写真は1975年から1981年にかけての 大島 弓子氏 初期の作品群たち。 夜さん にお借りしています。40歳台の元マンガ少女達には涙なくして見られないコミックス達かも(大げさ)この時期のでここにないのは 「野イバラ荘園」 くらいかしら。「シンジラレネーション」なんてのも無かったっけ ?
「誕生 !」 1975年1月25日 初版 高校の友達に子供が出来ちゃって。当時としては問題作。
「ミモザ館でつかまえて」1975年1月25日 初版 木原 敏江氏のフィリップ登場
「ジョカへ………」 1975年8月1日 初版 これは8版 こんなお話だったんだ。
「ポーラの涙 ペールの涙」 1975年9月20日初版 記念すべきデビュー作 「ポーラの涙」を収録。
「F(フロイト)式蘭丸」 1976年9月25日初版
「ロジオン ロマーヌイチ ラスコーリニコフ」 1976年9月25日初版 これは4版
原作 「罪と罰」 おおや ちきちゃまゲスト出演しておりました。
「いちご物語」① 1977年3月30日初版 ② 1977年4月5日初版
「バナナブレッドのプディング」 1978年7月10日 初版 名作と名高かったので、今回楽しみにしてましたが、期待が大きすぎたのか、はたまた私が年を取りすぎてしまったのか…。どっぷり浸かるにはキツイものがあった。
「四月怪談」 1981年5月1日初版 この写真の中で一番気に入った作品、表題作がありました。はっきりとしたハッピーエンドと言うのが気に入ったのかも。
全て私には初見のコミックスで、1975年頃と言えば、自分は20歳を何年か超え、少女マンガからは離れていた頃なのです。大島 弓子氏をもう一度読み出すのは、多くの人がそうであるかも知れないけれど、1978年LaLa5月号掲載 「綿の国星」 からでした。しかもコミックスになってから。
それはさて置き、またまた貴重なコミックスを 夜さん からお借りして、実はひとつひとつ拙い感想を書き、自分の持っている大島氏のコミックスも交えて 大島 弓子祭り をやってみようと目論んでいたのですが、現実は頓挫してしまいました。
身辺が忙しくなって来たのもそうですが、とにかく読むのだけでも疲れてしまった…。以前やはり夜さんにお借りして28冊一気読みした 西谷 祥子氏 のコミックスのときとは同じようで、又違う疲れ。
西谷氏のは自分の末っ子の日記をこっそり読んでいるような気の重さ、大島氏のは友人の子供の自費出版の詩集を読んでおかなくちゃ、という気疲れ、とでも言うのか…。決して面白くなかったと言うわけではないけれど、一気に興味深く読んでしまったのだけれど。
10代の頃、じっくりと自分に引き換えて読んだらじ~んと来るものがあるかも。でももう私は十分過ぎるほどのおばちゃん。この年で初めて読んで、10代と同じ気持ちにはもうなれないのね。せめてリアルタイムで読んでおけば今再読しても当時の感情を思い出せると言うものだけど。
大体、初期の頃の大島氏の作品には 思い込みの激しい主人公達 がいっぱい出てきておばちゃんにはウザイ。
「バナナブレッド~」 の三浦 衣良 (いら)はうしろめたさを感じている男色家が理想で、そういう人とお友達になりたいと願っている。
「いちご物語」 の いちご なぞは、ラップランドから花嫁となるために日本の林太郎の所へ連絡もなしで押しかける。
原作つきの 「ロジオンロマーヌイチ~」 もラスコーリニコフの選民意識は思い込み (思い上がり) そのもの。
「綿の国星」の 須和野チビ猫 は大人になったなら人間になれると信じている。
ああそうでした、思い込み それが若者の特権よ、それがなけりゃ若いときなんてやってられないわ。確かにそうです。おばちゃん、自分の若いとき思い出して赤面してます。
1978年頃から80年代になると作品も (大島氏も読者も ?) 成熟してきて、今読んでも違和感なく読めます。私はその頃の サバちゃん の出てくるエッセイ風のが好きなんですが、一番印象に残っているのは1979年の 「たそがれは逢魔の時間」かも。これ好きな人、他にいないかしら。いつもの大島氏とちょっと違った視点で、ドキッとした覚えがあります。
「誕生 !」 1975年1月25日 初版 高校の友達に子供が出来ちゃって。当時としては問題作。
「ミモザ館でつかまえて」1975年1月25日 初版 木原 敏江氏のフィリップ登場
「ジョカへ………」 1975年8月1日 初版 これは8版 こんなお話だったんだ。
「ポーラの涙 ペールの涙」 1975年9月20日初版 記念すべきデビュー作 「ポーラの涙」を収録。
