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読書「正義の弧DESERT STAR」マイクル・コナリー著2023年講談社文庫刊

2024-09-09 11:19:26 | 読書
 現役を引退して私立探偵業を営むジャズ好きなハリー・ボッシュ宅を訪れたのは、ロス市警未解決事件班担当刑事のレネイ・バラード。チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィスなど、いずれかの曲が針を落とすLP盤からの音楽が部屋を満たしているのが常なのだ。

 しかし、今回は違った。ハリーは静かな部屋で処方薬を飲んでいたのだ。呼び鈴を鳴らして顔を見せたバラード。「音楽はかけてないの?」状況からみて愚問ではあるが、人は往々にして愚問を発する。とはいってもバラードは無能ではない。かつてボッシュとコンビを組んで多くの事件を解決してきた。

 今回市会議員ジェームズ・パールマンの妹サラが1994年に殺害された事件の再捜査とともに、当議員の肝いりの未解決事件班創設時の責任者としてレネイ・バラードが選ばれた。カリフォルニア州は民主党の青い州でおそらく警察予算の縮小の憂き目にあっているのだろうか、未解決事件班の構成はバラード以外はボランティアとして務めている。ハリー・ボッシュも例外ではない。現実の民主党政治がマイクル・コナリーの著作にも影を落としているという好例。

 ハリー・ボッシュがジャズ好きということもあって、文中に音楽に関する記述もあって楽しませてくれる。ボッシュは午前中なかばの比較的車の流れが穏やかな時間帯を、北に向かって405号線を走っていた。ボッシュは古いチェロキー・ジープを愛用している。車載オーディオからシェリー・バーグ・トリオが演奏する「ブラックバード」が単調なドライブを助けてくれる。

 また、別の日バラードが朝ボッシュ宅に立ち寄ったとき、「あなたがかけていたのは、プロコム・ハルム?」から会話が始まった。プロコム・ハルムは、イングランドのロックバンドでデビュー曲が、「青い影」でヒットした。この曲は多くのアーティストがカバーしている。私も好きな曲の一つ。

 市会議員ジェームズ・パールマンの妹サラ・パールマン殺害事件は、あろうことか未解決事件班の一員である元サンタモニカ警察のテッド・ロウルズの自殺によって解決した。ボッシュが執念で追うギャラガー一家殺害事件。フロリダ州マイアミまで犯人フィンバー・マクシェーンを追い、拳銃を構えている犯人にドライバーで突き刺し息の根を止めた。簡潔な文章と巧みなストーリー展開で、相変わらず魅了するマイクル・コナリーを満喫した。

 それではシェリー・バーグ・トリオが演奏する「ブラックバード」とプロコム・ハルムの{青い影」を聴いてみましょう。



読書「グレイラットの殺人DEAD GROUND」M・W・クレイヴン著ハヤカワ・ミステリ文庫2023年刊

2024-08-13 08:35:59 | 読書
 映画俳優のショーン・コネリー、ダニエル・クレイグ、ジョージ・レーゼンビー、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナン、ロジャー・ムーアの面をかぶった男六人が金庫室に侵入した。近頃は貸金庫のサービスのある銀行が少ない。男たちが侵入したのは、人材派遣会社が所有する施設だ。

 何かを盗み出すのではなく、ティモシー・ダルトンの面をかぶった男の死体を置くためだった。読み手はハナから????の状態。一方、国家安全対策庁の重大犯罪分析課部長刑事ワシントン・ポーと分析官のテイリー・ブラッドショーの二人は、保安局MI5として知られている国内治安維持を担当する情報機関が指揮する殺人事件補佐する役割でカンブリア州まで出向いた。出向いたというよりMI5の出来の悪い男に連れてこられたというのが実際かもしれない。

 カンブリア州のカーライルで死体で見つかったのは、クリストファー・ビーアマン。よりにもよって古びた袋小路に建つ棟割り住宅だった。クリストファー・ビーアーマンは、ヘリコプターの会社を経営していて、この地方で近々首脳会談開催の予定があり、参加者の空港から送迎を受け持っていた。そんな背景もありMI5が主導することとなっている。当然おかんむりなのが地元カンブリア警察。どこにでもある省庁間の縄張り意識。

