マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

いただいたU家の庭の栗は栗ご飯に

2024年01月21日 08時01分19秒 | もらいもの・おくりもの
家の庭に栗の木がある、という。

子どもたちが小学校時代から交友しているU家。

母親に父親も交友するようになってから、数十年。

いまや青年になった息子たち。

毎年の春、U家が所有する竹林からわざわざ掘り起こした筍を持ってきてくれる

不在のときは、門扉に吊るしている筍。

春いちばんの恵みにいつも感謝している。

季節は、味覚の秋。

今年は実成りよくて、栗がいっぱいあるからもらって、といって運んでくれた。

さて、栗はどうした処理したらいいのだろうか。

いただいた栗は、とても多い。

頭の中は栗ご飯。

スマホを駆使して栗の皮むきはこうする、と処理をはじめたかーさん。

包丁をもったかーさん。

大きな栗の実に格闘している。

力づく包丁の刃をあてて、栗の底を切り離そうとしている。

ちょっと滑っただけでえらいことになる。

何個かの栗を処理していたかーさん。

スマホ先生が教えてくれた通りにしているから、というがそれって・・・いいかけてやめた。

十何年も前のこと。

もらったマンゴーを縦割りしていた。

熟れていると思ったマンゴーに包丁をあてて半割りに、と思って・・力を込めた


その瞬間に包丁が滑った。

マンゴーが動かないように支えていた左手の人差し指の先っちょに刃が走った。

出血は酷かったが、なんとか止血した。

そのときの痛みは劇症。

出血は止まったものの、今でも後遺症が続く。

創ってから数年間。

冬場になったころから感じる、いや、感じない人差し指の先っちょ。

今もその部分だけが、何も感じない。

キーボードタッチは苦痛もないが、タッチ感触は、右手の人差し指とはえらい差がある。

どうやら、その部分の神経を切ってしまったようだ。

その怖さを知っているから、別の方法を、と言いかけたがやめた。

その晩の食卓に上った栗ご飯の美味しいこと。

おふくろもおかわりするくらいの美味しさに、かーさんはなんとか処理したようだ。

そのときの残り半分が、炊事場にあった。

前回同様に処理するようだから、オレがやる、と宣言した。

前回同様にちょっとだけ茹でた栗の実。



さぁて、どう処理してあるか。

繰ったネットにあった栗の皮剥き

その方法なら、できそうだと思って皮剥きは、はじめに栗の尖がり部分に包丁の刃をあてて切れ目を入れる。

切れ目に包丁の刃をあて、固い鬼皮を剥く。

最初に刃を入れるのは、栗の腹の部分から。

腹は、平べったい面。

その面すべてを剥ぎとるように剥く。

腹剥き終えた次は、丸い形の背中の鬼皮を剥く。

次に剥くのは渋皮。

底になる土台は、渋皮剥きに自然とくっついて剥がれる。

黒い部分とか、穴があればたぶんに喰っている虫がいるはずだ。

それらすべては排除。

最初は力が要ったが、何度か繰り返す皮剥きに包丁の使い方も慣れてくる。

こちらの情報もわかりやすい

時間がかかる面倒な作業を、ちょっとでもラクするなら、専用の道具を・・。

ネットで紹介されている栗くり坊主と呼ばれる特殊な道具利用がいちばんだろう。

専門的にワードを説明してくれるネット情報もある

尤も、プロの技は、そんな悠長なことはやっとれん。

さらに、刃物の違いは、相当なものだと思うが、洗練されたプロの早業には見惚れてしまう

皮剥きの方法は、ほぼ身についたが、難儀したのは茹で栗だったことだ。

生の栗なら、そんなことにはならないと思うが、茹で栗はアカン。

栗が崩れるのは当然だが、栗質がねっちゃねちゃだけに、剥くたびに栗質が包丁に絡みつく。

へばりつく、へばりつく。

べちゃっりへばりつくもんだから、包丁の切れはなくなる。

それでも何とかするが、4個が限界。



付着したべちゃ栗を水に流し、洗剤スポンジで洗っては、皮剥きの繰り返し。

途切れ途切れの休憩もいれて、やっとこそ終わった栗の皮剥き。



調理されている方たちの苦労がよくわかった。

そして今夜は、もう一度味わう栗ご飯。

実は、前回と違った炊き方をしてもらった。

炊飯器に少々の塩は、前回同様だが、たまたまネットに出てきたエバラ食品のプチッとシリーズを使ったアレンジレシピに目がいった。

見本に使われたプチッとは、プチッと鍋の寄せ鍋。

買い置きになかったから、プチッとうどんの釜玉うどんになったが、それはそれで美味く炊きあがった。



ご飯の味が、前回と違って、甘くて美味しいといったおふくろ。

そう、味は、とても濃くなって旨くなった。

(R3.10. 8、13 SB805SH 撮影)

