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読書「エイレングラフ弁護士の事件簿DEFENDER OF THE INNOCENT:THE CASEBOOK OF MARTIN EHRENGRAF」ローレンス・ブロック著 文春文庫2024年9月刊

2025-02-02 09:20:56 | 読書と音楽と
 主人公がマーティン・エイレングラフ弁護士で12編の短編が収録されている。マーティン・エイレングラフの人物像は、瘦身矮躯(そうしんわいく 痩せていて背が低い)で細長い口ひげ、薄い唇、落ちくぼんだ黒い目だが、それらを補うように着るものや椅子やソファやリキュール、コーヒーなどには最高の品物を選ぶ。
 
 例えば、真珠貝のボタンがついたダークグリーンのブレザーに、クリーム色のタブカラーのシャツ(タブカラーシャツは、左右の襟部分に先端をつなぐ紐(タブ)が付いているデザインが特徴)、シャツと同系色のフランネルのスラックス、ブレザーより濃いグリーンのシルクのネクタイ、結び目のすぐ下に、銀とブロンズ色の糸で一角獣と闘っているライオンの刺繡がほどこされている。シンプルで磨き上げられてエレガントなコードバンのローファーといういで立ち。伊達男と言えばいいか。これには遠大な男としての欲求が隠されている、 と思われる。それは最終章近くで明らかになる。

 ある男が言う「あなたのやり方はよく存じ上げています。エイレングラフさん。あなたの依頼人が裁判にかけられたことは滅多にないし、あなたが法廷に足を運ぶことも滅多にない。あなたが弁護を引き受けると、いつも不思議なことが起こる。証拠がすり替わったり、新しい証拠が出てきたり、別の誰かが自白したり、事件が事故になったり……そう、いつも何かが起こるんです」

 確かにそうなんだ。短編第1篇「エイレングラフの弁護」ではっきりとわかる。ドロシー・カルヘインは息子のクラークがフィアンセを殺した殺人容疑に問われている。クラークはオックスフォード大学に留学した経験があり、キャドモン会の会員になり会員証となる特製ネクタイを持ち帰った。(このキャドモン会は、チャットGPTに問い合わせても存在は確認できない。従って著者の創作だろう)凶器がそのネクタイであって殺人は確かな局面に至っていた。

 成功報酬制と言えばいいか、依頼人に有罪の結論が出されれば報酬はなし、いかなる形であろうとも自由の身になれば高額の弁護料が発生する。ドロシー・カルヘイン夫人の場合、7万5千ドルの負担がかかる。1か月後、息子は無事放免となった。しかし、カルヘイン夫人が気にかけているのは、息子のアリバイが明確になったのはいいが、オックスフォード大学のキャドモン会員専用のネクタイで三人の女性が殺されたことだ。そして不思議なことにエイレングラフ弁護士の経費の説明の中に、オクスフォード大学に行ってキャドモン会でネクタイを4本買ったというではないか。仰せの7万5千ドル(日本円で156円換算、1150万円ほど)を払ったのはいいが、すっきりとしないのは何故だろう? まさかと思うがエイレングラフに殺人や文書偽造や脅迫の疑いはないだろうか。それは大いにあるのである。

 エイレングラフは、詩集を読むことでマイナスイメージをいくらかでも和らげている。詩を引用したりして。各篇はお話としては面白いのだ。著者ローレンス・ブロックは、若いときというか書き出しの初期には、ポルノ小説も書いていたそうな。その片鱗が見えるのが、「エイレングラフの決着」「エイレングラフと悪魔の舞踊」である。

 「エイレングラフの決着」は、ドアを開けたときミズ・フィリップスはまぶしいほどの美貌の持ち主で、身長はエイレングラフより数インチ高い。一見無造作だが丁寧にカットされた黒髪、スーパーモデルのような顔立ち、小鹿のような大きな瞳、淫らに見える一歩手前のふっくらとした唇が誘うようだった。