 そんな些細なことには馬耳東風のポーとティリーのコンビは、この二つの殺人事件を追う。まるで絡み合った糸くずをほぐすように、複雑なこのシリーズ「ストーンサークルの殺人」「ブラックサマーの殺人」「キューレーターの殺人」に続くこの四作目も堪能した。

 著者のマイク・W・クレイヴンは、イギリス・カンブリア州出身の作家。軍隊、保護観察官を経て2015年に作家デビュー。2018年の「ストーンサークルの殺人」で英国推理作家協会賞最優秀長編賞ゴールドダガーを受賞した。


読書「弁護士の血TEH DEFENCE」スティーヴ・キャヴァナー著2015年ハヤカワミステリー文庫2015年刊

2024-07-23 09:09:37 | 読書
 わたし弁護士のエディ・フリン。今ニューヨーク・ブロンクスの中でも特に貧しい地域に車のマスタングを停め、荒れ果てた二階建ての家に向かった。ロシアン・マフィアからかすめ盗った90万ドルが入ったダッフルバッグを玄関前に置き呼び鈴を鳴らした。中から足音が近づいてくる。私はきびすを返して、マスタングを発進させた。バックミラーに目をやるとハンナ・ダブロウスキーが見える。ダッフルバッグの上に置いた手紙を読み終えて視線をマスタングに注いだ。マスタングは角を曲がろうとしていた。私はせめてもの償いをしたつもりだ。

 私の人生で最大の失敗の生きる証人がハンナなのだ。深夜の地下鉄構内でハンナをレイプしようとした男テッド・バークリーを弁護して、この男に潜む残忍な本性を予見していながら、無罪を勝ち取った。これが大きな誤りだった。警察から渡されたテッドのパソコンを返すためにハンプトンズの別荘を訪れたとき、ハンナが縛られ瀕死の重傷を負っている場面に遭遇した。警察と救急車を呼んだが醜くなったハンナの顔の傷と心の傷は回復しなかった。

 犯人のテッドは20年の禁固刑、エディには6か月の業務停止と夜な夜なハンナの姿が夢に出てくるようになった。ニューヨークのロシアン・マフィアのボス、オレク・ヴォルチェック殺人容疑の弁護を私の娘エイミーを人質に取られ強制されている今、エイミーとともにハンナも夜な夜な夢に出てくる。

 そんな重荷を抱えるエディ・フリンではあるが、若かりし頃はかなりヤバいこともやっていた。一流の詐欺師であり、スリであり、腕力も強いときている。かつての業と弁護士の経験を加え、このロシアン・マフィアのボスを叩き潰す方策を手探りながら確立しようとしている。

 陪審員には詐欺の手口の応用、マフィアたちにはスリの手口で、スマホや財布や起爆装置を抜き取ったりすり替えたりする。そして審理無効の裁判。マフィアのボスを助けた。ほとんどが法廷場面ながら、法廷の爆破というエンターテイメントもサービスされていて、興味深い展開に時間を忘れる。

 著者のスティーヴ・キャヴァナーは、北アイルランド・ベルファスト生まれ。皿洗い、警備員、用心棒、コールセンターのオペレーターなどの仕事を経て、弁護士事務所で働く。本書がデビュー作となり、北アイルランドの優れた芸術作品を表彰するNorthern Ireland Arts Council's ACES Awardを受賞。五つの言語、九つの国で刊行されている。


読書「アンダーワールドUSA Blood's a Rober」ジェイムズ・エルロイ著 文芸春秋2011年刊

2024-07-09 10:39:41 | 読書
 悪い奴らはどこにでもいる。アメリカ大統領も、FBIとFBI長官も、警察も、当然のことながら犯罪者も、左翼も、右翼も、私立探偵も。そして男も女も。「飛んでいくタマ(弾丸)を呼び戻すことはできない」と豪語するLA市警スコッティ・ベネット強盗課刑事。

 1964年2月24日 午前7時16分南ロサンジェルス黒人居住区、ミルク配送車が右に鋭く曲がり、縁石をこする。運転手はハンドルをとられた。ブレーキが強く踏まれる。後輪が横滑りする。そこへウェルズ・ファーゴの現金輸送車が追突する。ミルク配送車の黒人の運転手がよろよろと出てくる。現金輸送車の白人の警備員3人が様子を見に出てくる。事故の後方に停まっていた62年型フォードから目だし帽と手袋、ゴム底の靴といういで立ちの三人の男が出てくる。

