家の庭に栗の木がある、という。
子どもたちが小学校時代から交友しているU家。
母親に父親も交友するようになってから、数十年。
いまや青年になった息子たち。
毎年の春、U家が所有する竹林からわざわざ掘り起こした筍を持ってきてくれる。
不在のときは、門扉に吊るしている筍。
春いちばんの恵みにいつも感謝している。
季節は、味覚の秋。
今年は実成りよくて、栗がいっぱいあるからもらって、といって運んでくれた。
さて、栗はどうした処理したらいいのだろうか。
いただいた栗は、とても多い。
頭の中は栗ご飯。
スマホを駆使して栗の皮むきはこうする、と処理をはじめたかーさん。
包丁をもったかーさん。
大きな栗の実に格闘している。
力づく包丁の刃をあてて、栗の底を切り離そうとしている。
ちょっと滑っただけでえらいことになる。
何個かの栗を処理していたかーさん。
スマホ先生が教えてくれた通りにしているから、というがそれって・・・いいかけてやめた。
十何年も前のこと。
もらったマンゴーを縦割りしていた。
熟れていると思ったマンゴーに包丁をあてて半割りに、と思って・・力を込めた。
その瞬間に包丁が滑った。
マンゴーが動かないように支えていた左手の人差し指の先っちょに刃が走った。
出血は酷かったが、なんとか止血した。
そのときの痛みは劇症。
出血は止まったものの、今でも後遺症が続く。
創ってから数年間。
冬場になったころから感じる、いや、感じない人差し指の先っちょ。
今もその部分だけが、何も感じない。
キーボードタッチは苦痛もないが、タッチ感触は、右手の人差し指とはえらい差がある。
どうやら、その部分の神経を切ってしまったようだ。
その怖さを知っているから、別の方法を、と言いかけたがやめた。
その晩の食卓に上った栗ご飯の美味しいこと。
おふくろもおかわりするくらいの美味しさに、かーさんはなんとか処理したようだ。
そのときの残り半分が、炊事場にあった。
前回同様に処理するようだから、オレがやる、と宣言した。
前回同様にちょっとだけ茹でた栗の実。
さぁて、どう処理してあるか。
繰ったネットにあった栗の皮剥き。
その方法なら、できそうだと思って皮剥きは、はじめに栗の尖がり部分に包丁の刃をあてて切れ目を入れる。
切れ目に包丁の刃をあて、固い鬼皮を剥く。
最初に刃を入れるのは、栗の腹の部分から。
腹は、平べったい面。
その面すべてを剥ぎとるように剥く。
腹剥き終えた次は、丸い形の背中の鬼皮を剥く。
次に剥くのは渋皮。
底になる土台は、渋皮剥きに自然とくっついて剥がれる。
黒い部分とか、穴があればたぶんに喰っている虫がいるはずだ。
それらすべては排除。
最初は力が要ったが、何度か繰り返す皮剥きに包丁の使い方も慣れてくる。
こちらの情報もわかりやすい。
時間がかかる面倒な作業を、ちょっとでもラクするなら、専用の道具を・・。
ネットで紹介されている栗くり坊主と呼ばれる特殊な道具利用がいちばんだろう。
専門的にワードを説明してくれるネット情報もある。
尤も、プロの技は、そんな悠長なことはやっとれん。
さらに、刃物の違いは、相当なものだと思うが、洗練されたプロの早業には見惚れてしまう。
皮剥きの方法は、ほぼ身についたが、難儀したのは茹で栗だったことだ。
生の栗なら、そんなことにはならないと思うが、茹で栗はアカン。
栗が崩れるのは当然だが、栗質がねっちゃねちゃだけに、剥くたびに栗質が包丁に絡みつく。
へばりつく、へばりつく。
べちゃっりへばりつくもんだから、包丁の切れはなくなる。
それでも何とかするが、4個が限界。
付着したべちゃ栗を水に流し、洗剤スポンジで洗っては、皮剥きの繰り返し。
途切れ途切れの休憩もいれて、やっとこそ終わった栗の皮剥き。
調理されている方たちの苦労がよくわかった。
そして今夜は、もう一度味わう栗ご飯。
実は、前回と違った炊き方をしてもらった。
炊飯器に少々の塩は、前回同様だが、たまたまネットに出てきたエバラ食品のプチッとシリーズを使ったアレンジレシピに目がいった。
見本に使われたプチッとは、プチッと鍋の寄せ鍋。
買い置きになかったから、プチッとうどんの釜玉うどんになったが、それはそれで美味く炊きあがった。
ご飯の味が、前回と違って、甘くて美味しいといったおふくろ。
そう、味は、とても濃くなって旨くなった。
(R3.10. 8、13 SB805SH 撮影)
