この小説は「アパルトヘイト撤廃後の新生南アフリカの不穏な情勢を背景に、まさしくあらゆるものの価値観が揺れ動く。人の栄辱とはなにか。魂のよりどころはどこにあるのか。(そもそも魂はあるのか?)。頻発するレイプ、強盗事件、失業、人種間の対立、動物の生存権。
一人の男が味わう苦境には、現在の(2000年)南アの社会的、政治的、経済的問題が映し出されている」と訳者の言。
「52歳という歳、まして妻と別れた男にしては、セックスの面はかなり上手く処理してきたつもりだ」これがイギリスで最高の権威ある文学賞、ブッカー賞を二度目の受賞作品「屈辱」の書き出しだ。
そして行く先は、娼館だった。ここのソラヤという女と木曜日の午後のひと時を過ごす。この52歳の男、名前をデヴィッド・ラウリー。職業、旧ケープタウン大学付属カレッジのコミュニケーション学部の準教授。二度の離婚歴があり、最初の結婚で儲けた娘ルーシーが遠く離れた地の農園にいる。
で、デヴィッドはかなり女にもてたようで、女たらしと言ってもいい。ただ、52歳というと初老にさしかかり若いころのようには行かない。(この小説ではそのような感じを受けるが、日本での現実を見ていると50代はむしろ魅力的な年代に思えるのだが)。
女好きのデヴィッドは、教え子の女子学生を篭絡する。そして「セクハラ」で学内の審問会にかけられ解雇になる。デヴィッドはかなり頑固な側面を持っていて、自己弁護を否定して審問会の情けにすがろうとはしなかった。その結果が無職となりルーシーの農園に転がり込むことになる。
ここに描かれる南アフリカは、私たち日本人とは道徳規範や価値観が違いすぎて、ついていくのが難しい。デヴィッドがルーシーを乗せて路肩に車を止めようとしたら、「止まったら危ない」と言われる。さらにレイプは、行きがけの駄賃みたいなもので、レイプされたほうは命に代えられるのなら仕方がないという風情だ。
ルーシーもレイプされてしばらくうつ状態になったが結局は泣き寝入り。しかもそのときの男の子供を孕んでいるにも拘らず出産して育てるという。ええっ、どうなっているんだ。と思うが、勿論デヴィッドも反対するがルーシーの意志は固い。
ここ犯罪大国南アフリカで女一人生きていくには危険だし、誰かの庇護が必要のようだ。ネットで南アフリカの犯罪事情を調べると、すさまじい事実にショックを受ける。このデヴィッドも女子学生を自宅に招じ入れセックスをしたことを認めるだけで、反省の言葉はない。暗黙の了解と言いたいのかもしれない。
格調高いブッカー賞受賞の作品を、低俗なコメントで傷つけたかもしれないが、正直に言ってあまりにも違う国情に翻弄された結果と了承願いたい。
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