 銃撃戦になる。残ったのは四人の警備員の死体と強盗犯三人の死体。強盗犯の生き残りの一人が三十の現金袋とエメラルドが入ったアタッシュケースを持ち去った。警察無線を傍受して現場に最初に駆け付けたのがスコッティ・ベネット刑事。この刑事は撃ち殺した強盗犯の数を、シルクの蝶ネクタイに刺繍している。今のところ14。犯人をようとして捕まえられず迷宮入りの公算。

 時代は1968年、この年の大統領選挙で共和党のリチャード・ニクソンが勝利する。FBI長官は耄碌し始めたJ・エドガー・フーヴァー。第33代大統領ハリー・S・トルーマンは「ゲシュタポや秘密警察は欲しくない。FBIはその方向に向かっている。彼らはセックススキャンダルと明らかな脅迫に手を染めている。J・エドガー・フーヴァーは優位に立つためなら右目すら差し出すだろう。上院と下院の全ての議員は彼を恐れている」と。

 この本の主な登場人物を見て驚いた。48名も列挙してあるではないか。名前なんて覚えられない。いちいち主要登場人物表の参照と相成る。面倒くさい。フーヴァーの手足となって動くのはドワイト・ホリーFBI捜査官。  このドワイト・ホリー捜査官、カレン・シファキスという左翼系の大学教授とねんごろで情報源ともなっている。

 左翼系と言えば、黒人の過激派組織とも通じている謎の女ジョーン・ローゼン・クラインの存在も無視できない。終盤明らかになるが、1964年の南ロサンジェルス黒人居住区で起きた現金強奪事件にもこのジョーンが関わっていた。仕組まれた事件だったのだ。しかも行方も分からない。シルクの蝶ネクタイ男ベネット刑事の事件解決の見込みはゼロ。

 覗きと空き巣狙いが趣味で、金持ちの娘の家に入り下着を盗んだりする23歳の私立探偵ドン・クラッチフィールドがすき間を埋めるように刑事たちから重宝される。血しぶきが飛び散り、銃弾が頭蓋骨を粉々にしても、ラブロマンスは芽生えるものなのだ。FBI捜査官のドワイト・ホリーとカレン・シファキス、白人、1925年生まれ歴史学の教授。ジョーンとドワイトがセックスまでいくのを心配している。ジョーン・ローゼン・クラインは白人、1926年生まれ。世界中の過激派組織とかかわりを持つ反国家的危険人物。小柄で猫背、顔色が青白く眼鏡をかけている。灰色の髪が混じったブルネット。腕にはナイフのひどい傷跡がある。上・下800頁に及ぶ悪の世界にやや食傷気味になるのは仕方がないか。

 著者ジェイムズ・エルロイは1948年3月4日 カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。本名はリー・アール・エルロイ (Lee Earle Ellroy)。特に犯罪小説で知られている。アメリカの暗部を抉る時代描写、必要最小限まで説明を省く電文体のスタイルに特徴がある。その作風から「アメリカ文学界の狂犬」とも呼ばれている。



読書「出訴期限Limitations」スコット・トゥロー著 文藝春秋2013年刊

2024-06-18 10:18:08 | 読書
 7年前の一時間がいまだに一生を決める力を持っているとは思いもしなかった。 と思うのはジェイコブ・ウォーノヴィッツなのだ。七年前の三月、グレン・ブレイ高校生ジェイコブ・ウォーノヴィッツの家でホームパーティを開いた。参加していた女子高校生ミンディ・デボイアーがレイプされ、一審で有罪六年の判決を受けたジェイコブ・ウォーノヴィッツ他三名が上訴裁判所に控訴した。

 弁護側の主張は、出訴期限法の三年が過ぎているから破棄されるべきだというもの。上訴裁判では三人の判事の合議制がとられていて、そのうちの一人ネイサン・コールが言う「そもそも出訴の期限というものは、時の経過とともに記憶が薄れ、証拠が散逸していくのに対する懸念から発生したものなんだ。今回は犯罪を記録したビデオがあるのだから、その点を心配する必要はない」

