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鎌倉市大町にある安養院へは、一般道を走るしかない。地方道62号線を小田原厚木道路方面へ戻り、国道1号線を経由して国道134号線を鎌倉に向かった。ウィークデイということもあって、道路は順調に走れた。
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朝からのガスのせいか、海はすっきりと見えない。鎌倉駅に行く道は渋滞していた。県道311号線にはいると、町並みの中の狭い道路でうっかりすると駐車場を見落とすところだった。車がやっと3台ほど停められる駐車場が入口の横にあった。
このお寺は、ツツジが有名らしく入口から境内に密集して植えられていた。わたしたちが訪れたときは、すでに咲き終わっていた。
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山門には、入場志納とありお一人100円ご喜捨下さいと書かれてあった。わたしたちは、200円賽銭箱に入れた。キーボードでしのう(志納)と打ったところ、「死のう」とでてきたのには、いささか暗示的で笑ってしまった。
寺暦は、長楽寺・善導寺・田代寺が統合されてできた浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来で千手観音を安置してある。ちなみに坂東三十三箇所霊場のうち、浄土宗はこの寺のみである。長楽寺は、嘉禄元年(1225年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山号を祇園山と号し、律宗(りっしゅう)の寺院であった。元弘元年(1333年)兵火により焼失し、善導寺に統合され安養院長楽寺と号した。なお、安養院は政子の法号から取られたものである。
一方田代寺は建久3年(1192年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷に建立したのに始まりと伝えられ、江戸時代になって安養院に統合された。千手観音は田代寺にあったもので、田代観音とも称されている。以上はウィキペディアから引用した。
国指定の重要文化財として、石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう:宝篋印陀羅尼の経文を納めた塔)があり、
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境内には鎌倉市指定天然記念物、樹齢約700年の槙(まき)の木がある。