路上のソリストという映画がある。男が路上でチェロを弾きそれを聞き入る別の男が対峙しているポスターをごらんになった方も多いと思う。
チェロ好き、音楽映画好きとしては見たいと思っていたら、図書館にその翻訳本が会ったので、まずは借りてきた。
ジュリアード音楽院で大変高い評価を受け将来を嘱望されていたベース奏者は、統一性障害から学校から姿を消した。
路上生活者として50をこえてたミスター・ナサエル・エアーズ・Jrは路上で自分の音楽に没頭していた。
それを聞いたコラムニストのスティーヴ・ロペスはその音に感動を覚え、そのことをコラムとして連載を始めるのでした。
やがて、その男を日常者の音楽家として再起できないかを追い始めるコラムニスト。
映画化の決まった本のあと、著者のインタヴューも読みましたが、この2人の関係は継続中でどのような結末になっていくのかは解らない。
コラムニストはまずは記事が書きたかったというのが始まりで、かなり長い間、次の記事話題も探しているし、blogをほぼ毎日のように書く(内容ないけど)私、良きも悪きもありウーンと唸ってしまいました実際書物の中でも、社会生活者の中に引き入れようとする努力とその相談の部分が結構長く、その失敗とか、進展とかの話題が特に感動的とは思いません。
ただこのコラムニストが何かの大切さと絆を感じて行動しているの伝わります。
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そんな社会復帰という見方ではなくて、音楽好きとして感動する部分、それは著者がお膳立てするのですが、デズニー・ホールでのYo-Yo Maとの再開の場面。
ちょっと長いのですが引用します。
『マは熱心に彼の話に耳を傾け、それから腕を伸ばしてミスター・エアーズの肩をだいた。
「あなたと会ったことがとういう意味をもつか、いいますよ」とヨーヨー・マはミスター・エアーズの目をまっすぐ見つめていった。「それは、ほんとおうに、心から音楽を愛している人と会ったということなのです。私たちは兄弟なんですよ。」
ミスター・エアーズは何といっていいのかわからなかった。ヨーヨー・マはすぐもどってくるから、といって出て行き、まもなくチェロを持ってもどってきた。
これを手にして、とマはミスター・エアーズにいった。弾いてください、と。』
スティーヴ・ロペス著 入江真佐子訳 「路上のソリスト」より
音楽を愛するものたちが感じる共有感、私たち兄弟なんですよ、兄弟!
本はそんな場面が良かったのですが、音楽は聞こえてこない、映画もそこらへん見ることにしました。
2本弦のバイオリン演奏も気になります。
で映画のほうですが、2本弦のバイオリンの演奏が特に凄いわけではありませんでした。やはり映像で説明されるとわかりやすい部分がましています。
ロスの路上生活者の現実が強調される視点が増していました。
印象的な場面では、ナサエルが激情にかれれて、「私はミスター・ナサエル。エアーズ・Jrだ。」とロペスに繰り返し怒鳴る場面、ジャコ・パストリアスが「アイ・アム・ジャコ・パストリアス3世」と舞台で叫んでいたことを思い出していました。
トップの技量がありながら、それ以上に要求に蝕まれていく心を思っていました。
映画の筋からするとこのナサエルを縦糸に、LAの社会問題を提起した(もしくはLAにとどまらず、加点以外排除するシステムなど)表現になっているみたいです。
残念ながらにYo-yo Maの場面はありませんでしたが、チェロが好きな人はやはり楽しめると思います。
快適な結末かは疑問ですが(現実の話ですから)、映画の終わとしては、(彼の姉との瓦解)よいので、上手く終えたかな(でも現実大変ですね)ぐらいの終焉でした。
音楽を愛するものの、そのことだけを意識してみると、コラムニストの存在がきえて、面白い、映画監督の意思が伝わっているのでしょう。
この映画と本、本を読み、音楽を聴き、映画を観て、尚且つ、その後を楽しんでいます。