月曜日から日曜日までニュージャージー州パサイク郡パターソン市の路線バスの運転手パターソンの日常を詩をちりばめた映像で描く。
パターソン(アダム・ドライヴァー)と妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)とブルドックのマーヴィンが住む一家がある。パターソンは詩作が趣味、ローラはケーキ作りとデザインが趣味、マーヴィンは従順な犬のふりをして曲者。
寝室にはパターソンの海兵隊正装姿の写真と両親の写真が飾ってある。パターソンは毎朝6時過ぎに目を覚まして、ローラの頬や額や腕にキスをして、椅子に畳んで置いた衣服を持って部屋を出る。キッチンの椅子に座って牛乳に浸したシリアル食品を食べる。別の椅子にはマーヴィンがすやすやと眠っている。
弁当を持ってバスの車庫へ歩いていく。歩きながら頭の中で詩作する。バスの運転席で頭の中の詩をノート・ブックに書く。
“愛の詩”
「我が家にはたくさんのマッチがある
常に手元に置いている
目下、お気に入りの銘柄はオハイオ印のブルーチップ
でも、以前はダイヤモンド印だった」
書いているとバス車庫長ドニー(リズワン・マンジ)がやってきて「調子はどうだい」と声をかけてくる。それが合図のようにパターソンはエンジンをかける。バスは1940年代有名お笑いコンビ、アボットとコステロのうち“ルー・コステロ記念館”をかすめ、荒れた歩道、雑草に覆われた空き地、サッカーやバスケット・ボールをする少年たちを横目に走っていく。
白人と黒人が約30%ずつを占めるこの町で乗客もそれを反映している。いつもと同じ風景。昼食は落差23メートルのグレートフォールズを見渡せるベンチで摂る。同時に詩作のひと時を楽しむ。帰宅した時、郵便ポストを確かめる。そこで気がつくのはポストが傾いていることだ。まっすぐに戻して家に入る。ローラの魅力的な声が歓迎する。食後はマーヴィンの散歩。いつも立ち寄るのはドク(バリー・シャバカ・ヘンリー)のバー。これがパターソンの日課。疲れが出るのか徐々に起きる時間が僅かながら遅くなる。それ以外は変わることのない一週間の筈が……
ちょっとした変化があるものの平々凡々な日常は、多くの人とさして変わらない。単調な映画と思われるが、なんと飽きがこない。演出の冴えと詩の効果かもしれない。
パターソンが帰路、一人の少女に出会う。彼女は詩を書いていてそれを読んでくれた。
“水が落ちる”
「水が落ちる
明るい宙(エア)から
長い髪のように
少女の肩にかかりながら
水が落ちる
アスファルトの水たまりは、汚れた鏡
雲やビルディングを映す
水は私の家にも
私の母にも
私の髪にも落ちる 人はそれを雨と呼ぶ」
映画の中でいくつかの詩があるが、この詩が一番好きだ。
パターソンは、“光”
「君より早く目が覚めると
君は僕の方を向いていて顔は枕の上
髪は広がっている
僕は勇敢に君の顔を見つめ愛の力に驚く
君が目を開けないかとか
脅えないかと恐れながら
でも、日光が去ったら君も分かるだろう
どんなに僕の頭や胸が破裂しそうか
彼らの青は囚われたままだ
まるで日の光を見られるのかと恐れる胎児のように
開口部がぼんやりと光る
雨に濡れた青灰色に
僕は靴紐を結び階下に下りてコーヒーを淹れる」
これらの詩作は、ニューヨーク派の詩人ロン・パジェットによるもので制作に参加している。パターソンとローラの雰囲気は、O・ヘンリーの短編「賢者の贈り物」を連想してしまった。そして曲者のブルドックのマーヴィン。こいつがパターソンが帰る前にドアを開けて出てきて、前足でポストを傾ける。一種のお遊びなんだろうが、もっと深刻な悪さをする。それは映画を観てのお楽しみとしよう。
監督
ジム・ジャームッシュ1953年1月オハイオ州アクロン生まれ。
詩
ロン・パジェット1942年オクラホマ生まれ。1960年からニューヨークに住む。
キャスト
アダム・ドライヴァー1983年11月カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。
ゴルシフテ・ファラハニ1983年7月テヘラン生まれ。
リズワン・マンジ1974年10月カナダ生まれ。
バリー・シャバカ・ヘンリー1954年9月ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。