急に暖かくなり切山平家遺跡保存会の真鍋潤さん案内による午後からのハイキングを楽しみにしていたがちょうど出発するころから雨が降り始めた。
雨が降れば降ったなりのハイキング内容になる。
途中の一軒家へちょっと雨宿りと立ち寄る。
家の人たちはでかけて番犬だけだったが吼えもしない。
番犬にならない犬だと思っていたが帰り忘れ物をしたメンバーが一人で立ち寄ると吼えられていたのでリーダーの真鍋潤さんを知っていたから吼えなかった賢い犬だった。
雨もやみそうにないのでしばらく歩いて福リーダーの家が建てまわししたと言うので立ち寄る。
以前は何軒かの家があった場所だが今は関西方面での仕事を定年後家を立てて住み着いた福リーダーの家のみがある。
自慢のマキストーブで暖を取り暖かいココアミルクをいただき各自持参の菓子をわけあってハーモニカ演奏で歌を歌ったりしてすごし今日のハイキングは終わったが楽しかった。
建てまわしもプロの建築屋でなく切山の人達で作ったらしい。
作った人たちが集う場所にもなるのだろう。
第9回クラフト展の準備で忙しく過ごしている最中でも何とか時間を捻出して参加すればそれ以上のものをいただける。
帰りに立ち寄った毎月1日に開かれる切山昌平校塾の時には咲いてなかった梅林は満開だった。
低く飛ぶ雲をバックに泰然とあでやかに咲く梅には今年もありがとうと思わずつぶやいた。
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金生町暮らしをはじめて妹のきんかんと愛媛県立美術館へ講座を受けに行くのも4回目になった。
毎年2月に行くので堀に梅が咲いているが今回はやっぱし咲いてなかった。
それでも木姿の魅力的な街路樹はたくさんあった。
”印を彫って印譜を作ろう”の講座は”出光美術館所蔵文人画名品展”が開かれている関連講座だ。
東京暮らしのときはよく行った美術館だ。
まず美術展の出品作品の中で面白い印の使い方をしているのを見学。
反対に押しているのや人物画の 肩の辺りに押しているのがあって印を意識してみると結構面白い。
作った印にはカタカナで”イエツァオ”と書いた。
白文なので簡単だと思っていたがやっぱし彫ってみると難しい。
印を作ったうえに和とじの印譜まで教えていただいた。
帰りは雪がちらつく高速を走って西条インターにある椿湯温泉へ。
風呂上りに眺めた真冬の16夜の月は冴えわたっていた。
同行の妹のきんかんは”充実の一日だ”とつぶやいていたがまったく同感。
明日からは第9回クラフト展(イエツァオグループによる)の創作にダッシュ・・の思いはつのってはいるがなかなかサクサクとは作れない。
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愛媛県立美術館で開かれる”印を彫り印譜を作ろう”との講座に妹のきんかんと参加するため行って驚いた。
”マリー・アントワネット物語展”がまだ開かれていた。
1月20日で終わってるはずが好評につき延長で今日まで開かれている。
きんかんは即”みたい”と言う。
お姫様がすきなのだ。。
やっぱし私も見たい。
政略結婚のため14歳でオーストリヤより一ヶ月もかけてフランスへやってきて37歳で処刑された人生を実感できただけでも見た甲斐があった。
撮影可の部屋は華やかな宮廷衣装が展示されていた。
その衣装をマリーアントワネットが着たパネルが飾ってあった。
その時代の絵画でよく見る横広がりのドレスも展示されていた。
冗談だと思ったがこれがこの時代の髪飾りだ。
同じく日本の江戸時代でも男も女も今では考えられない髪を結っていた。
本当に時代の流れと言うものは何を生み出すかわからない。
思わずおまけのようなときをすごせた。
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ハンの実の煮汁で鉄媒染した帯芯が染め上がった。
ついでに海で拾ってきたロープ類も同じく染めた。
3月24日より開く第9回クラフト展(イエツァオグループによる)で染めた布がどんな作品になっていくのか楽しみだ。
一応布バッグを作る予定だけれど。。
ちょうど東京の仲間に送る花材として採っておいたハンの木の枝を一緒に撮影した。
金生町の野山での春はまずハンの木の花の淡いグリーンで感じる。
もう芽も膨らんでいるし花も色付いているがまだまだ寒さ真っ盛り。
去年の暮れより始まったパソコン被害の件がまだ続いている。
創作に集中したいがなかなか難しい状態で今日も電話があり創作中止で農作業へ。
何か不本意なことが起こるのが生きてる印。
