JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

絵日記 我々はどこに行ったかというと

2009-07-20 21:08:22 | その他


3日間の連休でしたが、始まる前の金曜日には17年ぶりに大学時代の友人が遠くから上京しましたので、当時の友人の幾人かと会いました。
奥さんも友達なので、わが家に泊まってもらって、なんと私は4時近くまで話してしまいました。とてもうれしい一日で、宿泊代として名産の桃を送ってくれるそうで楽しみです。

そして最近なくなったおばさんの49日があって、あっという間に時は過ぎて、今生きている人たちはとりあえずその時を確認するのです。

そのような日が続いた連休最後、我々はどこに行くのでしょうか。
言葉が軽薄になりましたが、早く行かないと、きっと混合っていくことが予想されるゴーギャン展に行くことにしました。
国立美術館というとつい上野を思い浮かべてしまうので、上野に向かって出かけましたが、途中急に気になって携帯で検索、竹橋でした、この間違い東京の人結構あるんじゃないかと思います。
それでも早く着くことができて、開場20分前、結構前のほうでよかったよかったです。
混まないうちに入れたので自分のペースでみることが出来ました。
ゴーギャンの絵画をまとめてみる機会は今までなかったような気がします。
だからとても良い出会いでした。
“我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこに行くのか”
というゴーギャンの自殺行為の後の遺書的大作がメインになる展示です。
みられた方も多いとおもいます。私自身は画風としてはゴーギャンにそれほど思いいれがありませんが、その作品にはもちろん感動いたしました。
大作には皆さんどこに目が行ったでしょうか。
ゴーギャンの化身としての犬でしょうか、それともすべてを見据えるような神像で消化、亡くなった最愛の娘アリーヌといわれる像でしょうか、私近づいて目を凝らしたのは亡霊のように後ろに居る二人の女性?でした。
我々はどこに行くのか、疑問に対してとても神秘的に、もしくはそちらの側ではすべてが解りながら表に出さないような深い闇の部分、ここを解き明かしたいと感じます。
もうひとつ一番左端の白い鳥、力を持たない言葉で、この二つ、やはり私に合っているのでしょうか。
ゴーギャン自身タヒチに野蛮な本性を求めながら、最後まで同化できない一生だったのです。
ゴーギャンがモデルになった当地の妻パフラに対しても次のように書きます。
「イヴのようね、彼女の船体はなお動物的である。・・・・謎のように彼女はあなたを見詰めている。」

ゴーギャンが最後まで不安に思った人間の持つ行く末にに対しての不可解、それはゴーギャンの展覧会を観てもどこに行くわけでもなく、タヒチの女の視線の底は謎のままでした。

ただ我々はそれからどこかに行くのであって、時間があったので常設をみて、(松本俊介に再び会えた。)工芸館にまで足を伸ばしてみました。

ここは元近衛指弾司令部庁舎だったそうで、ずっと東京に居ても初めて訪れました。



素晴らしい工芸品に感歎したら、帰り道の花も美しくみえました。





帰り道、都心に住む息子1にお昼どうと誘ったのですがいいというので、丸ビルでイタリアンをいただいておりました。(カウンターなのでおいしかったけど写真取りませんでした。)



オクサンは掃除行ってあげようかとTELしたので、来てとの連絡が食事中にあり、3年ぶりに息子の住むマンションに向かいました。
日本橋の一角、マンションを見上げると、なんと未確認物体が飛んでいました。



あまり真剣に見ることはなしに、息子の部屋を奥さんと掃除などして、元気を確認したのでした。



一人住まいの部屋、でもあまりひどい状態ではなく、一通り掃除してあげて、ビールなどご馳走になって、ちょっとうれしい行き先でした。
コメント
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