2021矢田の里は原風景②

2024年01月20日 08時19分43秒 | 大和郡山市へ
今日、16日も矢田山の田園地を車に乗って散歩する。

3日前の13日に見た燻炭焼き。

田主さんの姿は見られない。

そのワケは・・・

見てのとおり。

燻炭焼きの山すべてが真っ黒。

全体に焼けができたんだ。

なかなか見ない状態に、この景観も撮っておいた。

この日は、方角を替えて北に向かう。

回り道になるが、矢田坐久志玉彦神社傍の里道を走行する。

道なりに巡り合えた稲刈り後の田。



なんとススキを立ててあった。

その先に見えた燻炭焼き。

相当な量をつくっていた燻炭。

さらに走った道なりの道。

距離はそんなにない。

短い距離に大きな建物。

そこは北矢田地域のスポーツ会館。



その裏側に見つかる女王・卑弥呼の里。

未だ立証はされていないが、観光協会が認めたある学者の私見・学説を取り込み、決めた卑弥呼の里。

発掘調査は、されたもの卑弥呼の里を示す明らかな事実根拠もない、あくまで想定、伝承地の里に訪れる人も・・

そこで出会った2基のススキ。



数年前に訪れた自然観察会にも出会えた稲藁干し。

三本の足を組んで立てたススキ。

矢田の里の風景にそっと寄り添い、佇んでいた。

ここ卑弥呼の里に出合った男性。

風景写真を撮りにきた、という。

先日は、なんと新潟県の糸魚川まで足を運んだそうだ。

この日は、県立民俗博物館の駐車場に停めて、ここまで歩いてきた、という。

私と、同じく里山の景観を求めて撮影。

えーとこだ、と思った景観地。

車では気がつかない散策道に見つかる。

撮る被写体は、時季をみてコスモス畑や、走る近鉄電車も・・

この地では、向こうに見える竹林。

林立する竹林の並びがいい、とさっきまで撮っていたようだ。

実は、風景写真を撮るのは手段であり、目的はリハビリ。

還暦間近に、病に伏した。

退院した今は、毎日がリハビリ運動に1万歩目標にしている、と話してくれた。

実は、私もだ。

平成27年に心臓・弁を壊して、大手術した。

リハビリ運動に丸一年かけたが、元の身体・状態に戻ることはなかった。

目標は、決めることなく歩ける範囲にとどめた。

その男性、根を詰めたら身体が動かんようになるから無理はしない。

勤めは近鉄タクシーの運転手だった。

お客さんを乗せて、ここ矢田の丘まで来ることもあったが、歩くのは初めて。

速度は、自然の景観を見つけるスピード。

病のおかげで、こうして自然を感じるようになった。

話によれば、住まいは奈良市七条・三松寺付近のようだ。

割合に近い、ご近所さんだったんだ。

男性と別れて、再び歩だした矢田の里。

遠目に見つけたあの場所にもあったススキ。



ハウス手前のススキ。

ここら辺りは、みな同じカタチのようだ。

あれは、と思って畝に降りたそこに見たことがある花が見つかった。



秋の草木。

フジバカマの花は、ご存じの方も多い「秋の七草」に数えられる中のひとつ。

名前は知っているが、花そのものは見たことがないという人も多い。

アウトドアで見つけたときのうれしさ。

そんなことから記憶に遺る花になっていく。

七草に数えられるフジバカマに特徴がある。

花のカタチとかでなく、海を渡る蝶が関係しているのだ。

自然観察会に、このフジバカマが見つかったら、間違いなく解説される蝶の旅。

その蝶こそ、アサギマダラ


そこに飛んでくれば、大ヒット。

出逢いにカメラマンは、感動するであろう。

私が、ここでずっと待つわけにはいかない。

一応、この畑にフジバカマが咲いていた状態は記録しておく。

さて、と。

腰を上げて帰り道。

垣内の集会所を迂回して車に戻ろう。

そう、時間も遅くなってきたから、お家に帰ろう。

と、ここまで登ってきたら・・・・

これは何だ。

まさか、お晦日に撒く神さんが通る砂の道か

ずっと続いている砂の道には違わないが、はて、これは何だ。

よくよく見た砂の道・・・ではなかった。

目を凝らしてみたソレはもみ殻だった。



題して、「もみ殻落としの道」。

この季節にあるあるでもない光景に出会えた。

(R3.10.16 SB805SH 撮影)

