最近、ブログで美しい写真が多いが、例として手前に花が写り後ろがぼやけて立体感を出したものが多い。中望遠レンズで絞り開放に近いとり方である。これは風景を「切り取る」写真である。風景の中から面白いという対象に限り詳しく描写している。
私はその反対に「雰囲気」を再現した、広角レンズでの写真が好きだ。例えば街並みの片隅で子供たちが集まっているような情景や、朝の市場での喧騒を写したようなものである。
時代がどうも「切り取り」に向かい、詳細で緻密な管理に向かっているのと連動しているような気がする。
最近、ブログで美しい写真が多いが、例として手前に花が写り後ろがぼやけて立体感を出したものが多い。中望遠レンズで絞り開放に近いとり方である。これは風景を「切り取る」写真である。風景の中から面白いという対象に限り詳しく描写している。
私はその反対に「雰囲気」を再現した、広角レンズでの写真が好きだ。例えば街並みの片隅で子供たちが集まっているような情景や、朝の市場での喧騒を写したようなものである。
時代がどうも「切り取り」に向かい、詳細で緻密な管理に向かっているのと連動しているような気がする。
公共財とエコについて考える。車は最近売れ行きが悪い。ガソリンも上がっている。むしろそれならば車を不便にしてはどうだろう。小道に車が速度を出せないように路面に出っ張り(ハンプやダンプ)を設けてはどうだろうか。道に細工をするのにお金がかかるのならタイヤの空気圧を上げて抵抗を少なくし、乗り心地を悪くするのも手である。この場合、空気圧の低く太い乗り心地の良いタイヤには「贅沢税」をかければよい。エコとは「我慢で地味」である。我慢の反対の快適さや豪奢さには負担を願おう。
エコについてであるが、例えば「スポーツ」というのもエコの反対である。無駄にエネルギーを使っている。しかし「メタボ」もお金がかかるので防止したい。そのためには運動だということになる。エコがすべてでもない。芸術や趣味に関することは大体エコに反している。しかし、心や体の満足や生きていく喜びがある。本当に無駄なものは節約すればよい。節約のための人生は順序を再考する必要があろう。
景観とは「公共財」なのか「私有財産の連坦」なのかが明確ではない。ここで景観が良い場合、経済的価値としては①「住む」住人の生活環境、②「訪れる」来訪者の誘致、③「認知」景観都市としての産業育成 が挙げられる。
評価として、①の住むはアンケートと統計から「賃料の上昇」、「地価の上昇」、「転入人口の増加」で資産的価値や地域GNPとして分析ができる。
②の来訪者の増加もアンケートによる「何が目的で来訪しましたか」というのと「消費単価」で分析できる。
③は面倒である。他の都市との比較で景観からの優位性分析であるが、日経の地域情報などの分析が必要かもしれない。警官の持つ認知性(Attractiveness)を明らかにする必要がある。
なお、リターンは上記のモデルで分析できるが、次回以降、手法と時間(中期・長期など)を考えてみたい。