 主任裁判官のジョージ・メイソンは、気が乗らない複雑な心境にある。というのもメイソンの十代のころ、同じような性的体験があるからだ。その時の相手はロリー・ヴィッキノだが、強要はしていない。アルコールや薬物の影響が薄れる翌朝、ロリーが壁に寄りかかっていた。事情を聞くと、行くところがないという。メイソンはどうしていいか分からず、寮長に後を託した。

 そして今回のレイプ事件。これに刺激されたかのように、ロリーのその後が心配でたまらなくなる。何をいまさらと感じないでもないが、ロリーの探し方を助手に聞いてパソコンを立ち上げた。それに加えて謎の脅迫メールが届くようになる。さらにメイソンの妻が癌で放射線治療の段階に至る。そしてさらにさらに、裁判所の駐車場で車と所持品を狙った強盗に合う。一時は死を覚悟して、被害者の恐怖を身を持って体験する。

 何かと騒がしい身辺であるが、ロリーに電話する。話の断片からあの時のロリーであることが確信できた。 が、相手のロリーは「変な電話」と呟く。この辺は男の浅はかさを描いていて苦笑する。人は過去を取り消すことはできない。刻一刻と時は過ぎていく。よりよい未来のためにも考えられる最良の判断が求められる。ジョージ・メイソンはジェイコブ・ウォーノヴィッツ他三名に、有罪の最良の判断を下した。

 著者のスコット・トゥローは、1949年シカゴ生まれ。スタンフォード大学大学院、ハーヴァード・ロースクールを経て法曹界に入る。シカゴ地区連邦検察局の検事補を務める傍ら執筆した長編小説「推定無罪」で87年に小説家デビュー。同作はベストセラーとなり、リーガルサスペンスの古典となった。

読書「策謀の法廷Double Tap」スティーヴ・マルティ二著 扶桑社ミステリー2011年刊

2024-06-10 10:03:29 | 読書
 本格的な法廷もので、昨今各国で浸透するインターネットの波及に乗じた政府の個人情報への干渉にも警鐘を鳴らす。フェラーリを操る見た目30代、実年齢43歳のマデリン・チャップマンは、カリフォルニア州サンディエゴ近くの400エーカーの丘陵地帯に位置するソフトウェア制作会社アイソテニックス社最高経営責任者の地位にある。金曜日の夕刻、帰宅直後に何者かに襲われて殺害された。警察は初動捜査で犯行に使われたと思われる拳銃を押収している。

 そして逮捕されたのが、アイソテニックス社の警備を担当する会社から派遣されていたエミリアーノー・ルイスだ。ルイスは陸軍の特殊部隊にも所属していたことがあって、銃器の扱いに慣れていたし、チャップマンの事務所でチャップマンとセックスにふける監視カメラの映像も押収されている状況なのだ。ルイスは「絶対殺していない」と明言する。

 この事案を担当するのは、弁護側ポール・マドリアニ弁護士とハリー・ハインズ弁護士。対して検察側には、身長135センチの小人ラリー・テンプルトン検事。かなりやりての検事で、身長135センチとなれば陪審員席の前では頭が少し出るぐらいのため、台を置いて冒頭陳述や最終陳述で、タップダンスを踊るように陪審員の心を掴む術にたけている。

 国家の安全保障を盾に、インターネットを支配しようとする政府。政府の代理人と言ってもいい検事。チャップマンとルイスの濡れ場の映像の証拠採用で、不採用を得た弁護団。しかし、状況証拠はルイスを指している。この証拠採用の権限は判事にあり、現実のトランプ裁判でもニューヨーク地裁判事のトランプ側の証拠不採用が多かったと伝えられている。判事の公平性が問われる。

 果たしてルイスは死刑か無罪か。著者が警鐘を鳴らすと書いたが、終盤で次のように書いている。「テクノロジーはとどまるところなく進化を続け、政府部内で機密の計画が爆発的な勢いで増加している現状にかんがみれば、すでに個人情報がどの程度まで盗まれているのかが明らかになる日は永遠にやってこないかもしれない。一つだけ確かなのは、この種のテクノロジーが私たちの未来に危険を及ぼすということだ。各国政府があらゆる人々に電脳時代の進歩とその進歩のペースに参加せよと命じ、この主張への賛同を命じている事実にかんがみれば、未来に発生する大暴風雨はプライバシーに計り知れない危険をもたらすばかりか、私たちが心安らかに暮らすことのできる場所、周囲から守られた静かな場所を破壊しかねないのだから」