「F(フロイト)式蘭丸」 1976年9月25日初版
「ロジオン ロマーヌイチ ラスコーリニコフ」 1976年9月25日初版 これは4版
原作 「罪と罰」 おおや ちきちゃまゲスト出演しておりました。
「いちご物語」① 1977年3月30日初版 ② 1977年4月5日初版
「バナナブレッドのプディング」 1978年7月10日 初版 名作と名高かったので、今回楽しみにしてましたが、期待が大きすぎたのか、はたまた私が年を取りすぎてしまったのか…。どっぷり浸かるにはキツイものがあった。
「四月怪談」 1981年5月1日初版 この写真の中で一番気に入った作品、表題作がありました。はっきりとしたハッピーエンドと言うのが気に入ったのかも。
全て私には初見のコミックスで、1975年頃と言えば、自分は20歳を何年か超え、少女マンガからは離れていた頃なのです。大島 弓子氏をもう一度読み出すのは、多くの人がそうであるかも知れないけれど、1978年LaLa5月号掲載 「綿の国星」 からでした。しかもコミックスになってから。
それはさて置き、またまた貴重なコミックスを 夜さん からお借りして、実はひとつひとつ拙い感想を書き、自分の持っている大島氏のコミックスも交えて 大島 弓子祭り をやってみようと目論んでいたのですが、現実は頓挫してしまいました。
身辺が忙しくなって来たのもそうですが、とにかく読むのだけでも疲れてしまった…。以前やはり夜さんにお借りして28冊一気読みした 西谷 祥子氏 のコミックスのときとは同じようで、又違う疲れ。
西谷氏のは自分の末っ子の日記をこっそり読んでいるような気の重さ、大島氏のは友人の子供の自費出版の詩集を読んでおかなくちゃ、という気疲れ、とでも言うのか…。決して面白くなかったと言うわけではないけれど、一気に興味深く読んでしまったのだけれど。
10代の頃、じっくりと自分に引き換えて読んだらじ~んと来るものがあるかも。でももう私は十分過ぎるほどのおばちゃん。この年で初めて読んで、10代と同じ気持ちにはもうなれないのね。せめてリアルタイムで読んでおけば今再読しても当時の感情を思い出せると言うものだけど。
大体、初期の頃の大島氏の作品には 思い込みの激しい主人公達 がいっぱい出てきておばちゃんにはウザイ。
「バナナブレッド~」 の三浦 衣良 (いら)はうしろめたさを感じている男色家が理想で、そういう人とお友達になりたいと願っている。
「いちご物語」 の いちご なぞは、ラップランドから花嫁となるために日本の林太郎の所へ連絡もなしで押しかける。
原作つきの 「ロジオンロマーヌイチ~」 もラスコーリニコフの選民意識は思い込み (思い上がり) そのもの。
「綿の国星」の 須和野チビ猫 は大人になったなら人間になれると信じている。
ああそうでした、思い込み それが若者の特権よ、それがなけりゃ若いときなんてやってられないわ。確かにそうです。おばちゃん、自分の若いとき思い出して赤面してます。
1978年頃から80年代になると作品も (大島氏も読者も ?) 成熟してきて、今読んでも違和感なく読めます。私はその頃の サバちゃん の出てくるエッセイ風のが好きなんですが、一番印象に残っているのは1979年の 「たそがれは逢魔の時間」かも。これ好きな人、他にいないかしら。いつもの大島氏とちょっと違った視点で、ドキッとした覚えがあります。
それと「四月怪談」この3作なら
今読んでも面白いと思うよん(笑)
トミーさんのレビューの気持ちが良く解るわ
私はリアルで読んだ口だけど
当時ですら大島さんの漫画は詩的過ぎて
ついていけてなかったもん(笑)
それでも上の三作品は好きです~~
前に読んだんだけど…
大島さんって時間にとらわれない方らしく
自然に任せて生きていると、
少しずつ寝る時間と起きる時間がズレるらしい
夜中に起きて朝に寝たり
明け方起きて夕方寝たり
彼女の描く漫画もそうだけど…完全自然体なんだな~
って思った記憶があるだ~~(笑)
ある意味、羨ましい生活だと思わん?(ハハハハハ)
一度、定年退職したらやってみたいだ~~
私も、「夏の終わりの~」 は共感できる。好きすき。あと、デブの子が痩せたり戻ったりしてニルバーナしちゃうヤツとか印象深かったな。
「ダリアの帯」は、読んだことない ! 読みたい ! 探そう。
大体からして大島氏の1990年代~最近のは全然読んでないのに 大島 弓子祭り なんておこがましかったね。まずは「グーグーだって猫である」 を読んでみましょか。
分かる~!
