も何度も繰り返す。
尾の部分は崩れないように荒縄で締める。
頭の部分は押し切り道具でざくっと切った。
仕上げは挟みで刈り取って奇麗にする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/6a/180be27fb64f5232df6c6f55c0a83912.jpg)
鳥居に掛ける太い注連縄ができあがるころにはナタとヨキ(カマとも)をそれぞれ2個ずつ作っていた。
材はシバと同じく当地ではコカンボと呼んでいるネムの木である。
端のほうに二穴を開けて苧を通して結び固定する。
90度にしたそれぞれの山の道具に黒い筋を書き入れる。
刃側となる部分は4本でウラ側は3本の筋だ。
一方、宮司は大御幣や注連縄に掛ける幣垂れを作っていた。
大御幣用は杉原紙だ。頭屋家には大御幣を立て掛けて御供を供えた祭壇を奉る。
分霊を遷しましていたヤカタもある。
手前には神輿も置いた。
萱森の頭屋は一年に二回、在宅に分霊を迎える。
この日のマツリと3月に行われる三月朔座のオシメイリ(御神明入り)と呼ぶ儀式である。
隣村の瀧倉においてもかつては2月に御分霊還幸祭並びに御注連入りと呼ぶ御分霊頭屋入祭が行われていた。
還幸祭には御頭揚げと呼ぶ儀式もあったが、分霊を受け入れる頭屋もなく、平成23年を最後に中断された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6e/1722adf66a5d15333000497695952a3f.jpg)
それはともかく唐櫃に収める御供もある。
一升餅、稲穂付きの新穀、甘酒、洗米、果物にクリの木で調製した二膳の箸もある。
小注連縄などに紙垂れを括りつけた時間は昼も過ぎていた。
これよりしばらくは頭屋家でよばれる会食となる。
(H26.10.18 EOS40D撮影)