 早急に強力なチェック・システムの構築が必要に思える。でないと民主主義国家日本も中共化の怖れ十分だろう。

 著者スティーヴ・マルティニは、1945年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。カリフォルニア大学卒業。新聞記者として働いたのち、パシフィック大学で法律の学位を取得。カリフォルニア州司法省などに勤務した後、92年に第一作「状況証拠」を上梓、弁護士ポール・マドリアニ・シリーズが続く。

読書「チャイルド・オブ・ゴッドCHILD OF GOD」コーマック・マッカーシー著早川書房2013年刊

2024-06-07 10:56:41 | 読書
 文学的評価の高いこの作品、27歳のレスター・バラードという男が森の中をさまよい林道の終点で見つけたカップル。ドアを開けると二人とも死んでいた。やおら屍姦のあと、その女性の死体を掘っ立て小屋に持ち帰り、街で赤いドレスや下着と口紅を買って死体に着せる。自らは口紅を塗り女性の衣装を着て、森の中を徘徊する。

 読んでいて気持ちのいいものじゃない。商業的には成功しなかったのは納得できる。「極端な孤立、倒錯、暴力を人間の経験を表現することに成功するとともに、マッカーシーは文学的慣習を無視し(例えば、引用符を使わない)、事実に基づく記述、非常に詳細な散文、鮮やかで絵のように美しい牧歌的なイメージ、口語的な一人称の語り口(話し手は特定されないまま)など、いくつかの文体を切り替えている」とウィキペディアにある。

 日本版においても句読点の読点がないのと会話にかっこ書きがない。まずこれに驚かされた。これは日本の翻訳者や編集者が考えたことであろうが。もともと孤独で人付き合いの下手なレスター・バラードにとって、親から受け継いだ家を競売にかけられて放り出される。ますます孤独感を強め、森の中にあるすき間の多い板壁のぼろい掘立小屋にひっそりと暮らす。
 肌身離さず持ち歩くのはライフル銃。誰も信じないし誰も信じてくれない。女が欲しいけれど、生身の女は相手にしてくれない。死体になればすべて俺の言うがまま。ライフルは非常に役に立つ。

 この小説は2012年にジェームズ・フランコが映画化している。山の岩場で片腕をはさまれ、127時間身動きが取れなくなった登山家の実話の映画化で、ジェームズ・フランコが主演している。高く評価された作品だった。この「チャイルド・オブ・ゴッド」の映画評は、平均点以下というみじめなものだった。原作に忠実すぎるというのが私の意見。丹念に屍姦を描くというのはどうだろう。描き方があるような気がする。


読書「このやさしき大地THIS TENDER LAND」ウィリアム・ケント・クルーガー著 早川書房2022年刊

2024-05-25 09:40:12 | 読書
 著者ウィリアム・ケント・クルーガーは、読者を泣かせるのが得意である。これは一人の少年の成長物語で、ミネソタ州フリモント郡にあるリンカーン・インディアン教護院から始まる。1932年のお話である。

 アメリカの1932年は、「時の大統領フーバーの失政により1932年後半から1933年春にかけてが恐慌の底辺であり1933年の名目GDPは1919年から45%減少し、株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した。閉鎖された銀行は1万行に及び、1933年2月にはとうとう全銀行が業務を停止した。家を失い木切れで作った掘っ立て集落は恨みを込めて「フーバー村」と呼ばれ、路上生活者のかぶる新聞は「フーバー毛布」と言われた」とウィキペディアにある。

 このリンカーン・インディアン教護院は名前の通りインディアンの子供たちが多く収容されている。白人たちが北米大陸に押し寄せて、先住民のインディアンを迫害した結果、身寄りのない子供が多く生まれた。その子供たちを収容しているのが、リンカーン・インディアン教護院なのだ。その中に白人の子供アルバート・オバニオン16歳、オディ・オバニオン12歳、このオディが語り手となる。   
 しかもこの教護院は厳しい戒律を設け、違反者には罰則としてお仕置き部屋に放り込まれる。アルバートもオディも度々その刑を受けていた。