2021矢田の里は原風景①

2024年01月19日 07時41分45秒 | 大和郡山市へ
今年も、この時季になれば矢田山山麓下の田園地に出かける機会が生まれる。

今年度も開催される大和郡山市の芸術祭がある。

展示会場は、三の丸会館。

ときおり出かけては、ペダル漕ぎの器具に跨り、リハビリ兼ねた運動をしているトレーニングルームも利用できなくなる大和郡山市芸術祭。

写真、日本画、書、工芸など多彩な芸術が観覧できる。

会場は多目的利用ができる体育館。

その部屋を利用している三の丸クラブは、すべて利用できないが、代わりに利用できる施設。

今や世界的に知られるようになった全国金魚すくい選手権大会が催される会場でもある。

その会場はその名も「金魚スクエア」。

三の丸会館から移ってくる短期間利用の「金魚スクエア」に、家人の送り迎えがはじまった。

昨年に続く、この時季の矢田の里探訪。

今回もまた、季節を愉しんでいきたい。

本日、13日の行先は裏矢田寺方面。

正面からの参拝であれば車は途中まで。

降りて階段を登る気力がない。

身体的都合により、車で向かった裏矢田寺の駐車場。

自然観察会でもお世話になった駐車場。

そこから見下ろす田園の地が美しい。

今日もそのつもりに矢田行きの登坂を・・・

指標にしているお地蔵さん。

三叉路でもなく四叉路でもない、右折れカーブの地点。

普段見なかった献供の花。

どなたが、献花されたのか、存じないが手を合わせたくなり、車を一時停車した。

上に登る道は畑道。農家さんが軽トラで侵入する私道。

左に顔を向けた方角は南。



ぬぁんと土壁の小屋すぐそばに柿の実成り。

細い道は村の里道。

轍に単車が往来しているのでは、と思った。



向こうに見える勾配の強い坂道が見える。

少し歩んで見上げた柿の木。

重さ感じる枝ぶりの実成り。

ここの場から、見れば一目瞭然。

下る坂道に、登り道が向こうにある田園地に繋がる。

坂をほんの少し下って、見返した実成りの柿。

アンダーから撮ってみたが、空がやや曇り。

その状況であれば、晴天の後日に、また来るよ。

引き返し、戻りの道。



実成りの柿の左に薬師堂がある。

名もなき?お薬師さんを安置している「薬師如来」堂。

ここへ参られたら唱えてほしい薬師様へのご真言「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

早い話が、「痛いの 痛いの 早く飛んでけ」だ。

辻の地蔵さんの導きに稔りの柿に、お薬師さんにもお詣りができた。

そうそう、本来、見たい景色を忘れていた。

行先は、駐車場。



そこから見下ろす田園カーブ。

このラインが大好きな景観。

四季巡りに来てみたいと思っているんだが、つい日々の暮らしに埋もれてしまう。

里道の向こう側にある稲作地。

手前は刈り取った状態だからわかるが、その向こうは雑草に覆われている。

田主を失った畑地は、もう戻ることはないだろう。

近場のお出かけ車乗り散歩はここまで。

戻った道に見た稲作地。



柿の実成りは見られるものの稲刈りは、まだまだのようだ

色濃くなってきた柿の実成り。



甘柿のように見えるが・・さて、さて。

さらに下った、そこに見た燻炭焼きの姿。

誘われるようにハンドルを回す。



今、はじめたばかりだ、という燻炭焼き。

煙の香りを嗅ぐのは、後日。

田主さんの撮影許可を得てシャッターをきった。

一旦は、ここを離れて自宅に戻り、クラブの終わる時間に再び戻ってくる。

(R3.10.13 SB805SH 撮影)

御所池之内・U家のハデカケ

2024年01月18日 08時12分44秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所市・池之内の畑地に見つけた屋根付き家型の藁積み

奈良県内に、同型の藁積みを探してきた。

どこにでもありそうな雰囲気もあるが、なかなか見つかるもんでもない。

この屋根付きの家形に組んだ藁積みを気にしだしたのは、県立民俗博物館・学芸員から求められた藁干しの「ジンド」をご存じですか、の問い合わせがきっかけ。

平城京跡の発掘調査作業を記録していた一枚の写真。

その古い写真に映っていた稲田の開墾らしき映像について、一般市民から問い合わせがあった。

写真の映像を拝見できていない学芸員が、言葉で説明してくれた稲藁積み。

一般市民は、その藁積みは「ジンド」と呼んでいた。

たぶんに、農家さんであったろうと推測するが、なんせ実物も見ていない学芸員。

民俗のあれこれをとらえてきた私にご存じでしょうか、とクエッション。

もしか、とすれば、大和郡山市内の一部、田園地の地域にあったアレではないだろうか。

学芸課長の話によれば、大阪の河内から生駒。

奈良市から大和郡山市に見られたジンドと呼ぶ藁積み。

名称は「箱ジンド」とも、いうらしい。

ネット検索では、ひっかからない「箱ジンド」キーワード。

ところが、数年後に引いた「藁積み ジンド」をキーにぐぐってみれば、写真家入江泰吉が遺した“薬師寺と藁の風景”の展示写真にあったようだ。

掲載記事は、毎日新聞

撮影地は、奈良市六条町1丁目の集落から薬師寺を望んだ景観。

なんと、住まいする我が家か近距離にある地区。

尤も、とらえた映像は、金堂、西塔が復興される前の1955年(※昭和30年/そのころの私は4歳)の西ノ京の景観。写真に入江泰吉のキャプションがあったからこそ、判明したと考えられる「ジンド」。

一度、その映像を確かめたくなった。

「入江泰吉記念奈良市写真美術館」に開催される知人たちの各グループ写真展に出かける機会がある。

その際に、探したい入江泰吉がとらえた「昭和の思い出」を遺した写真集を求めてみよう。

話題は、県立民俗博物館・学芸課に戻そう。

それは、このような形ではないでしょうか、と略図絵を書いてお見せしたら、これです、という。

藁積みの形は屋根に藁を葺いたような家型の藁積み様式。

その後、何度か訪れてわかった地区は大和郡山市の池之内町、小南町、豊浦町、小泉町(東)、万願寺町、小林町(北)に田中町。

大和中央道沿い。

道路を挟む東・西に広がる地域。

奈良県の主な無花果生産地
であり、無花果を栽培している畑地に敷く藁土の乾燥を防ぐ用途であった。

生産地は、他に明日香村とか下市町もあるが、藁積みタイプはみない。

平成30年(2018)12月8日に聞いた一般市民の問い合わせから、「ジンド」名称を調べてきたが、未だ奈良市内にあったとされる同名のカタチは見つかっていない。

さて、今日の本題は、屋根付き家型藁積みを設置していた田主のUさん家族が稲刈りをする作業を拝見することにある。

U家の稲刈り作業は、朝の9時ころから正午時間になるようだ、と聞いていた。

そちらに着くのは、早くても午前10時半ころ。

そのころであれば、稲刈りから稲架け作業。

干す行為を主に見せていただきます、と伝えていた。

ここ池之内の集落はおよそ100戸。

北・南・中垣内他、垣内集落であるが、ハザカケをしているのは、U家含めて3軒。

かつては、もっと多くの農家さんがしてそうだが・・

稲の育成状態に例年とは異なる状況になるかもしれない。

そう思って作業される予定日の1週間前に電話を入れた。

「今年は、土曜日の9日に日曜の10日。前日の9日は、別にしている田の稲刈りやから10日に来てもらったらえー。ただ、露が降りたときは、稲は少しでも乾かさんとあかんから、そのときは午前10時からはじめる。子どもたちも手伝う稲刈りに、“ハデクミ”は、お昼前後になるから、午前11時に来てくれたらえーやろ」と伝えてくれた。

