この曲は、1973年にカントリー歌手のドリー・パートンによって作詞・作曲された。ドリー・パートンは1946年生まれというから今年75歳。テネシー州の労働者階級の出身で、極貧生活だったと述懐しているそうな。そこから這い上がり成功をおさめた。
1975年リンダ・ロンシュタット、1996年ケニー・ロジャース、1997年リアン・ライムスなどがカバー、1992年ホイットニー・ヒューストンが映画「ボディガード」でケビン・コスナーと共演、この曲をカバー世界で1200万枚を売り上げた。確かにホイットニー・ヒューストンの歌唱は素晴らしい。
「作家カーティス・W・エリソン(「カントリー・ミュージックの文化:厳しい時代から天国へ」の著者)は「もうほとんど喧嘩をすることもなくなった男女の別離について語っているが、女性が主導権を握っているために相手に対してリスペクトをしている」と語ったとある。
喧嘩をすることもなくなった男女の別離、そこまでは分らないが別れであることは分る。映画の「ボディガード」もハッピーエンドではなかった。
そのホイットニー・ヒューストンは、「2012年2月11日カリフォルニア州ビバリーヒルズにあるビバリーヒルトン・ホテル4階客室の浴槽の中に倒れていたところを発見され、救急隊が20分間にわたって蘇生処置を施したが、同日午後3時55分(現地時間)に死亡が確認された。48歳没。薬物による浴槽での溺死。ホイットニーは、グラミー賞の授賞式を翌日に控え、クライヴ・デイヴィスが主催する恒例の前夜パーティに参加するために、同ホテルに滞在していた」とウィキペディアにある。
その訃報にドリー・パートンは「何百万人の人々と共にホイットニー・ヒューストンの死に心を痛めています。私の曲を素晴らしく演奏してくれたことに畏敬の念を抱くと共にこれからもずっと彼女に感謝し続けます。本当に心の底から「ホイットニー、私はこれからもあなたを愛し続けます。あなたがいないことがとても寂しいです」」と『オールウェイズ・ラヴ・ユー』のタイトルにかけて言葉を送った」とこれもウィキペディアにある。
If I should stay もし、私が留まるべきなら
I would only be in your way あなたの邪魔にしかならない
So I'll go だから私は行きます
But I know でも、私は分っている
I'll think of you every step of the way あなたことをずっと考えているでしょう
And I will always love you そして、いつもあなたを愛しています
Will always love you いつでもあなたを愛しています
You, my darling, you あなた、私の愛しい人、あなた
Mm
Bittersweet memories ほろ苦い想い出
That is all I'm taking with me 私が持っていくのはそれだけです
So goodbye だから、さようなら
Please don't cry 泣かないで
We both know I'm not 二人とも、私が
What you need 必要なもの
And I will always love you そして、いつもあなたを愛しています
Will always love you いつでもあなたを愛しています
I hope life treats you kind 私は願っています。あなたの人生が穏やかなことを
And I hope you have all you ever dreamed ofそして、あなたがこれまでに夢見たすべてのものを手に入れることを願っています。
And I wish you joy and happiness そして、あなたの喜びと幸せを祈っています
But above all this しかし、何よりもこの
I wish you love あなたの愛を願って
And I will always love you そして、いつもあなたを愛しています
I will always love you いつでもあなたを愛しています
I will always love you
I will always love you
I will always love you
I will
I will always love you
You, darling, I love you
I'll always
I'll always love you
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