↑ 上の写真は私の持っている 小学館文庫 前・中・後編 1998年12月10日~ 初版
古今東西幻想綺譚と銘打ち、洋の東西・時代を問わずに妖かしの物語を紡いだ 木原 敏江氏の 「夢の碑 ゆめのいしぶみ」 シリーズの中で私が一番好きなのは、応仁の乱前後の 能楽 (当時は猿楽と言われていた) の座 (芝居の座と同じ) を舞台にした 「渕となりぬ」。
この題名は小倉百人一首のうち、陽成院 の
「つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 渕となりぬる」
より来ている。木原氏の最近作 「ふるふる」 では、歌の旅日記としてやはりこの作品と同じ室町時代を舞台にし、さらに和歌を題材にした作品を発表されているので、木原氏のこの時代好きが伺えます。
この作品を読んでいると、今ではすっかり古典芸能として難しく思われている能楽 (猿楽) が、集大成されたこの 応仁の乱 の頃は、貴族にも民衆にも楽しまれた大変な娯楽だったとわかります。
見物人は8番から10番くらいの演目を、間に狂言なども挟むので丸1日かけて弁当持参で河原にござなど敷いて楽しみます。演目には季節に合った祝いのもの、神様や巫女・仙人などが出てくるもの、恋愛の執心を歌ったものや、武者もの、真面目なものから、曲芸まがいの皆の目を楽しませるものまで様々有り、見ているものを飽きさせないようにしていたようです。
私が 「渕となりぬ」 が好きなのは、主役の二人 羽角(はすみ ♂) と乙輪(おとわ ♂) のBL関係が美しくて・・・じゃなくて ! (1/3くらいはそうじゃ~ないかい? 悪魔の声)
あまりマンガの舞台にならないような室町時代の、しかも現代の若い子たちには興味の薄そうな能楽・猿楽を題材にして、ちゃんと面白いお話にして勉強にもなっているところなんです。
丹波の山奥を本拠とする 三枝座 そこの二男である舞と作本の天才である 羽角 と義理の弟の 乙輪 は家族・座員ともども、他の座に抜きんでて、日本一の猿楽座にならんと頑張っている。
京都の貴族出身が率いる芸術的な座や、伝統を誇る有名な座を相手に普通では太刀打ちできないと、庶民に受けるケレン味 (奇抜な演出・本来あるべき演出ではないといった意味) たっぷりの舞台で大いに評判を取っていく・・・。
羽角、乙輪、座長の父親、羽角の兄弟たち、武士をやめ三枝座を日本一にするのが夢の笛の名手、羽角を好きなすずな、乙輪を好きな大商人の娘、当時の座に付きもののパトロンたちの思惑など、いろいろな思いが降り積もっていき、ラストの悲劇に向かっていく。。。。
最後になり、この物語が作者不詳として伝えられるお能の演目 「道成寺」 の成り立ちに興味を持ったことから 木原氏 が紡いだ物語だとわかる。それは氏にとってとても楽しい作業だったに違いない。
↑ 厳島神社の能舞台
私の母は娘時代から能楽を習っており、一時は人に 謡 (うたい 歌です) を教えていたこともあった。
幼いころ、流派の本部の能楽堂へよく母に連れられて行った。それは小さい子供には面白くもなんともなかったが、煌びやかな衣装や小道具の花や竹で編んで紙を張ってある釣鐘など、日常とは変わったものがあってそれらを面白く眺めていた。
普通の子供よりは伝統芸能である お能 に近い所にいたと思う。
現在能のシテ (主な俳優) の流派は、大きく分けて大和四座と土着の能に分けられ、大和四座の中でも観世流、宝生(ほうしょう)流、金剛流、金春(こんぱる)流、喜多流の5つあります。「渕となりぬ」 の中でも、観世と金剛流は名前が出てくるのでとても古い流派だとわかる。金春流も銀座に通りの名前として残っているくらい伝統がある。
歌舞伎には 「本歌取り」 としてお能からスライドした 「安宅 → 勧進帳」 「道成寺 → 京鹿子娘道成寺」 などが有り、歌舞伎からも本家として一段高い所に見られてもいる。
しかしどの流派も歌舞伎ほどの一般的人気もなく、現在一般に知られたスターもいないのが寂しい。
スポーツでも芸能でも、スーパースターが出ると一気に注目を浴びるようになるので、ここはひとつ和泉流 (狂言の流派のひとつ) の和泉 元彌氏のようなちょっと アレ な注目の浴び方でも良いから誰か犠牲になって盛り上げてくれないものか。(ああ無責任)
盛り上がらないと言えば、長らく能楽は女人禁制で、1948年に女性の能楽協会への加入が認められ、はたまたやっと2004年に日本能楽会への加入が認められたという事だ。母の加入していた流派は特に女性には解放されていなかったようで、あんなお嬢様だった母でもなにがしかの苦労があったんだろうか、と今回調べて少なからず驚いた。
最近話題の白州次郎の妻、白洲正子は、『お能』角川新書1963(昭和38)の中で以下のように言っています。
能舞台はきびしいかぎりのところでありますから、つい最近まで女がのぼることは許されませんでした。
極端な意味でお能に男女の別はないのですから、女とても「お能の舞台がどういうわけで神聖であるか」をはっきり知った時、婦人の演能は公然と許されてよいわけであります。
もろもろの婦人演能家は、お能の舞台にあるかぎり、もはや男でも女でもないことを知っていただきたいものです。
この作品を読んでいると人のいない観客席でひとり、摺り足で舞う母の姿を眺めていた昔の事が思い出される。私に少しはお能を習ってもらいたかったんだろうかと思いを巡らしつつ。
