去年の野草(イエツァオ)展では白いスズメウリ、畑のグリーンのフウセントウワタ、赤いヒヨドリジョウゴを生けた。
ことしは野山ではスズメウリもヒヨドリジョウゴも見かけずトクサとナガホシロバナワレモコウを採ってきた。
金生町で初めて開いた第25回野草(イエツァオ)展に作った”机・椅子・花器”に思い切って生けた。
三宅島で拾ってきた穴あき石にペインテングした花器にも応援してもらった。
東京では出来なかったが金生町で開く野草(イエツァオ)展では会場に野の草を生けられるのがうれしい。
花が枯れると会場を開く前に採集してきて生ける。
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横浜に住む幼馴染のお母さんが野草(イエツァオ)展にきてくれた。
一度見て欲しいと思っていたが一般的でない作品だし90歳近い彼女には負担になるのではないかと迷っていたが9時から開かれる朝市で時々会うのでDMを持っていったらぱったり会った。
幼馴染には私の作品のことは聞いていたらしく喜んできてくれた。
いつも白髪をすきりまとめ童女の様にとても可愛らしい。
朝市であうと”おばさーん”と声をかけて手を握り合うだけだけどあえるととてもうれしい。
”机 椅子 花瓶”の作品に見入っている彼女だが子供のころから私を知ってくれている為か丁寧に興味を示し見てくれた。
幼馴染は”よっぽど私に食べさせたかったのか、痛みやすいイチジクを送ってきた”といっていた。
いくつになっても甘えることなく人を気ずかえる強くてやさしい人なのだろう。
27回続けて開くことが出来た野草(イエツァオ)展は来てくださる人にエネルギーをいただきながらやってこられた。
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40年前の古新聞を友達よりいただき修理できた”新聞紙NO1”はでんと会場の一角に陣取っている。
新しい新聞紙で修理した場所は左側で目立つ。
40年前の古新聞で修理した場所はシュロ皮の右側だがあまり違和感がない。
本当に古新聞が手に入ってよかった。
ほとんど何でもお金で手に入る世の中だが年月で色づいた古新聞はなかなか買えないだろう。
今日は東京での野草(イエツァオ)展によく来てくださっていた人より”急に思い出したのよ”と電話があった。
今回はDMを送らなかったのに。。
野草(イエツァオ)展は同じ時期に開いて27回目。
東京を引き上げるとき毎回野草(イエツァオ)展に行って巣鴨の地蔵道りでムカゴを買うのが楽しみだったのにと言われた人には少しだけど採集できたムカゴを送って2回目。
丁寧なお礼の手紙をいただいた。
ただただ回を重ねる野草(イエツァオ)展だがいろんな人達の心をいただき生きる力になっている。
明日は又遠方より友達が来てくれる。
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赤いペンキが残った流木とシュロ皮の茎の部分を使ってアオツズラフジで編んだ花器を三宅島で拾ってきた穴あき石を使い赤などのアクリル絵の具でペインテイングした”叫び”とを赤色と海つながりで今回はあわせた。
今日も完全無農薬の立派なダイコが6本も届いた。
葉っぱを切り落として湯がきながら6本の白いダイコをどの作品とあわせようかとかんがえた。
チョット悲壮な感じの”叫び”の元へ並べた。
その後たんざくに切りリンゴも同じように切りユズの皮と白だしと酢をかけて食べたが酒の肴には最高。。
泊りがけで野草展(イエツァオ)展を見に来てくれる友達に今回はダイコずくしだと電話した。
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宮内フサさん89歳の時の作品だがもちろん野草(イエツァオ)展に飾っているわけではない。
人形収集家の高橋さんが私に見せるために会場に持ってきてくれたものだ。
わに祭会場の東の里の骨董やで手に入れた少しかけた人形と完全な状態の人形も持ってきてくれた。
かけた人形は土でベースが作られている。
完全な人形は張子だ。
かけた人形のほうが古いそうだ。
完全な人形を壊して構造を見るのはイヤだけれどかけているから見えたと言っていた。
本職が建築家の高橋さんはいろんな方向から私の作品を見てくれる。
フサさんのような天真爛漫でのびやかな作品はまだまだ作れないけれどやっぱし目指したい方向だ。
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展覧会を開いてうれしいのは普段会えない人達がひょっこりきてくれることだ。
野草(イエツァオ)展は私の収穫祭と称して自分が一年過ごしてきたことを表現する自分に向って作った作品の発表会なのでDMもそんなに配ってない。
それに一般受けする作品でないので興味を持ってぽつぽつ見に来てくださった人達とのんびり話しをするのが楽しい。