 院長も意地悪、教師の中にも意地悪がいてある日、その一人を死に追いやってしまった。逃げるしかない。アルバートとオディに加えスー族のモーズ・ワシントン、竜巻に襲われて命を落とした女教師のコーラ・フロストの幼い子エミー・フロストの四人でミシシッピ川を下りセントルイスのオディの叔母の家を目指す。途中、素敵な伝道師シスター・イヴや優しい仲間との邂逅、貧しい掘立小屋で暮らす人々の善意の数々にも恵まれて、紆余曲折があったが驚くべき事実と悲しい結末には、オディが吹くハーモニカのメロディ、アメリカの民謡「シェナンドー」が心に沁みる。

それでは「シェナンドー」をどうぞ!

読書「賢者たちの街RULES OF CIVILITY」エイモア・トールズ著 2020年早川書房刊

2024-05-11 15:48:11 | 読書
 著者エイモア・トールズの秀逸な比喩が星屑のように瞬き、ロシア系アメリカ人で労働者階級出の女の子ケイト・コンテントの上昇志向が描かれる。読書家で知識の豊富なケイトは、ニューヨークの弁護士事務所や出版社に勤め、上流階級の男を夫とした。

 プロローグは、1966年10月4日の夜、中年後半の段階というケイトと企業の合併に手を貸して一日一万ドルを稼ぐその夫ヴァルとともに、ニューヨーク近代美術館で開かれている写真展のオープニング・パーティに出席するところから始まる。その写真展は、ニューヨーク・シティの地下鉄内で人物を隠し撮りしたものだった。撮影されたのが20年前、撮影者がプライバシーを思ってか秘匿していたものだった。

 その中に1938年と1939年撮影のティンカー・グレイの写真があった。1938年のティンカー・グレイは、カシミヤのコートを着て、きれいに髭を剃り、オーダーメイドのシャツの襟もとにきりっとウィンザーノットンにしたネクタイが覗いている、一方1939年には、無精ひげを生やしみすぼらしいコートを着て、10キロ近く痩せ薄汚れていた。目は明るくはしっこそうで、まっすぐ正面を見つめていた。唇にかすかな笑みが見える。

 ケイトは感じる「三十年の彼方から、出会いの谷の向こうから見つめる眼差しが、運命の訪れのように見えた。いかにも二十八歳の彼らしい目だ」と。そして著者は次のように予告する。「いつのまにかわたしの思いは過去に向かっていた。苦心して念入りに仕上げた申し分のない現在に背を向けて、過ぎ去ったに日々の甘い不安や、偶然の出会い――その時はひどくでたらめで刹那的に思えたが、時とともに運命に似てきた――を、探していた。そう、私の思いはティンカーとイブへ向かい。ウォレス・ウォルコットやデッキー・ヴァンダーホワイトやアン・グランディンへも向かった。そして、わたしの1938年を彩り、形づくった万華鏡のようなめくるめく出来事へ向かった」ケイトにとってティンカー・グレイは、初恋の人なのだ。初恋の人は忘れられないといわれる。ケイトははっきりと言っている「今でもティンカーが好きだ」と。たとえ最愛の夫がいても。

 さて、ニューヨーク好きには手放せない一冊だろう。そしてBGM、これに尽きると思うが。フランク・シナトラの「ニューヨークの秋」なのだ。文中ではビリー・ホリディだが、私はシナトラのバラードがいいと思う。

 著者エイモア・トールズは、1964年ボストン生まれ。イエール・カレッジ卒業後スタンフォード大学で英語学の修士号を取得。20年以上、投資家として働いたのち、現在はマンハッタンで執筆に専念している。2011年に発表した小説第1作である本書は20言語以上に翻訳され、(ニューヨーク・タイムズ)、(ウォールストリート・ジャーナル)、(ボストン・グローブ)、(シカゴ・っトリビューン)など各紙で絶賛を受けた。以降「モスクワの伯爵」や「リンカーン・ハイウェイ」が好調。