真正面から受け止め納得行く解決をしていく。
それが創作へのエネルギーに還元されていくと信じている。
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リモートコントロールでのパソコン指導でパソコンの調子が悪くなり技術者と社員が来てくれることになったと決まったのは12月30日。
1月7日になれば直しに来てくれるんだとパソコンに言い聞かせあの手この手で働こうとしないのをなだめすかしてメールのやり取りをし時間がかかりながらもとりあえずブログもUPしてきた。
待ちに待った2人が来てくれたが回復のめどがつかず代替のパソコンを置いて調子が悪くなったPCを持ち帰ることになった。
家へ来て作業すること3:30分。
私が作業することはなかったものの本当に疲れた。
昨日より第9回クラフト展に向けての作品つくりをはじめたが今日はアウト。。
早く寝て明日がんばろう。
パソコンの恩恵は受けてるもののどうしてその恩恵を受けられるのかもわからず使う不安はいやなものだ。
技術者が操作するパソコンを眺めていたが私には到底できない作業だ。
いいものを持つと同じぐらいいやな思いもする。
それにしても年の暮れから一ヶ月以上パソコンがよくなるということではじめたリモートコントロールで次々と不具合が起こり大変な時間とエネルギーを使うことになった。
毎年恒例になった母の誕生日ドライブに妹のきんかんと3人で行った。
12月27日で満92歳。
コースももう決まった。
まずは海の見える道の駅で買い物。
それからうどんを食べて琴弾公園へ。
そこは母にとっては思い出の場所だった。
70年以上前好きだと打ち明けられた男性と親には内緒で行ったが何も話さないで後ろをついて歩いた場所だそうな。
戦死したらしいが名前も憶えていた。
初めて聞く話だ。
城山の戦没者記念碑へ名前を探しに行ってみよう。
それからスーパーへ。
”物の相場を見ないと時代に取り残される”と言ってスーパーで買い物をするのが大好きだ。
買い物カーに寄りかかりながらほしいものを選んでいく。
それから私の部屋でクリスマスをイメージしたケーキと紅茶。
母は嗅覚ががなくなって7~8年になるがもう慣れたそうだ。
とにかく悔やんでも仕方がないことは前向きにあきらめる。
気持ちは50歳だといっている。
又来年誕生日ができますようにと願って散会。
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不老庵へは庭ずたいに行ったが本当は肱川対岸より全景をながめた上で行きたかった。
肱川を見下ろす絶壁に舞台つくりの不老庵を写真で見たとき臥龍山荘へ行きたいと思った。
まず見たかったのはすて柱に使われている槙。
本当に建てられたときから変わらない状態らしい。
裏へまわって確認した。
てっぺんの枝を切ると伸びない性質があるそうだ。
私の畑にも勝手に生えた槙が2本あるが伸びないようにてっぺんの枝を切るつもりだ。
天井は竹の皮で作った船底作り。
川面に写る月光を反射さす巧妙な作りと書いてあったがどんな状態になるんだろう。
19日は日曜日で有料だがお抹茶がいただけるので抹茶好きの妹のきんかんの勧めでいただいた。
白鷺が舞い降りた広々とした肱川を眺めながらのお茶はなんとなく優雅な気分にさせてくれた。
ドキドキするものがたくさんある場所だった。
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ゆったりと流れる肱川には屋形船がたくさん停泊していた。
橋の支柱には水位をあらわす印がつけられていたがもちろん荒ぶる流れになるときもあるのだろうが河川敷も広くよく整備されていて安全対策は万全のようだ。
昔を残した町並みの側溝には肱川のきれいな水が流れていた。
観光も終わり車へ帰る途中だったが思わず妹のきんかんが靴を脱いで側溝の中へ入った。
肱川を裸足で歩け無かったからだそうだが観光客もいた。
私もちょっと入りたかった。
明治時代レンガを使って建てられた銀行跡だがお土産売り場やギャラリー、休息所として保存されている。
情緒的に組み込まれた敷石は豊かな気分にさせてくれる。
商店街の店先には和菓子の木型が飾られてた。
町全体が民族資料館のようだ。
暑い中だったがところどころに涼しい休息所が設置されていて配慮も行き届いている。
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思わずおまけ旅行を楽しめたが本当の旅行は19日に妹のきんかんと一緒に大洲へ行った。