到着した時間は午前10時半。



稲刈りに稲架け作業は、あの小屋の近くしているから、と聞いていた。

たぶんこの小屋の向こう側。

車を停めて歩いていったそこに家族さんが作業中。



稲架けはかなりの数量である。

数列に並んだ稲架けは、終盤に近いのでは、と思った。

のこのこ近づきながら撮影していたら、そこはお隣さんです、と声が聞こえた。

そうなんだ。

手前の稲架けは、お隣さん。

その向こう側がU家です、と教えてもらって、一歩、二歩、足を進めた。

稲刈りは一条刈りの自動藁括り付きの小型バインダー



この田のすべてを刈り取り、稲架けも終えた田だった。



その向こうにおられたのが、Uさんとその家族。

手前に見た一条刈りの自動藁括り付きの小型バインダーが刈り取った稲束を田にいっぱい広げていた。

逆方角の西にあたる山々は葛城山系。



右手が葛城山で左手が金剛山。

冬場に登った耐寒訓練。

大阪府立の東住吉工業高校に在学中は、必ずや登る積雪山の金剛山。

我が家は貧しく、アイゼンさえ買えなかった家の事情。

アイゼンなき生徒は、その代わりに草鞋、ではなく、運動靴に滑り止め。

荒縄をくくって大阪・千早口から登った。

衣服は工業高校そのものがわかる上下の作業服。

今と違って、寒い、冷たい耐寒訓練。

衣服は冬用でもない、普段は学校で旋盤や鋳物加工などの学習に着ていたオールシーズン用途の作業服。

防水、防寒なんてまったくない時代の作業服。

雪が解けて運動靴がぐちゅぐちゅ。

次の年度は、ゴム長靴に替えたが、衣服も荒縄も同じ。

昭和40年半ばの高校生の時代を思い出す。

そのことは、ともかく池之内の稲刈り作業にできる限り、写真を撮らせてもらう。

そうこうしているうちにはじまった稲架けの組み立て。

77歳だ、という田主のUさん。

三本の木材で組んだ「ウマ」。

長い竿の長さに合わせて組んでいく。



斜めに打ち込む脚は3本。

組んだ「ウマ」に、水平に一本の竿を据えていく。

打ち込む道具は、農の営みに欠かせない槌。



重さがあるから、振り上げては脚支柱を打ち込み。

こうして出来上がった稲架けの構造物を「カコ」と呼ぶ。

「カコ」の端っこは、3本脚。

そう、いわゆる三脚構造である。

長く伸ばして、竿を継ぎ足す脚は2本。

U家の稲作地は、300坪の一反の広さ。

作付けは、奈良では必ず言われる「ヒノヒカリ」。

圧倒的に多いヒノヒカリ
である。

休みの日に手伝ってくれる息子に娘家族。

孫も一緒に、みなが手伝うU家の稲刈り作業。



柿も色づく時季の稲刈りに家族総出で取り組んでいた。

東の端まで架けたハデカケ作業。



まだまだ架けなきゃならない束がいっぱい並べている。

ハデカケに、母親がしていた稲束は2;8割り。



割ってはかけ、次の束は8;2に割って交互に架けていく。

こうして架けていく、と荷重が安定し、隙間なく詰められるのだ。

地域や、人によってその割合は、それぞれ。

これまで、私がみてきた架ける割合は、3;7分けもあるし、4;6分けも。

とにかく、5;5分けの等分はない。

あれば、その行為は農家さんでなく、にわか農家であろう。



母親とともに作業する息子さん。



孫とともに作業する娘家族。



呼吸もぴったり合わせて架けていく。



その姿も撮っておきたい家族のカタチ。



ハデカケは10日間から2週間ほどの天日干し。

そうすれば、お米が甘くなると、どこも同じ。

農家さんが話してくれた天日干し効果を思いだす。

天日干しが終わればウスヒキ(※臼挽き籾摺臼・木摺臼・土摺臼)。

籾取りから玄米に。

かつては池之内も牛耕だった。

牛から移り替わった耕運機。

大きな家が、耕運機を所有し、みなが集合するか、あふれた家は家にもっていって耕していた。

ハデカケに干した稲藁を欲しい人は、スイカとか、つる性の成りもの畑地栽培に敷いたり、藁が腐ったりしたら肥料にするし、籾は焼いて燻蒸し、土壌を改良する燻炭になる。

余すことなく再利用している農のSDGs。

隣の田もハデカケをしていたが、高齢化にともない土地は放置せざるを得なくなり、畑地に転化し。

桃とか蜜柑を植えていたが・・・

現在はシルバー人材に来てもらって雑草を刈り取り。

池之内の西にもハデカケしているから見ておくといい、と云われて車に乗り込んだ。

ちなみにこちら池之内では「カコ」と呼んでいる稲架けの木製構造物。

大淀町・大岩に住む知人のKさんは、池之内と同じように「カコ」と呼んでいた



距離は離れているが、同町の馬佐に住んでいるHさんは、「私のとこでもそう呼んでました」と、伝えてくれた。

また、Kさんもご存じの高取町・丹生谷に住むNさんも同じように「カコ」と呼んでいた。

かつて取材した明日香村の上(かむら)在住のFさんが話していた「カコ」



また、和歌山ではこれを「ナル」と呼んでいる、と娘さんが話してくれた。



和歌山在住の知人も、稲架掛け材の丸太を「ナル」と呼んでいた

ところ代われば、名称も替わる事例である。



取材から、二日後の12日。

近畿農政局が発表した今年のコメ作柄は平年並みの見通しがたったという。

ただ、主食用の米は、新型コロナの影響などで在庫が膨らんでいるようだ。

また、昨年は、害虫のトビイロウンカによって大打撃を受けた地域も多かったが、収穫量は前年よりも27キロ増加であるが、現状は平年並みのようだ。

なお、本編のトップ画像は、稲刈り終えたU家の田に咲いていた花はサクラタデ。

タデ科の仲間のうち、私が思う最も可憐で美しい。

参加していた自然観察会に見た大和郡山・矢田山の山麓以来。

滅多に遭遇しない花だけに撮っておいた。

(R3.10.10 EOS7D 撮影)

