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読書 トルーマン・カポーティ「冷血」

2006-07-28 16:44:09 | 読書
 コロラド州境の東70マイル、カンザス州西部の抜けるような青空と砂漠のように澄んだ空気の片田舎にあるリヴァーヴァレー農場。
 裕福で地元の名士といわれた農場主ハーバート・ウィリアム・クラッター、妻のボニー、息子のケニヨン、娘のナンシーの四人が、惨殺体で発見された。
               
 その現場はベテラン刑事も息を飲むすさまじい様相を呈していた。手錠をはめられ頭部を散弾銃で撃ち抜かれていた。奪った金は40ドルぽっちだった。ひょんなところから情報が舞い込み警察は指名手配書を配った。

 ラスヴェガス警察の二人の巡査の頭の中には、盗難車1956年型白黒のシヴォレーでカンザス・ナンバーJo16212の情報も入っていた。
 枯れかけたヤシの木と、風雨にさらされた看板の前に停まったシヴォレーの横にパトカーが並んだ。シヴォレーに乗っていたのは、ペリー・エドワード・スミスとリチャード・ユージン・ヒコックの二人だった。

 二人が逮捕されたページは総ページ339ページ中217ページ目だった。その間、それぞれの家族が描かれる。殺された家族、その友人の家族、犯人ペリーとリチャードの家族そして本人たちの人物描写をこと細かく表出する。

 この「冷血」は、「アラバマ物語」の女流作家ネル・ハーバー・リーの協力で三年を費やしてノート六千ページに及ぶ資料を収集し、さらに三年近くをかけて整理している。それを現実の再現という手法で小説化した画期的な作品といわれている。

 なぜこれほどまでに家族を細かく描出するのか?トルーマン・ガルシア・カポーティの生い立ちを調べてみると、1924年9月30日ルイジアナに生れる。両親は彼が子供のころ離婚し、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマなど南部各地を遠縁の家を転々としながら育つ。引越しの多い生活のためほとんど学校に行かず独学した。
一言で言えば家族の愛に飢えていたといってもいい。その愛を描こうとしたのではないか。
                
              若き日のトルーマン・カポーティ(Wikipediaより)
 「アル中でヤク中でホモの天才」と公言する彼は、友人も少なかったようだ。三十年来の友ジャック・ダンフィーとアラバマ在住時の隣人「アラバマ物語」で有名な女流作家ネル・ハーバー・リーが特記できる。この二人には本の献辞に収められている。1984年8月25日ロサンゼルスの友人宅で心臓発作によりほぼ60年の生涯を終える。

 映画でもそうだけど小説もラストをどうするかが問題。幸いこの「冷血」は、州捜査官デューイが犯人の絞首刑に立ち会ったあと、ヴァレーヴュー墓地を訪れ知人たちの死、誕生、結婚に思いを馳せる。あの惨劇の四人の名前も刻まれていた。
 墓地は家族を象徴しているようだ。この四人のような好ましい家族ばかりでなく、どうしょうもないろくでなしでも家族は家族だ。そしてクラッター家の娘ナンシーの友人、スーザン・キッドウェルに出会う。

“スーザンは大声を上げた。
 『走って帰らなくちゃ!でも、お会いできてよかったです。デューイさん』
 『私も会えてよかったよ。スー。それじゃ、元気で』
デューイは小道を消えていこうとする娘に呼びかけた。滑らかな髪を揺らし、輝かせながら、ひたすら先を急ぐ美しい娘に――ナンシーが生きていたら、ちょうどそんな風になっていたであろう娘に。
 やがて、デューイも家路につき、木立に向かって歩をすすめ、その影へと入っていった。あとには、果てしない空と、小麦畑をなびかせて渡っていく風のささやきだけだった。”

 鮮明に映像が浮かぶようだし、トルーマン・カポーティはナンシーにかなり感情移入しているように思えてならない。余韻の残るいい終わり方だった。
 オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」の原作者であるカポーティが、今秋公開の「カポーティ」で、「冷血」を書き上げるまでのドラマの主人公になる。この映画で、アカデミー主演男優賞をフィリップ・シーモア・ホフマンが受賞していて、こちらも楽しみ。