読書「ありふれた祈りORDINARY GRACE」ウィリアム・ケント・クルーガー著 2016年ハヤカワ・ミステリ文庫刊

2024-05-05 20:12:26 | 読書
 読み始めて44頁あたりで、涙が湧き上がるのを感じた。こんな経験は初めてだった。著者の力量を感じた瞬間だった。13歳のボビー・コールという少年が、列車に轢かれて命を落とした。その葬儀の席でこの物語の語り手フランクの兄的存在のガスの言葉だった。

 1961年の蒸し暑い夏、ミネソタ州のニューブレーメンに死が様々な形をとって訪れた。事故、自然死、自殺、殺人。40年後、振り返り語るのはフランク・ドラム。死と向き合う理性と感情の相克を描いて読む者を魅了する。叡智の恐るべき代償と、神の恐るべき恵みについて。

 ドラム家は牧師の父ネイサン、母ルース、姉アリエル、弟ジェイクという家族構成。アリエルはジュリアード音楽院へ行こうかという才能の持つ主。ルースもピアノの名手でソプラノの歌声で魅了する。日曜日の礼拝には母と姉が讃美歌のパートを受け持つ。フランクとジェイクは、教会の後ろの方でその様子を眺めるのである。

 ボビー・コールの事故、名もない人の自然死。アリエルの音楽教師エミール・ブラントの自殺未遂、そして平和な家庭を悲劇のどん底に叩き込んだ、アリエルの他殺体をフランクが発見。重苦しい空気が何日も続く。徐々に人々は生気を取り戻し始めるが、母ルースの回復には時間がかかりそうなのだ。それでもフランクの犯人を捕まえたいという執念は燃え続けていた。

 アリエルを埋葬のあと、教会の懇談室での食事会。父の「どなたか、食前の祈りを捧げたい方はいらっしゃいますか?」「僕がやるよ」と呼応したには、どもり癖のある弟ジェイクだった。フランクは祈った。「ああ、神様、僕をこの拷問から連れ出してください」

 ジェイクが「天にまします我らが父よ、この食べ物と、これらの友と、私たち家族への恵みに対し、感謝します。イエスの御名において、アーメン」ジェイクはどもらずにすらすらと言った。このありふれた祈りがジェエイクに好結果をもたらす。どもり症が治ったのである。そしてフランクの執拗な犯人探しが、意外な犯人で幕を閉じる。

 もう八十を過ぎた高齢でおぼつかない足取りの父と、長身で優雅な身のこなしのメソジスト教会の牧師になったジェイクと、セントポールのハイスクールで歴史の教師をしているフランクの三人が、鬼籍に入った人たちの墓参りに赴く。もう母もいない、近しい人たちもいない。わが身に置き換えても寂しさが迫ってくる。記憶に残る一冊になった。

 この本に限らず多くのミステリー本にも言えるが、生活感も感じることができる。この本で言えば朝食はなんだろう? 夕食は? アメリカのことだからサンドイッチが多い。例えば夕食、ツナ・キャセロールとジェロー・サラダ。毎朝、毎夕フランス料理というわけにもいかない。車や音楽にしても、また生活環境にしても、今とは全然違う。蒸し暑い真夏の夜、フランクの家はエアコンはない。富裕な金持ちたちにはエアコンがあった。日本のその当時を振り返れば、扇風機でしのぐのが関の山だった。歌手は、「プリティ・ウーマン」のロイ・オービソン、「悲しき街角」のデル・シャノン、「アンフォゲッタブル」のナット・キング・コール。車は、馬鹿でかいアメリカ車。日本車の影も形もない。

 著者ウィリアム・ケント・クルーガーは、1950年、オレゴン州生まれ。さまざまな職を経て1998年に発表したデビュー作「凍りつく心臓」でアンソニー賞、バリー賞の最優秀新人賞を受賞。2013年に発表した本書は、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)、バリー賞、マカヴィティ賞、アンソニー賞の最優秀長編賞を受賞した。「煉獄の丘」「血の咆哮」など、元保安官を主人公にしたコーク・オコナー・シリーズが好評である。

 せっかく歌手の名前もあげたので、デル・シャノンの「悲しき街角」はいかがでしょうか。その頃を偲ぶのもいいかもしれない。