子どもたちが小学校時代から交友しているU家。
母親に父親も交友するようになってから、数十年。
いまや青年になった息子たち。
毎年の春、U家が所有する竹林からわざわざ掘り起こした筍を持ってきてくれる。
不在のときは、門扉に吊るしている筍。
春いちばんの恵みにいつも感謝している。
季節は、味覚の秋。
今年は実成りよくて、栗がいっぱいあるからもらって、といって運んでくれた。
さて、栗はどうした処理したらいいのだろうか。
いただいた栗は、とても多い。
頭の中は栗ご飯。
スマホを駆使して栗の皮むきはこうする、と処理をはじめたかーさん。
包丁をもったかーさん。
大きな栗の実に格闘している。
力づく包丁の刃をあてて、栗の底を切り離そうとしている。
ちょっと滑っただけでえらいことになる。
何個かの栗を処理していたかーさん。
スマホ先生が教えてくれた通りにしているから、というがそれって・・・いいかけてやめた。
十何年も前のこと。
もらったマンゴーを縦割りしていた。
熟れていると思ったマンゴーに包丁をあてて半割りに、と思って・・力を込めた。
その瞬間に包丁が滑った。
マンゴーが動かないように支えていた左手の人差し指の先っちょに刃が走った。
出血は酷かったが、なんとか止血した。
そのときの痛みは劇症。
出血は止まったものの、今でも後遺症が続く。
創ってから数年間。
冬場になったころから感じる、いや、感じない人差し指の先っちょ。
今もその部分だけが、何も感じない。
キーボードタッチは苦痛もないが、タッチ感触は、右手の人差し指とはえらい差がある。
どうやら、その部分の神経を切ってしまったようだ。
その怖さを知っているから、別の方法を、と言いかけたがやめた。
その晩の食卓に上った栗ご飯の美味しいこと。
おふくろもおかわりするくらいの美味しさに、かーさんはなんとか処理したようだ。
そのときの残り半分が、炊事場にあった。
前回同様に処理するようだから、オレがやる、と宣言した。
前回同様にちょっとだけ茹でた栗の実。
さぁて、どう処理してあるか。
繰ったネットにあった栗の皮剥き。
その方法なら、できそうだと思って皮剥きは、はじめに栗の尖がり部分に包丁の刃をあてて切れ目を入れる。
切れ目に包丁の刃をあて、固い鬼皮を剥く。
最初に刃を入れるのは、栗の腹の部分から。
腹は、平べったい面。
その面すべてを剥ぎとるように剥く。
腹剥き終えた次は、丸い形の背中の鬼皮を剥く。
次に剥くのは渋皮。
底になる土台は、渋皮剥きに自然とくっついて剥がれる。
黒い部分とか、穴があればたぶんに喰っている虫がいるはずだ。
それらすべては排除。
最初は力が要ったが、何度か繰り返す皮剥きに包丁の使い方も慣れてくる。
こちらの情報もわかりやすい。
時間がかかる面倒な作業を、ちょっとでもラクするなら、専用の道具を・・。
ネットで紹介されている栗くり坊主と呼ばれる特殊な道具利用がいちばんだろう。
専門的にワードを説明してくれるネット情報もある。
尤も、プロの技は、そんな悠長なことはやっとれん。
さらに、刃物の違いは、相当なものだと思うが、洗練されたプロの早業には見惚れてしまう。
皮剥きの方法は、ほぼ身についたが、難儀したのは茹で栗だったことだ。
生の栗なら、そんなことにはならないと思うが、茹で栗はアカン。
栗が崩れるのは当然だが、栗質がねっちゃねちゃだけに、剥くたびに栗質が包丁に絡みつく。
へばりつく、へばりつく。
べちゃっりへばりつくもんだから、包丁の切れはなくなる。
それでも何とかするが、4個が限界。
付着したべちゃ栗を水に流し、洗剤スポンジで洗っては、皮剥きの繰り返し。
途切れ途切れの休憩もいれて、やっとこそ終わった栗の皮剥き。
調理されている方たちの苦労がよくわかった。
そして今夜は、もう一度味わう栗ご飯。
実は、前回と違った炊き方をしてもらった。
炊飯器に少々の塩は、前回同様だが、たまたまネットに出てきたエバラ食品のプチッとシリーズを使ったアレンジレシピに目がいった。
見本に使われたプチッとは、プチッと鍋の寄せ鍋。
買い置きになかったから、プチッとうどんの釜玉うどんになったが、それはそれで美味く炊きあがった。
ご飯の味が、前回と違って、甘くて美味しいといったおふくろ。
そう、味は、とても濃くなって旨くなった。
(R3.10. 8、13 SB805SH 撮影)