大和高田市奥田・N家の独り作業の稲架けにイノコのデンゴロモチ詞章を知る

2024年01月17日 08時53分25秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所・池之内のハデカケを撮影してきた

ときには、時間的に余裕ができたこの日。

休憩を兼ねて入店した道の駅御所の郷

とっておきの買い物を済ませても、夕刻までの時間は、まだまだ余裕がある。

こういうときこそ、ぶらぶら探してみたい暮らしの民俗。

御所市内を外れたこの地は初めてだ。

奈良県の平坦部から東の山々を眺め、御所の葛城山とも離れてきた。

東の山、西の山の稜線さえわかれば、だいたいの位置はわかるが・・

カーナビゲーションが示す、ここは大和高田市の西の端。

葛城市からみれば、東の端。

走行していた国道24号線・忍海辺りの信号を東に向けて曲がったのであろう。

どの道を走行してきたのか、途中経過がさっぱり記憶にない。

集落は見えるが、近場ではない。

今は、時期が時期だけに、稲刈り作業中の田園を探していた。

ここ奥田の田園地付近に停車した時間帯は午後2時40分だった。

ハゼカケもあるから稲刈りは、もう済んでいたのだろう。

そのハザカケに一人の男性の動き。

二条刈りの小型バインダーで刈り取った稲を、するするっと藁束にしてくれるバインダー。



ぽん、ぽん、ハザの近場に置いていく。

ここも同じように、掴んだ藁束を分割。

3割、7割分け、或いは4割、6割分けに順次架けていく様子がよくわかる、その動きは交互に。

3割、7割分けなら、次は7割、3割分けの藁束を架ける。

こうしておけば、隙間なく、しかも崩れにくい架け方。

男性がしていた作業をしばらく見ていた。

見ていた場に近づいてこられたので、そのときにお声かけ。



撮影、聞き取りなどの承諾を得て緊急取材。

昭和27年生まれのNさんの実家は、そこ、だという。

稲作、畑作仕事ができなくなった老親。

年老いた親の代わりにNさんが作業する稲田の耕作地。

所有する土地は、そんなに広くはないが、田んぼはそのままにしたくない。

自動走行する稲刈りに、自動藁束止めのこの農機は、重労働を支援してくれる。

なんせ、お一人でされている一連の農作業だけに助かる二条刈りの小型バインダー農機。

「カコ」の呼び名をもつ構造物。

木材を組んで、縦一列の稲架け。

朝7時からはじめた農作業。

午後3時のこの時間帯。

中央を残して周囲すべてに稲架けを済ませたい。

刈り取った稲束は天日干し。

甘くて、ふっくらなご飯が炊ける天日干し

「カコ」は、2段に稲架け。

田んぼに広げた農機が刈り取った束を集めて、「カコ」に架ける。

その繰り返しに、2段目も被せるように架ける。

残りは後日。

設備の準備や、片付けもいれた通しの4日間。

すべてが一人作業なだけに4日間もかかる。

ちなみに稲架けする構造物を「カコ」と、呼ぶ地域は多い。

平成29年の1月15日の民俗取材

小正月に小豆粥を枇杷の葉にのせて巡拝していた明日香村・上(かむら)のFさんが話していた「カコ」。

3本脚を組み、水平に据えた稲架け道具を、そう呼んでいた。

また、本日の午前中に取材していた御所市・池之内のU家も同じく、呼称は「カコ」。

大淀町・大岩に住む知人のKさんに、高取町丹生谷のNさんも、そろって「カコ」と呼んでいた、と伝えてくれた。

広範囲に亘る「カコ」の名称。

奈良県北部や東山間地の地域では聞いたことがない。

十津川村や五條市・旧大塔村だった永谷などでは「ハダ」・「ハデ」、「ハゼ」。

地域によって呼称はそれぞれ。

なぜにそのようになったのかわからないが、地域的な生活文化面が寄与している、としか思えない。

話題は、大和高田市奥田のNさんの語りに戻そう。

昨年は中国大陸南部の国、ベトナムデルタ域から風にのって飛来したウンカにやられたが、微々たる領域に収穫はほぼ確保できた。

それでもウンカ被害に見舞われた、と申請したら補助金が出た。

収穫したお米は、野球部活動する2人の孫がほとんど食べてしまう。

そういえば、こんなことをしていたな、と回顧してくれた貴重な詞章。

子供のころにしていた、と突然に思い出した詞章は、「ここのよめさんいつもろた3月3日に・・・」。

いわゆる、亥の子行事に囃していた「デンゴロモチ」の詞章である。

おじいさんがつくった「デンゴロモチ」と呼ぶ藁束。

子どもたちはその藁束を手にして、地面を叩いていた時代。

60年も前のようだ。

集落をめぐり、各家から菓子などをもらっていた、と話してくれた。

Nさんが10歳くらいのころ。

集落の子たちとともに行動していた亥の子行事。

一部ではあるが、今でも記憶に遺っているのもすごい。

当時の体験は、おそらく対象年齢を卒業するまでであったろう。

「ここのよめさんいつもろた3月3日に・・・」の詞章。

現在は、実施されていないが、かつて行動していた明日香村・下畑の事例にあてはまる。

「いのこのばんに おもちつかんいえに はしでいえたて かやでやねふき うしのくそでかべぬって ここのよめさんいつもらう 三月三日のあさもらう」であった。

村史によれば、檜前(ひのくま)は「亥の子の晩に 餅つかん家は 箸でいえ建てて 馬のフンで壁塗って ボボの毛で屋根葺いて ここの嫁さんいつもろた 三月三日の朝もろた イワシ三匹 酒五合 しんまい藁で祝うたろう もうひとつおまけに祝うたろか」と、囃す。