 さてこのミズ・フィリップスだが、その名前は守衛に告げたもので本名はアリシア・レイヴェンストックという。かつてテグラム・ボーグという若い男を射殺したとして容疑者にされたとき、エレイングラフに助けを求めてきたのが、アリシアの夫ミラード・レイヴェンストックなのだ。しかも草々に容疑が晴れたため弁護料を値切っていったという顛末がある。

 夫がエイレングラフのことを散々こき下ろし値切ってやったと自慢げに言っていたのも影響したのか、離婚を決意したアリシアが相談に来た結果が今日なのだ。エイレングラフに依頼したおかげで、夫は刑務所へ、協力した刑事は自殺という結末を迎えた。新調した濃紺のピンストライブのスーツ、シャツはフレンチブルー色、生地はブロードクロス、襟はスプレッドカラーでお洒落なエイレングラフ。

 アリシアがとうとうと述べる感謝と喜びの声から沈黙が訪れた。目が合う。お互いの呼吸が同調し、沈黙のうちに親密さが深まっていく。最後にアリシアが言ったのは、余計な合いの手を省くと「あなたがドランブイ(リキュールの一種)を持ってきて、私がそれに口をつける前にふと思ったんです。私たちは寝室に行って愛し合ったあと、そのお酒を飲んだ方がいいんじゃないかって。あなたが私を求めていることは、私を見る目つきで分かっていた。それで気分を害したわけじゃないのよ、マーティン。あなたは下品でもいやらしくもなかった。とても素敵だった。私は胸のときめきを覚えた。実際のところ、あなたはとても魅力的な人よ。一緒にいたら安心でき、心からくつろげる。それであなたと寝たいと思った。でも、タイミングが悪かった。それにあなたにどう思われるか分からなかったし。だってそんなことをしたら、わたしのために親身になって仕事をしてもらうための色仕掛けと思われかねないでしょう。だからそのときは何もしないで、一緒にお酒を飲みノッティンガム・テラスの自宅に帰ったんです。でも今はもう何の問題もない。小切手を最初にお渡ししたのは、済ませておかなきゃならないことを先に済ませておきたかったから。私のろくでなしの夫と浅ましい警官についての話ももう全部すんだ。いま私はこれまで以上にあなたを求めてる。あなたもそうでしょ、マーティン」「これまで以上に」とマーティン「だったら、ドランブイは後回しにしましょ」

 このアリシアも相当な女なのだ。夫が撃ち殺した若いデグラム・ボーグと浮気していたのだ。そんな事情を知るエイレングラフ弁護士もしたたかな男といえる。「エイレングラフと悪魔の舞踊」の見開き1頁目につぎの詩が書いてある。
髪は白くなっても愛は緑なして育つ
今年は去年のことを知らない
昨日は明日に対してもう何も言うことはない 
アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン
アルジャーノンって聞き覚えがあるなあ、と思っていたら、小説「アルジャーノンに花束を」に登場するハツカネズミの名前は彼にちなんで付けられたものだという。それに「髪は白くなっても愛は緑なして育つ」っていいじゃないですか。に登場するハツカネズミの名前は彼にちなんで付けられたもの。
 海外ミステリーでは、音楽のヒントがよく書かれているが、今回はそれがない。私が選ぼうと思う。「You're A part of me」カナダ出身のアン・マレーが歌う。
 著者ローレンス・ブロックは、1938年ニューヨーク州バッファロー生まれ。20代のころから多数の筆名で旺盛な執筆活動を開始。ブロック名義では私立探偵スカダー、殺し屋ケラー、泥棒バーニイなどのシリーズが日本でも高い人気を誇る。アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞最優秀長編賞を92年に「倒錯の舞踏」で受賞した他、同最優秀短編賞を2度受賞、94年には多年にわたるミステリ界への貢献に対して同巨匠賞を受賞している。代表作に「殺し屋」「八百万の死にざま」「泥棒は選べない」などがある。

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