植草甚一のことを思い出したら、無性にその文体が懐かしくなり、かといって植草の本をすべて売ってしまった関係で読むことが出来ません。
図書館があるのでまずはそこでと思って借りてきました。
植草が亡くなった後に選んで出版されているものでしょうが、懐かしい。
植草の当時の記述は、外国で発行される著書とかマガジンを散歩がてら古本屋サンで購入してそれを喫茶店なんかで読んでみては紹介するというスタイルがメインでした。
外国の作家やジャーナリストなど知る由もないのに、その飄々とした表現で、その文化がすぐ隣にあるようでした。
それこそ60近いおじさんが町で面白いものを探しフラフラしているのですが、その心の余裕が楽しいのです。
その文の一部を引用します。
『ニューヨークは本を買いにいった。毎日のように本屋にはいって、二軒のときも三軒のときもあったけど、五時間は本の表紙の題名を見たり、ちょい読みをやったりした。だから目がつくれてくるし、そうしてアメリカの本には重たいのが多いからそのとき二十冊買ったとして、店員がショッピングバック二つに分けて入れてくれたのをぶら下げて歩いていると、いったんホテルにもどりたくなってくる』“ニューヨークで本を買ったり映画を見たり”
おなじ様に書いてみると
『渋谷を歩く時には順番があって、ここでこれぐらい、ここでこれぐらいと大体時間まで決まっているような気がする。急いでいるときに一つとばしたりするとなんだか間違えたようで、落ち着かない。中国から来ている料理人が変わって、味が落ちたような気がするけど、結局いつもの中華料理屋さんで、ビールと紹興酒を頂いている。』
ひどい文で申し訳ありません。
この本の巻末に書かれている南伸坊氏の解説では
『三十年ぶりに植草さんに再会してカッコイイなと思ったらなんだかヘタクソな文体模写みたいになってしまった』
って題で、どうやら文体って伝染するようです。