近隣の上平田の詞章は、「いのこのばんに もちつくいえは はしのいえたてて うまのけで やねふいて ここのよめさん いつもろた 三月三日のあさもろた いわし三匹 さけ五合 しんまいわらで いおてやる」

越は「いのこのばんに もちのつかんいえは はしのいえをたてて うまのくそで やねふいて しんまいわらでいおてやろ ここのよめさんいつもろた 三月三日のあさもろた いわし三匹 さけ五合 しんまいわらで いおてやろ」

しかも、である。

Nさんが体験した「デンゴロモチ」と呼ぶ藁束の名称が明日香村の上平田、越にもみられるし、高取町の森も同じ。

同町の佐田とか、大淀町の上比曽もほぼ同じ
だが、3月3日であったり、正月の3日とか、5月3日の事例もある。

日付けの違いとか、前後の囃し詞の違いは、地域性な訛りに多少の変化がついた、ということだろう。

亥の子行事は、大和高田市だけでなく明日香村や大淀町。

高取町にもあった、ということだ。

・・・あと少しの作業に、飲み干す一杯が潤す喉の渇き。

すぐ近くに設置している自動販売機にあった飲み物を購入し、のどを潤してから、またひと仕事。

雨が降るとの予報にもう少しの作業。

自宅に戻って、ひと風呂浴びて、一杯飲んだらぐっすり寝てしまう。

疲れは就寝でとれる。

朝になったらスッキリする、この4日間の農作業。

定年退職後も勤めている業務用エアコンの会社。

大阪府警に常駐する維持管理の仕事にも携わっている、と・・・

難しい仕事でもないが、維持管理に目が離せない。

そうはいっても事業所に連絡するだけやから、と笑っていた。

(R3.10.10 EOS7D/SB805SH 撮影)

御所池之内・西のハデカケ

2024年01月16日 07時16分22秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所市池之内のハデカケ作業を拝見していた時間帯は午前10時半ころから正午時間を過ぎたころ。

ぐうぐういいだしたお腹を満たすために探した食事処。

南の戸毛にあった台湾料理店


ほっこり食べて、再びやってきた池之内。

ハデカケ作業中に教えてくださったUさん。

池之内集落は広い。ここは集落から東の地にもハデカケがある。

こっちにしている戸数は少ないが、西は戸数が多い。

見ておいた方がいい、と紹介してくれた西のハデカケ。

距離は、すぐ近くにしている西のハデカケ。

到着した時間は、午後1時半。

えらく遅くなったのは、距離ではなくUさんの娘婿との会話が、盛りに盛り上がったからだ。

民俗話題が広がる体験談などの話しに気がついたら・・・

たしかにここ、西の地は景色も拡がる。

向こうに見える山々は、右に葛城山系。

左に金剛山が並ぶ景観地。

その麓を走る京奈和道。

平行線上に稔りの稲穂も並行する。



さらに、線上にあるのが太陽光発電の無機質な構造物。

その下に横並びのハデカケ。

線上に並んだそれぞれが美しく輝く。

欲をいえば、午前中の時間帯が望ましい。

それも昇る朝日がさす頃の時間帯。



少し、右寄りに移動したそこに柿の実成り。

色の変化はまだまだ先の柿の色具合。

熟すには、数週間は待たないと・・・

そこから見ていたハデカケ。

その奥に見た農機。

稲刈りするとともに袋詰めしてくれるコンバイン・バインダー


農機近くに人の動きが見えた午後1時40分。



お昼の時間を済ませて、再び作業をはじめた農家さん。

手前のハザカケにはまだ人の動きがみられない。

それぞれのお家の事情による時間帯なのだろう。

(R3.10.10 EOS7D 撮影)

業務スーパー売り神戸物産のスンドゥブチゲの素キムチ味で食べるスンドゥブチゲ鍋ラーメン

2024年01月15日 07時39分21秒 | カンタンオリジナル
ずっと、ずっと待っていたスンドゥブチゲの素キムチ味。

神戸物産のスンドゥブチゲの素キムチ味

売り場は近くの業務スーパー。

1袋が105円の商品。

その味は、食べたことがあるから、舌も口もみな覚えている2倍濃縮タイプは2人前。

お得な商品でもあるが、味も決め手に買っていた。

野菜、豚肉などを入れた鍋料理にするのが一般的。

我が家は、食べ終ったスンドゥブチゲの残り汁に生ラーメンを投入し、ぐつぐつ煮る。

これが旨いだなぁ。

野菜の甘さに豚肉の旨味が詰まった残り汁。

今回は、鍋料理後でなく、野菜、豚肉入れて一通り。

そこに生ラーメン。

藤本食品の生ラーメンは3玉入りで88円。

本来なら菊水の生ラーメンを使うのだが、今日のお昼に食べたいとリクエストがあったもんだから、たまたま買っていた藤本食品の生ラーメンの2玉を・・。

ぐつぐつ煮立てた鍋は小型に近い中型鉄鍋。

本来なら独り鍋で用いる鉄鍋だが、めんどくさいから2玉ごと入れた。

仕上げに生玉子。

煮立てるんではなく、半熟程度に。



鍋ごと食卓にのったスンドゥブチゲの素キムチ味で食べるスンドゥブチゲ鍋ラーメン。

小鉢に食べたいだけの麺を箸で挟んで移す。

ふーふーもせずに食べたスンドゥブチゲ鍋ラーメンが旨い。

こてこてに煮込んだスンドゥブチゲ鍋ラーメン。

どんだけ食べてもなかなか減ってくれない。

同じように鍋をつついて食べるかーさんも、そう思っていた。

食べきったお腹はパンパンに膨れた。

数日後である。

生ラーメンは1玉残っているでしょ、の問いに答えたかーさん。

冷蔵庫に見当たらない。何故に・・。

そう、この日のスンドゥブチゲ鍋ラーメンは、3玉入りだった。

それならわかるが、何故に3玉とも入れたのか・・。

ラーメンは、玉ごとの切れ目がなかったから、すべて入れた、という答えに、そんなぁ・・。

(R3.10.13 SB805SH 撮影)