当時は、華々しい24年組の一角だったんで
作家買いしてたけど
大島作品て感性だけが先立ってるって言う感じで
ちょっと読み返す気になれない作家さんなんだわ
大体、アンハッピーが多いし、レズっぽいし、ホモっぽいし。。。
本当言うと24年組の中では私の好みから一番外れてるだよね
>思い込みの激しい主人公達
これも激しく同意~!
精神的に弱くて後ろ向きなキャラが多くない?
若い頃はこういうキャラに共感したもんだけど
この年になると、バランス感覚のある冷静なキャラに萌えるわ~
特に理知的な皮肉屋に弱い!
(って、これは昔からだっけ)
やっぱり夜さんも思った~ ? 私今回初期作品まとめて読ませて頂いて、こんなにアンハッピーエンドの作家さんだったっけとびっくりしました、。
なんか80年代の作品ではもうちょっと明るい終わり方も多いよね。時代の空気というか、作者と読者の若さというか、今読んでみると分かるものもある。
>思い込みの激しい主人公達
勝手に思い込んでショック受けて、止めるのも聞かずに後姿の走り去り・・・。少女マンガのお決まりっちゃお決まりシーン、多いよね。
微笑ましいのも2度3度、あまり多いと食傷気味。当時は週間少女誌の一連載や読みきりだから気にならなかったのでしょう。
なんと言っても30年以上前の作品ですもんね~、当時としては詩的で哲学的で新しかったから、文学少女たちは好きでしたよ。
新しめの方から後の大島さん作品(←私の中では「綿の国星」よりあと、ってカンジ。。「四月怪談」も私の中では『新しめ』)は、設定はぶっ飛んでても内容は(心理的には、というのかな?)現実的というか…しっくりわかりやすいというか…そういう感じなんだけど、当時のは若くないと入れない感じってありますね…
大島さん作品ではじめて読んだのは「ヨハネが好き!」で、ふわふわした不思議な雰囲気のマンガだな~、苦手かも?と思った次の瞬間には引き込まれてたみたいで気付いたらだ~だ~と泣きながら読み終わってました、という感じでした。
それでもう作家買い、過去の作品も集め、…と。
もっと過去の「F式蘭丸」とか「ジョカへ…」とかは私は少し入りづらかったけど「ヨハネ…」の頃の作品は好きです、「アポストロフィS」とか「きゃべつちょうちょ」とか「まだ宵のくち」とか。
「綿の国星」(一話目)発表の少し前の「パスカルの群れ」とか「シンジラレネイション」とか「たそがれは逢魔の時間」(あれ?「綿の~」のあとだったかな??)あたりから上記の『新しめ』に入った感じがします。
「綿の国星」は雑誌掲載当時とにかくスゴイ!と思った、びっくりした!みたいに。そう感じたことが忘れられない作品です。
「バナナブレッドのプディング」と「さようなら女達」が近い時期の発表だった気がするんですが個人的には「さようなら~」のほうが好きでした、「バナナブレッド~」はよくわからなくて後年高評価を聞いてからなるほど~と思った感じ…萩尾さんの「トーマ」と似てるかな、と思いました…ユリスモールと衣良ちゃんの立場が…悪い意味でなく「自己完結」してる中では解決できないことを他との関わりで学んで一階梯登るような感じが。
過去作品からざっと見渡すと、「性」に目覚めて(大人になりかけて)持て余してもがいていることがテーマの作品をずっと描いていて、「綿の国星」でそこを脱出して、以後は「生」と「死」とか存在そのものとかに目を向けてる…ような…感じ…に捉えてます。
「綿の国星」は『性』とは直接関係ないような話なんだけども、作者も読者も時夫と一緒に『成人』として生まれ直した、みたいな。。
『不完全で未熟な「成人」未満の生き物』から『成人』へ、というか。
現在は病気を乗り越えてもう「聖人」化してるよ~な気がする、「生」も「死」も達観しちゃってて「自然」に同化しそ~な。。大島さんについて以上のようなイメージを持ってます。。。
>「綿の国星」よりあと、ってカンジ。。
そうそう、そうですよね。大人の鑑賞に堪えるようになったのは。
最近のは全然読んでいないんですよ。一時期まったく描いてないときもありませんでしたっけ。
わー、時間がない、もっとつるさんと大島氏について話したいです。またあとで。m(_ _)m
失礼しました。帰ってまいりました。
なんと言っても、「綿の国星」 は衝撃的でしたよね。もう30歳代でマンガ雑誌は買わなかった私も、評判を聞きつけてコミックスを集めてましたわ。当時買ったのはこれと「ホットロード」「日出処の天子」だけですよ。
「バナナブレッドのプディング」は今私が読んでも良く分からないです。誰が最初に名作だって叫んだんだろうか ? 他に大島さんので、もっと分かりやすくてしみじみ来る作品あると思うけれどな~ ?
