午後3時ころには到着しなければならない大字峰寺の六所神社。
時間を見計らって出発した。
前日のヨイミヤと同じく車に同乗して下っていった松尾の渡り衆。
先頭は大御幣を持つトウヤである。
六所神社に行くまではヨイミヤと同じく松尾の神社など5カ所を遥拝する。
まず始めにかつては弁天さんとも呼ばれていた松尾の氏神さんを祀る遠瀛(おおつ)神社に向かう。
神社下にある朱塗りの鳥居を潜って拝殿に着く。
左側に立ったトウヤ。
横一列に並んだ要人は年齢順にヒワヒワ、2名のガシャガシャ(ササラ)、締太鼓、2名の横笛、小鼓だ。
「ピーピーホーヘッ」、「ドン ドン ドン」と鳴らせばヒワヒワはくにゃくにゃ、ガシャガシャはガチャガチャ鳴らす。
トウヤはそれに合せて大御幣を上下に降る。
次に向う先は神社から下った途中の道沿いだ。
山の方に向かって同じく楽奏をするがヨイミヤと違ってトウヤは大御幣を上下に動かす。
そこは八ケ峰忠魂碑の方向。
カヤの木の石を拝んでいるという遥拝だ。
車に乗り込んでさらに下る。
ドアを開けて降りる渡り衆は忙しく所作をする小川(松尾川)の堤防辺り。
ワショ川(ハセ川とも)と呼ばれる水神さんに向かって楽奏する。
かつてはそこに祠(現在は遠瀛神社の末社)があったそうだ。
ここからは車に乗らず本来の渡りの姿になる。
楽奏しながら数十メートル下って道路手前の辻に着く。
大字桐山の大君垣内との境界であろう。
ここでもかつてあったとされるカシの木のほうに向かって楽奏をする。
またもや車に乗ってのお渡りだ。
大字桐山の大君垣内で車を降りて歩きだす。
お渡りをする場合は笛、太鼓、鼓は音を鳴らす。
ガシャガシャもヒワヒワも所作をする。
大字津越の大橋信号を渡って大橋中央辺りで楽奏する。
ヨイミヤとの違いが判るのはトウヤが持つ大御幣があるか、ないかである。
持っていればマツリの日の在り方である。
このときは何故か車の往来がなかった。
布目川の上流百メートル先の森の中にある水神社に向かってジンパイをする。
松尾の遥拝地は5カ所。
水神さんなどに遥拝されるのは峰寺や的野では見られない。
大橋を渡りきって再び車に搭乗する渡り衆。
しばらく急坂を登って車から降りる。
渡り衆は大御幣を持つトウヤを先頭に六所神社に向けてお渡りだ。
六所神社の鳥居下に着いたら一列に並んで楽奏。
大御幣を鳥居に立てかけて階段を登ることなく一旦はお堂とも呼ばれる参籠所に向かって参進する。
ここからの在り方はヨイミヤの行程とすべてが違う。
渡り衆とともに御供運びもついてきた。
モチを入れた風呂敷に包んだ八寸の重箱は拝殿に供える。
会所の前には村の人たちも迎えに待っていた。
例年と変わらぬ渡り衆を迎える村の姿に若い人は見られない。
温かく迎えられた渡り衆は参籠所に上がる。
渡り衆が所作されるジンパイを一目見ようと集まった村人たち。
トウヤ家が用意されたお菓子やモチ(一戸に2個)などが配られる。
これもまたマツリの楽しみである。
長屋作りの参籠所に登った渡り衆は「みなさまご苦労さんです これよりジンパイ(神拝)をさせていただきます」と口上を述べる。
ヨイミヤと同様に神社総代の歓待を受けて前日と同じ5品盛りの肴とお酒をいただく。
酒や肴はドウゲが準備した。
ドウゲはマツリの下支え。
峰寺の年番である
しばらくは宴の時間。
歓迎された渡り衆は下駄を履いて境内に下りる。
楽奏しながら登ってきた参道を戻って鳥居下に移動する。
手水で清めて立て掛けていた大御幣を持ったトウヤを先頭に石段を登って本殿左側に入る。
そこには小さな石がある。
サザレ石とも呼ばれる石は百度石であろうか。
そこを中心に時計回りでぐるぐる回る渡り衆。
大御幣を上下に振りながら時計回りに楽奏しながら三周する。
そのまま楽奏しながら拝殿に上がる。
所作の場は本殿と拝殿の間である。
横一列に並んで参拝だ。