きんかんが愛媛県美術館の”ジエームス・アンソール展”へ行きたいと言うので私が見たい大洲の臥龍山荘までついでに行くことになった。
天気は最高で車窓から少し秋めいてきた空に浮かぶ雲を眺めているだけでもうきうきする。
肱川に足をつけるというきんかんの希望で川原へ下りたが適当な場所が探せないまま川原に出っ張った小高い山の上にお城を発見。
まずはお城見物。
明治時代に解体されほとんどが市民の寄付により2004年に復元された大洲城は空に映えていた。
”お姫様気分になれるからお城は大好き”というきんかんが記念撮影してほしいと言うのできんかん付きのお城の記念写真になった。
主のいなくなった建物としてのお城は魅力的だが私のイメージとしてのお城は哀しい男達と戦争だ。
残っていた木組み模型などを参考に再建された内部は1~2階はふきぬけで4回の天守閣までは一本の柱で支えられている珍しい構造だそうな。
たっぷりの木材が使われた空間にいるだけで豊かな気分になれる。
天守閣からの眺めは高いビルも四国中央市のような巨大煙突も無く穏やかでこじんまりとしている。
大洲のたびは天守閣から町を見下ろすことから始まった。
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秋めいてはいるがまだ猛暑が続いているものの私の部屋は8時過ぎより2キロほど離れた海からの風が入る。
窓を開けてすごす時期は風に吹かれる心地よさを充分感じながらの毎日だ。
でも四国中央市の土居地域にはやまじ風という厄介な名物風がふく。
ハイウエイオアシスこまつからの帰り札所めぐりの次に11号線に”やまじ風公園”の指導標が目に付いていたので立ち寄った。
まずは”風のホルン”に感心した。
強いやまじ風が吹くと風を受けてホルンがメロディーを奏でる仕掛けらしい。
農作物や建物に被害をもたらすやまじ風にメロディーを奏でさすとはいい事を思いついたものだ。
自然には勝てないんだから仲良くするに限る。
建物はトイレがある管理棟があるだけでグラウンドと長いローラー滑り台と少しの遊戯施設だけだ。
誰もいなかったのでこわごわローラー滑り台で滑ってみた。
はじめは必死で早く滑らない工夫をしていたがすぐなれた。
ただすべるだけだけれど勾配とカーブがあり意外と面白かった。
ローラー滑り台の全景だが誰もいなかったら又挑戦したい。
それにしてもいつ奏でてくれるかわからない風のホルンの演奏をいつか聞きたいものだ。
おまけ旅行の最後にこじんまりと落ち着くいい公園を見つけた。
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暑い毎日だが干物を作るには最高だ。
24個しかできなかったが梅干しとシソの土用干しをしているし昨日採ってきたクマノミガイを茹でてみを取り出したのも干した。
昨日は大潮の上千底が5:30分頃なので日も陰っているだろうし、干物にするクマノミガイと素材用の石ころを拾いに余木崎海水浴場へ行った。
一時間ほどでかなり採れた。
毎年殻は数日間も水につけきれいにして素材用に保管しているが今回は石灰の代わりに畑にまくことにした。
暑い一日だったが夕焼けもぎらぎらと華やかだった。
海を隔てて真ん中の黒く写っているテトラポットで潮風にふかれながらの貝採りだったが心地よく真夏を満喫できた。
先日行った伊吹島も夕焼けに染まっていた。
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今花やつぼみを味わうのに興味シンシンだ。
今日は1日で切山昌平行塾の日なので泊りがけで来てくれている大阪の友達と参加した。
彼女も切山の遺跡には興味を示してくれるので遺跡を案内しているときタラノメのつぼみを見つけた。
ほんの一ヶ月前まで新芽を採って食べてたのに柔らかい緑のつぼみをつけている。
黒く熟した小さな実を果実酒にしたことはあるがつぼみを食べたことはない。
友達に手伝ってもらって柔らかそうなところを採った。
友達は今重曹で洗うのにはまっているとかでスプレーと重曹をセットで持ってきてくれスプレーに重曹を溶かしいれ、せっせと食器や台所をきれいにあらってくれた。
友達は台所用具などにくわしく来るたびに新しい洗剤や用具を持ってきてくれる。
私は山菜のことを友達よりくわしいので今回はタラノメの新芽を無理やり・・持って帰ってもらった。
湯がいて食べたが新芽のほうが香りはあるが形がかわいらしく使い方によっては楽しい食材だ。
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