大病なさったんですね、知りませんでした。最近描いてないなあと思ってました。今映画で評判ですね、小泉今日子も好きだし、見に行こうかな。
大島さんはガンで、手術は成功して、…あと「グーグー」しか描いてないのかな…
映画でも話題ですけど今年度手塚賞で特別賞だっけ?受賞してそちらでも少し注目度上がったみたいです。手塚賞授賞式には出席されず、きょんきょんが代理で出席されたらしい、いしかわじゅんさんがご自身のブログで書いてました。
「バナナブレッドのプディング」は受け取り方に個人差があるみたいです、読むなりショックを受けてひと晩のた打ち回るほど影響のある人もいるようなので人によってそれだけの影響力のある作品なんだと思います…個人的に実感はないものの「トーマ」でそういう思いをした私には「そーなんだろーなー」と妙な実感が。
「F式蘭丸」と似てるテーマなんだと思います、「バナナ~」の方が完成度が高いんじゃないかな、と。
上にも書いたけど、衣良ちゃんは「成長して『性』というものを受け入れなければならなくなった」けど受け入れることが出来ず「気が狂いそうに」なっていた少女、なのだと思います…自分はそんなことなかったので共感は薄かったけど、そういう思いをしてる思春期の人(そういう思いをして、それを覚えている人)にとってある種の『救い』になる作品なんではないでしょか。
「少女」という自分中心だった世界から脱出して「女性」という、性別の役割分担としては「暴かれる」「受動的な」性である「大人の女性」にならなければならない時期を迎えた半少女にとってはそれは「受け入れがたい現実」としてとても恐怖を感じるものなのかも。
でも峠さんみたいな、「敵」ではなく「わかろうとしてくれる異性」がいるのかも、と思うことはそういう半少女の人にとっての救いなのかも、と。。。想像でしかないんですが。
「御茶屋峠」っていうキャラは、「夢の王子様」的なんだけれども、「ハンサムなプレイボーイ(女性経験が豊富)」的でもあって、「半少女」と「現実」を繋ぐ存在、という感じで。
この人の名前って、仕事をしていて夜中(夜の「峠」)になって、「お茶を飲みたいな~」っていうところから名付けた、とどこかで読んだよーな。。大島さんのキャラの名付け方って面白いですよね、「F式蘭丸」の主人公『よき子』ちゃんも、『良い子(大人にとっての良い子)』というところからきてるとか。
「いちご物語」のいちごは最後まで「少女」のままで身罷ったよね…大好きな恋人の林太郎とセックスには至らず『怖い夜に寄り添って手を繋いで眠る』っていう。。。
「ゼンコさん」は『全子』さんだったり『然子』さんだったりしたよ~な。大島さんが迷ったのかもしれないですね、「完全」の「全」か「自然」の「然」か。このキャラはまっとうな「大人の女性」というものになったんじゃないでしょうか、自然に。
で、やっぱり私は「少女」にとって理想的な林太郎よりプレイボーイの森太郎や日向温が好きでしたわ、うえへへへへ。
私も読みながら、象徴的な名前が多いと思ってました。そこからして当時としては哲学的よね。
そうか~
>「バナナブレッドのプディング」は受け取り方に個人差が
あるのね。当時読んだとしても、上に姉二人がいて生臭いことも子供の時から知っていた生意気な私には響いてこなかったかも。ちなみに弟二人は上に女3人もいて女性に憧れは持てなかったみたいよ (可哀そうに)
>「F式蘭丸」と似てるテーマ
あーっ私もこの二つ似ているな~って思いました、で、そんなヒビッとは来なかった。でもこういう空想癖は若いころは誰でもあるだろうから何となくわかって共感は感じました。
現実に衣良ちゃんのような子は今も (昔も) いるんだろうか。胸の内にはあっても普通は抑えているよね。で自分の中でだんだん納得していって大人になる。それは個人でずいぶん時期が違うということか。