松尾の遥拝のときと同じように「ピーピーホーヘッ」、「ドン ドン ドン」と囃せばトウヤは大御幣を大きく上下する。
県内各地で見られる、いわゆる奉幣振りの作法と同じように思えた。
奉幣振りを終えた大御幣は本殿に立て掛けるようにして奉られた。
楽奏を一回されて拝殿を降りた渡り衆は、再びお堂こと参籠所に上がる。
トウヤはこれよりジンパイを披露する旨、口上を述べる。
この場で行われたジンパイの作法は横一列に並んで行われる。
ヒワヒワ、ガシャガシャ、小鼓の三役が順繰りに所作されたジンパイは神社総代らに披露する。
ヨイミヤのジンパイは神さんに奉納するが、マツリは神社総代らに、である。
三役が所作する扇を広げて右手で煽ぐのは「埃を払って扇で清める 次の三周は寄せるように扇で煽ぐ。これは福を呼び込む所作である」と話していた松尾の最長老の話しを思い出す。
この年に楽奏する渡り衆の席は椅子である。
前年までは蓆を敷いた座に正座していたが、身体的要望もあって椅子に替えられたのである。
参籠所を下りて横一列。
今度は集まっていた村人たちにも楽奏された。
こうしてすべてのジンパイの奉納を終えた渡り衆は鳥居下の付近に整列する。
前方の山に向かって楽奏する間にトウヤと長老の二人はヒワヒワと呼ぶ竹をくにゃっと曲げて前方に放つ。
その所作は弓をしならせて放つようだ。
これまで拝見した弓打ちの場。
松尾と峰寺は同場所であったが、的野だけは鳥居から神社に向かって放っていた。
大字によって場が異なるのであろう。
弓打ちを終えたトウヤはいち早く参籠所に赴いた。
8人の渡り衆が被っていた烏帽子。
それには赤紙が取り付けられている。
それを揃えて神社総代に手渡される。
奉納儀式を終えた証しに渡すのであるが、外すことが困難であることから実際は予め用意したものを袋に入れて差し出している。
宮総代は袋から取り出して8枚有ることを確認されてマツリを終えた。
渡り衆はようやく安堵。
普段の顔つきに戻ってトウヤ家に戻っていく。
(H26.10.15 EOS40D撮影)
時間を見計らって出発した。
前日のヨイミヤと同じく車に同乗して下っていった松尾の渡り衆。
先頭は大御幣を持つトウヤである。
六所神社に行くまではヨイミヤと同じく松尾の神社など5カ所を遥拝する。
まず始めにかつては弁天さんとも呼ばれていた松尾の氏神さんを祀る遠瀛(おおつ)神社に向かう。
神社下にある朱塗りの鳥居を潜って拝殿に着く。
左側に立ったトウヤ。
横一列に並んだ要人は年齢順にヒワヒワ、2名のガシャガシャ(ササラ)、締太鼓、2名の横笛、小鼓だ。
「ピーピーホーヘッ」、「ドン ドン ドン」と鳴らせばヒワヒワはくにゃくにゃ、ガシャガシャはガチャガチャ鳴らす。
トウヤはそれに合せて大御幣を上下に降る。
次に向う先は神社から下った途中の道沿いだ。
山の方に向かって同じく楽奏をするがヨイミヤと違ってトウヤは大御幣を上下に動かす。
そこは八ケ峰忠魂碑の方向。
カヤの木の石を拝んでいるという遥拝だ。
車に乗り込んでさらに下る。
ドアを開けて降りる渡り衆は忙しく所作をする小川(松尾川)の堤防辺り。
ワショ川(ハセ川とも)と呼ばれる水神さんに向かって楽奏する。
かつてはそこに祠(現在は遠瀛神社の末社)があったそうだ。
ここからは車に乗らず本来の渡りの姿になる。
楽奏しながら数十メートル下って道路手前の辻に着く。
大字桐山の大君垣内との境界であろう。
ここでもかつてあったとされるカシの木のほうに向かって楽奏をする。
またもや車に乗ってのお渡りだ。
大字桐山の大君垣内で車を降りて歩きだす。
お渡りをする場合は笛、太鼓、鼓は音を鳴らす。
ガシャガシャもヒワヒワも所作をする。
大字津越の大橋信号を渡って大橋中央辺りで楽奏する。
ヨイミヤとの違いが判るのはトウヤが持つ大御幣があるか、ないかである。
持っていればマツリの日の在り方である。
このときは何故か車の往来がなかった。
布目川の上流百メートル先の森の中にある水神社に向かってジンパイをする。