古今東西幻想綺譚と銘打ち、洋の東西・時代を問わずに妖かしの物語を紡いだ 木原 敏江氏の 「夢の碑 ゆめのいしぶみ」 シリーズの中で私が一番好きなのは、応仁の乱前後の 能楽 (当時は猿楽と言われていた) の座 (芝居の座と同じ) を舞台にした 「渕となりぬ」。
この題名は小倉百人一首のうち、陽成院 の
「つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 渕となりぬる」
より来ている。木原氏の最近作 「ふるふる」 では、歌の旅日記としてやはりこの作品と同じ室町時代を舞台にし、さらに和歌を題材にした作品を発表されているので、木原氏のこの時代好きが伺えます。
この作品を読んでいると、今ではすっかり古典芸能として難しく思われている能楽 (猿楽) が、集大成されたこの 応仁の乱 の頃は、貴族にも民衆にも楽しまれた大変な娯楽だったとわかります。
見物人は8番から10番くらいの演目を、間に狂言なども挟むので丸1日かけて弁当持参で河原にござなど敷いて楽しみます。演目には季節に合った祝いのもの、神様や巫女・仙人などが出てくるもの、恋愛の執心を歌ったものや、武者もの、真面目なものから、曲芸まがいの皆の目を楽しませるものまで様々有り、見ているものを飽きさせないようにしていたようです。
私が 「渕となりぬ」 が好きなのは、主役の二人 羽角(はすみ ♂) と乙輪(おとわ ♂) のBL関係が美しくて・・・じゃなくて ! (1/3くらいはそうじゃ~ないかい? 悪魔の声)
あまりマンガの舞台にならないような室町時代の、しかも現代の若い子たちには興味の薄そうな能楽・猿楽を題材にして、ちゃんと面白いお話にして勉強にもなっているところなんです。
丹波の山奥を本拠とする 三枝座 そこの二男である舞と作本の天才である 羽角 と義理の弟の 乙輪 は家族・座員ともども、他の座に抜きんでて、日本一の猿楽座にならんと頑張っている。
京都の貴族出身が率いる芸術的な座や、伝統を誇る有名な座を相手に普通では太刀打ちできないと、庶民に受けるケレン味 (奇抜な演出・本来あるべき演出ではないといった意味) たっぷりの舞台で大いに評判を取っていく・・・。
羽角、乙輪、座長の父親、羽角の兄弟たち、武士をやめ三枝座を日本一にするのが夢の笛の名手、羽角を好きなすずな、乙輪を好きな大商人の娘、当時の座に付きもののパトロンたちの思惑など、いろいろな思いが降り積もっていき、ラストの悲劇に向かっていく。。。。
最後になり、この物語が作者不詳として伝えられるお能の演目 「道成寺」 の成り立ちに興味を持ったことから 木原氏 が紡いだ物語だとわかる。それは氏にとってとても楽しい作業だったに違いない。
↑ 厳島神社の能舞台
私の母は娘時代から能楽を習っており、一時は人に 謡 (うたい 歌です) を教えていたこともあった。
幼いころ、流派の本部の能楽堂へよく母に連れられて行った。それは小さい子供には面白くもなんともなかったが、煌びやかな衣装や小道具の花や竹で編んで紙を張ってある釣鐘など、日常とは変わったものがあってそれらを面白く眺めていた。
普通の子供よりは伝統芸能である お能 に近い所にいたと思う。
現在能のシテ (主な俳優) の流派は、大きく分けて大和四座と土着の能に分けられ、大和四座の中でも観世流、宝生(ほうしょう)流、金剛流、金春(こんぱる)流、喜多流の5つあります。「渕となりぬ」 の中でも、観世と金剛流は名前が出てくるのでとても古い流派だとわかる。金春流も銀座に通りの名前として残っているくらい伝統がある。
歌舞伎には 「本歌取り」 としてお能からスライドした 「安宅 → 勧進帳」 「道成寺 → 京鹿子娘道成寺」 などが有り、歌舞伎からも本家として一段高い所に見られてもいる。
しかしどの流派も歌舞伎ほどの一般的人気もなく、現在一般に知られたスターもいないのが寂しい。
スポーツでも芸能でも、スーパースターが出ると一気に注目を浴びるようになるので、ここはひとつ和泉流 (狂言の流派のひとつ) の和泉 元彌氏のようなちょっと アレ な注目の浴び方でも良いから誰か犠牲になって盛り上げてくれないものか。(ああ無責任)
盛り上がらないと言えば、長らく能楽は女人禁制で、1948年に女性の能楽協会への加入が認められ、はたまたやっと2004年に日本能楽会への加入が認められたという事だ。母の加入していた流派は特に女性には解放されていなかったようで、あんなお嬢様だった母でもなにがしかの苦労があったんだろうか、と今回調べて少なからず驚いた。
最近話題の白州次郎の妻、白洲正子は、『お能』角川新書1963(昭和38)の中で以下のように言っています。
能舞台はきびしいかぎりのところでありますから、つい最近まで女がのぼることは許されませんでした。
極端な意味でお能に男女の別はないのですから、女とても「お能の舞台がどういうわけで神聖であるか」をはっきり知った時、婦人の演能は公然と許されてよいわけであります。
もろもろの婦人演能家は、お能の舞台にあるかぎり、もはや男でも女でもないことを知っていただきたいものです。
この作品を読んでいると人のいない観客席でひとり、摺り足で舞う母の姿を眺めていた昔の事が思い出される。私に少しはお能を習ってもらいたかったんだろうかと思いを巡らしつつ。