道の駅御所の郷・林とうふ店のざる揚出し豆腐

2024年01月14日 07時42分27秒 | あれこれテイクアウト
御所のハザカケ取材の帰り道。

休憩も兼ねて入店した道の駅御所の郷。

あっ、ここにも林とうふ店のざる揚出し豆腐があるやん。

林とうふ店は、吉野山の一角にある豆腐店。

林とうふ店が提供する美味しいざる揚げだし豆腐。



はじめて出会えた道の駅は、道の駅宇陀路大宇陀の物産

その後、知人が教えてくれた道の駅は、大淀町の道の駅吉野路Iセンター

林とうふ店のざる揚出し豆腐を買うと、おまけにおからがついてくる。

これが、むちゃ旨いんだなぁ。



もらったおからは調理されて食卓に上った。

炊事場に並んでいるときから、えー香りが漂っていた。

具材は細かく刻んだシイタケ。

これがえー味をつくっていた。

ニンジン、コンニャクにチクワも、というから、そのチクワの効果も大きい。



おから料理は我が家の味になったのが嬉しい。

(R3.10.10、11 SB805SH 撮影)

宮城製粉の牛タンしぐれのせ野菜かき揚げうどん

2024年01月13日 07時45分59秒 | カンタンオリジナル
民放各局のあっちこちのテレビが紹介されるケースが多くなってきた。

その店舗は業務スーパー。

美味しいもんが格安で手にはいる。

その食文化の美味しさを家庭に伝える伝道師こと業務田スー子さん。

もはや売れっ子タレント。

紹介のすべてが美味しく見えて仕方がない


その一つに瓶入りしぐれシリーズ。

もっとも紹介される前から存じている瓶入りしぐれシリーズであるが、なかなか手を出さずにいた。

1カ月前に放送された牛タンしぐれの食べ方。

かけうどんに最適と判断された品物は「牛タンしぐれ」。

白い瓶で売られているのを、どこをどう間違ったのか・・・・。

そのときの私がどうかしている、としか言えない判断。

なんと赤色の牛そぼろを買っていた。

気づいたのは数日後。

あらためて買ってきた白いラベルの牛タンしぐれ。

甘辛しょうゆタレに濃厚な味わい。

赤いラベルは、牛すじ使用にピリ辛みそ味の「牛そぼろ」。

それにしても、しぐれとそぼろの違いはなんだろうか。

調理方法にしぐれ煮とそぼろ煮がある。

ネットに見た解説のしぐれ煮は「時雨煮の略称。ハマグリやアサリといった貝や牛肉等にしょうがを混ぜて甘辛く煮た佃煮のことである。味が濃い」。

一方そぼろ煮は「焼いたり蒸したりした肉や魚をほぐしてポロポロになる様に炒り上げ、塩や砂糖、醤油などで味付け」とある。

要は、佃煮同様にしぐれ煮も煮詰めた調理法。

調理素材を汁気がなくなるまで、ばらばら炒めにする方法。

元来の語源に租朧(そおぼろ)があり、もっと細かくしたのが朧。

粗いのを”そおぼろ”としていたが、発音を短くし、そぼろに。

そのそぼろ状にした食材に味つけしたもの。

質感がねっとりするしぐれ煮に対してバラバラ感が目立つのがそぼろ煮、という食感の違いもある。

おぼろの例として「でんぶ」がわかりやすい。

話題は、今日の昼めしうどんに戻そう。

前日に買って食べた野菜かき揚げ。

私じゃなく、かーさんであるが、半分を残しておいた、というから、それなら、と昼めしに決めた牛タンしぐれのせ野菜かき揚げうどん。

久しぶりの熱々うどん。

残り一玉あった業務スーパーの冷凍うどんにのせてみよう。

刻み葱を振って、半切りの野菜かき揚げを置く。



そして開封したばかりの牛タンしぐれをうどん鉢に移す。

スプーンに掬って一杯では足らんやろう、と思って三杯。

やわっと混ぜて食べた牛タンしぐれのせ野菜かき揚げうどん。



うん、ちょっとクセのある味だなぁと思った。

牛タンの味は何ひとつ感じないが・・。

気になった味は、ラベルを見てわかった。

私はまず口にしない一品。

我が家の中庭に植わっている山椒である。

そう、私は山椒が苦手だ。

鰻まぶしは食べるが山椒は振らない。

牛タンの旨味を消す山椒。

ピッと感じる態度ならいいのだが・・

牛タンしぐれそのものは美味しいのだが、熱々うどんでは不向きだと思った。

何故にわかるかと、いえば、直に食べてみた牛タンしぐれは美味いんである。

山椒の嫌な香りもなくぱくぱく食べられるのであるが、熱々うどんでは、旨さを引き下ろしてしまう。

じゃ、今度は冷やしぶっかけにしてみるか。

それから、数日後の13日。

炊き立ての朝ごはんがほくほく。

こういうときにかけてみたくなるのが、買い置きのふりかけ。

それもあるが、今回は牛タンしぐれ。



うどんも美味しいが、あつあつごはんも美味しくいただけた。

(R3.10.11、13 SB805SH 撮影)