松尾の遥拝地は5カ所。
水神さんなどに遥拝されるのは峰寺や的野では見られない。
大橋を渡りきって再び車に搭乗する渡り衆。
しばらく急坂を登って車から降りる。
渡り衆は大御幣を持つトウヤを先頭に六所神社に向けてお渡りだ。
六所神社の鳥居下に着いたら一列に並んで楽奏。
大御幣を鳥居に立てかけて階段を登ることなく一旦はお堂とも呼ばれる参籠所に向かって参進する。
ここからの在り方はヨイミヤの行程とすべてが違う。
渡り衆とともに御供運びもついてきた。
モチを入れた風呂敷に包んだ八寸の重箱は拝殿に供える。
会所の前には村の人たちも迎えに待っていた。
例年と変わらぬ渡り衆を迎える村の姿に若い人は見られない。
温かく迎えられた渡り衆は参籠所に上がる。
渡り衆が所作されるジンパイを一目見ようと集まった村人たち。
トウヤ家が用意されたお菓子やモチ(一戸に2個)などが配られる。
これもまたマツリの楽しみである。
長屋作りの参籠所に登った渡り衆は「みなさまご苦労さんです これよりジンパイ(神拝)をさせていただきます」と口上を述べる。
ヨイミヤと同様に神社総代の歓待を受けて前日と同じ5品盛りの肴とお酒をいただく。
酒や肴はドウゲが準備した。
ドウゲはマツリの下支え。
峰寺の年番である
しばらくは宴の時間。
歓迎された渡り衆は下駄を履いて境内に下りる。
楽奏しながら登ってきた参道を戻って鳥居下に移動する。
手水で清めて立て掛けていた大御幣を持ったトウヤを先頭に石段を登って本殿左側に入る。
そこには小さな石がある。
サザレ石とも呼ばれる石は百度石であろうか。
そこを中心に時計回りでぐるぐる回る渡り衆。
大御幣を上下に振りながら時計回りに楽奏しながら三周する。
そのまま楽奏しながら拝殿に上がる。
所作の場は本殿と拝殿の間である。
横一列に並んで参拝だ。
松尾の遥拝のときと同じように「ピーピーホーヘッ」、「ドン ドン ドン」と囃せばトウヤは大御幣を大きく上下する。
県内各地で見られる、いわゆる奉幣振りの作法と同じように思えた。
奉幣振りを終えた大御幣は本殿に立て掛けるようにして奉られた。
楽奏を一回されて拝殿を降りた渡り衆は、再びお堂こと参籠所に上がる。
トウヤはこれよりジンパイを披露する旨、口上を述べる。
この場で行われたジンパイの作法は横一列に並んで行われる。
ヒワヒワ、ガシャガシャ、小鼓の三役が順繰りに所作されたジンパイは神社総代らに披露する。
ヨイミヤのジンパイは神さんに奉納するが、マツリは神社総代らに、である。
三役が所作する扇を広げて右手で煽ぐのは「埃を払って扇で清める 次の三周は寄せるように扇で煽ぐ。これは福を呼び込む所作である」と話していた松尾の最長老の話しを思い出す。
この年に楽奏する渡り衆の席は椅子である。
前年までは蓆を敷いた座に正座していたが、身体的要望もあって椅子に替えられたのである。
参籠所を下りて横一列。
今度は集まっていた村人たちにも楽奏された。
こうしてすべてのジンパイの奉納を終えた渡り衆は鳥居下の付近に整列する。
前方の山に向かって楽奏する間にトウヤと長老の二人はヒワヒワと呼ぶ竹をくにゃっと曲げて前方に放つ。
その所作は弓をしならせて放つようだ。
これまで拝見した弓打ちの場。
松尾と峰寺は同場所であったが、的野だけは鳥居から神社に向かって放っていた。
大字によって場が異なるのであろう。
弓打ちを終えたトウヤはいち早く参籠所に赴いた。
8人の渡り衆が被っていた烏帽子。
それには赤紙が取り付けられている。
それを揃えて神社総代に手渡される。
奉納儀式を終えた証しに渡すのであるが、外すことが困難であることから実際は予め用意したものを袋に入れて差し出している。
宮総代は袋から取り出して8枚有ることを確認されてマツリを終えた。
渡り衆はようやく安堵。
普段の顔つきに戻ってトウヤ家に戻っていく。
(H26.10.15 EOS40D撮影)