大変な労作だ。他の著作も読まないと、と思う。しかし勧工場(明治20年後半から30年に隆盛)は、パビリオン形式(勧業博)の流れはあり、一筆書きの動線、屋内通路で土足、小割りの店舗はあるが、百貨店(以下 デパート)とは違う。勧業博の流れを受け、勧工場は快楽園として「遊覧」の位置付けだったのだろう。但し、銀座の博品館が勧工場の出自でしかも二重螺旋階段だったとは面白い。また、当時の銀座に多かったこと、時計塔(名物、広告)があったこと、安物が多いが人も呼んだことは発見だ。なお、パビリオンが一筆書き動線なのは今でも多い。海遊館などもパビリオン型であり一筆書き動線だ。デザイナーのCambridge 7がもともとパビリオンに強かったのもある。<o:p></o:p>
デパートの出自はフランスのボン・マルシェなどで( http://pub.ne.jp/n7ohshima/?entry_id=2529623 )部門ごとの売り場とその統合、運営が特徴だ。呉服店から百貨店の嚆矢は三越(三井呉服店)のようだが、その分析が深い。明治43年の「婦人画報」の広告に「柄の新しい気の利いた織物、値は安くて品の確かな雑貨」を売り物にするからは、一般にはそういう店がなかったのだろう。また、当初は「雑貨陳列販売所」、「小売大店」、「百貨商店」から「百貨店」になったのは「商業界」の桑谷定逸主幹によるという。知見として<o:p></o:p>
・学俗協同で学者、著名人、文化人の意見を聞き、内外の貴顕の接待所<o:p></o:p>
・婦人をターゲットに子連れを誘引<o:p></o:p>
・子供ターゲットの新規企画(子供博覧会)、品揃え、お子様ランチ<o:p></o:p>
・屋上の遊園地、余興、無料休憩室、音楽隊で家族狙いの遊覧場<o:p></o:p>
・土足で入場<o:p></o:p>
・アトリウム、エスカレーター、エレベーター<o:p></o:p>
・貴金属、芸術品で山の手ターゲットに新築の邸宅や購買層を開拓<o:p></o:p>
・洋食で集客、阪急のロールケーキやカレー<o:p></o:p>
・自動車送迎や地下鉄直結<o:p></o:p>
・新規なスタイルの建築様式<o:p></o:p>
・街をぶらぶら、銀ブラ、心ブラ、頓ブラ、四条ブラ、元ブラ(三宮ではない)<o:p></o:p>
なお、巻末の資料リストは素晴らしい<o:p></o:p>
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今回の著作からデパートを考えるとデパートとは<o:p></o:p>
①部門ごとに物を売る(デパートが集積する)、先端のものの集積、協働企画<o:p></o:p>
②先端の施設、売り方<o:p></o:p>
③プロモーションとしてのイベント<o:p></o:p>
④長い滞在時間への施設充実<o:p></o:p>
⑤鉄道などの交通機関への対応<o:p></o:p>
と分析できる。現在、<o:p></o:p>
①の品揃えについて、趣味性はセレクト・ショップが優位、大型専門店(家電など)が品揃えは優位<o:p></o:p>
②はショッピング・センターが面白い、デパートは箱だ<o:p></o:p>
③については北海道展が未だに人気なように、セールもあり優位性がある<o:p></o:p>
④屋上遊園地も、食堂もなくなった、かつてのホテルの飲食も個店に負けているくらいで、街歩きの時代だ(お仕着せが通用しない)但し郊外ショッピング・センターは車利用の幼児連れには人気だ<o:p></o:p>
⑤車利用のショッピング・センターに負けていたが、最近は都心居住で自転車が多い。しかも、親切でありシルバーに人気だ<o:p></o:p>
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デパート自体の変化もあるが、利用者層と居住地、競合施設による変化が大きい<o:p></o:p>
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