御所戸毛・汇鑫源の塩ラーメン+若鶏唐揚げ飯

2024年01月12日 08時08分49秒 | 食事が主な周辺をお散歩
午前10時半ころから取材していた御所池之内のハデカケ作業

お昼の時間はちょっと過ぎたが、朝9時からはじめた一反栽培した稲刈りにハデカケ作業。

夏の猛暑が戻ってきたかのような暑い盛りの時間帯。

数回の休憩を挟んでようやく終えた。

今日の昼めしは、どこに行く。

いつもと同じ、近くにあるファミマの弁当でも、買って車中食に、当初は思っていたが、方向転換。

台湾料理を提供する食事処に決めた。

池之内から南下。

それほど遠くない距離にある台湾料理店は、この道を通るたびに気になっていた料理店。

町中華でなく、奈良県内の何カ所かにあるチェーン店。

いずれも美味しい料理を、同じ味、同じ金額で提供する台湾料理。

かれこれ何カ所も口にした味は、とにかく美味いし、量も多いうえに、格安。

期間が離れるにつれ食べたくなる台湾ラーメン。

昨今は、塩ラーメンに移りつつあるが・・。

立地は御所市戸毛の右急カーブ道の左角。

店名は、入店して初めて知った”汇鑫源(カイシンゲン) ”

食事後に尋ねたお店の名前は・・・むにゃむにゃ・・・。

はっきり聞こえない。

なんどか聞き直し復唱したそれは「はいしげん」、それとも「かいしげん」。

どっちでもないかもしれない。

帰宅してやっとわかった正式な呼び名は“かいしんげん”。



台湾文字も難しいが、呼び名も難しい。

注文前に決めた麺類は塩ラーメン。

暑さに疲れた身体を、ほっとさせてくれるのは塩ラーメン。

台湾ラーメンは、これから出向くとき。

勢いをつけたいときに食べたい麺。

塩ラーメンは、落ち着きを取り戻したくて選んだ塩ラーメンである。

お店にあるメニューは数々あれど、選択肢は限られ、結局のところの落ち着き先は平日が770円のセットメニュー。

数種類ある指定の麺と飯からお好みを選ぶセットメニュー。

あれこれ迷ったが、塩ラーメンに若鶏唐揚げ飯に決めた。

本日は日曜日だから880円。

税込み880円のセットメニューは財布に優しい。

注文してから3分も待たずに配膳された塩ラーメンに若鶏唐揚げ飯。



こりゃ食べられるんやろか。

実は、注文時にふと気になった食べられる量であるのかどうかだ。

若鶏唐揚げ飯のご飯の量だけを少なくする手もあるが、ここ台湾料理店は、なんと、食べきれなかったときのために持ち帰り空パックをいただけるので胃袋も助かるし、持ち帰って夜ごはんにも廻せるから、おかずも減らせる。

ただ、注文時にお願いするとき、持ち帰りと伝えたら、持ち帰りのメニューもあるから、それと勘違いされることも・・・。

言葉が通じにくい店員さんには、ナイスコミニュケーションをちゃんとしないと・・。

云った、云わないに騒動が勃発する可能性もあり得る話だ。



まず、口にした塩ラーメン。

優しいスープ味が心を癒してくれる。

温かいなにかに包まれそうになるスープ味が旨すぎ。

チャーシューははとろとろ。

コクのある味に麺とスープ上手く絡んでくれる。

メンマは太く、長いタイプ。

しっかりした味つけに歯ごたえも感じるメンマも、また美味しいスープに絡んだ麺が、ずずーーー、ずずーーー。

至福の味に美味しれる塩ラーメンに大きなキクラゲもえー仕事をしている。

シャキシャキ、コリコリのキクラゲ。

我が家でも生キクラゲを食卓に味わっているが、これほど強く感じるものではない。

調理に熱い炎のない厨房では、その食感を引き出せないのがつらい。

半分くらい食べきったところでバッターチェンジ。



いや、そうでなくラーメンから若鶏唐揚げ飯にバトンタッチ。

これもまた旨い若鶏唐揚げ飯。

どっちかといえば、あっさりしている味。

そう思ったが、旨味がどどーんと押し上げてきた。

筍、人参、白菜、キクラゲ、マッシュルーム、チンゲン菜、しめじなどを強火で炒めた上に、餡かけ。

とろみのある餡かけに、唐揚げも絡んで食べるご飯が旨い。

旨味の餡がかかったご飯って旨い。

おまけにこんなけ多いシャキシャキ具材の野菜たち。

コリコリ感もあるし、ゴリゴリ感も。

くりっとしたマッシュルームも旨い。

餡かけのから揚げもえー仕事してくれる。

ガツガツ食べた若鶏唐揚げ飯は、半分が限界と判断し、パック詰め行き。

ラストスパートは、残り半分の塩ラーメンに勢いを。

最後の〆に胡椒を振って食べきった。



パック詰めに、これももったいないからと使用した丈夫な箸も持ち帰り。

支払いは現金払いの”汇鑫源(カイシンゲン) ”戸毛店。

実は、”汇鑫源(カイシンゲン) ”は、桜井市河合にもあるそうだ。

戸毛は現金支払いだが、河合店はクレジットカード支払いが可能。

おまけにもう1店舗。

”汇鑫源(カイシンゲン) ”は、上牧町にもあるようだ。

レジ支払いのときに気づいたドリンクサービス。

サービス精神がすごい”汇鑫源(カイシンゲン) ”に、思わず、どんなけーー、と心の中で叫んだ。



この時間帯に食事を摂っていたご夫婦にペア、独り、2人組作業員、子供連れの2家族グループ。

台湾ラーメンの注文もあったが、塩ラーメンは3人も・・。

(R3.10.10 SB805SH 撮影)