今日は立派な柿の枝つきを持って山仲間がやってきた。
東京では考えられない差し入れだ。
この柿の枝はどの作品とあうのかとウロウロとさがした結果”まがたま”におちついた。
柿は夕食後いただいたがぱりぱりと新鮮でとろけるに美味しかった。
東京生活30年以上、もちろん山仲間とはその間あってはいない。
今が落ち着いていいと山仲間は言っていた。
しっかり生きてきての今なのだろう。
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今日は一日中雨だった。
それでも野草(イエツァオ)展を気にしていてくれる人達は来てくれる。
毎回手作りお菓子を持ってきてくれる人が初日にはこれなくてと珍しく買ってきたお菓子を持って現れた。
京都土産だ。
9月に結婚したお嬢さんの嫁ぎ先の京都へ紅葉見物へ行ってきたそうだ。
イモの子を洗うがごとくの混雑だったが京都の紅葉はすばらしかったと話してくれた。
今日は仕事途中にお土産を届けるだけで後日休日に見に来てくれるとのことで帰っていった。
金生町でもクラフト展(イエツァオグループによる)も含めて5回目の展覧会。
東京でもそうだったが展覧会を軸にしての心楽しい人間関係も出来てきた。
写真はカラスザンショウの皮を使って作った新聞紙タペストリー小。
第25回野草(イエツァオ)展で作った”まがたま”とあわせた。
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無事初日を迎えることが出来た。
今回は来年予定されている紙のまち資料館での企画展出品を頭に置いての飾りつけになった。
右端は「水面」で第16回野草(イエツァオ)展の作品で反古紙を使った。
次が「新聞紙タペストリー」で今年の新作。
次は第15回野草展で作った「3等分」牛乳パックを溶かして再度紙状にしたのを使った。
次は第26回野草(イエツァオ)展で作った「天空を舞う」これもわざわざ作った反古紙を使っている。
以前の作品でも並べ方を変えるとちがった雰囲気に見えるのがたのしい。
今日はおばあさんにつれられて小学一年生のおう君がやってきた。
とにかくものをつくるのが大好きなおう君は会場へ入るなりバフウ人形で遊び始めた。
それから歌うように”ひーらめいたひらめいた”言うので”なにがひらめいたの”と聞くとドングリで作る鉄塔や五重塔の話をしてくれる。
何度も何度も歌っていたのでいろんなものがひらめいたようだ。
恐竜も大好きと言うので絵を描いてもらった。
天真爛漫、うらやましいほどのびやかな絵だ。
展覧会を開いたからこそおう君がやってきてこんな絵を描いてもらえた。
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金生町では3回目で27回目の野草(イエツァオ)展を11月21日(日)より12月5日(日)まで開くことが朝日新聞の地方欄のイベントコーナーに今日載った。
一回目は7月に東京より帰り11月に開いたのでただただ開くのに精一杯だったし2回目も同じだったがやっと生活にもなれて余裕が出来ての行動だ。
早速場所を知りたいと電話がかかってきた。
それで信号機が付いたありがたみを実感。
”元川之江市役所の信号より切山方面に向って2つ目の信号のあるところ”と言えばいい。
それに”700メートル先通行不能”の看板の前と言えば迷いようがない。
信号はチカチカうるさいし、大きな看板は目障りだと思っていたが目印としては最高だ。
愛媛新聞のイベント紹介コーナーにも載せてくれそうだ。
第27回野草(イエツァオ)展
日時 11月21日(日)~12月5日(日) 10:00~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
サツマイモの新芽はイモを始めて植えた去年より食べている。
あくはなく柔らかくヌメリがありとても美味しい。
それに真夏でさえ虫にくわれない。
菜っ葉ものは虫に食われる為10月末まで種も蒔けない私の畑では夏場は貴重な夏野菜だった。
先日イモと一緒に東京の友人に新芽を送ったら乾燥させたイモグキが売られているので一度茎を食べてみてほしいと言われた。
イモズルの先の新芽を少し下まで採ると硬いのにどこを採るのかと思ったら葉っぱの茎だった。
ネットで調べると皮をむいで使うと書いてあったがそのまま下湯でしてキンピラ風にしても煮物でも和え物でもアクがなくて美味しくいただける。
新芽はいがいと量が採れないが茎ならたくさん採れる。
先日泊まってくれた友人より持ち帰ったイモグキが美味しかったとのメールがあった。
サツマイモを作り始めて2年目。
芋、新芽、茎一種類植えて三種類の食材になるのを発見。
それに生のイモグキは売られてない。
11月21日より開く野草(イエツァオ)展には泊りがけで来てくれる人達がいる。
もてなし料理にも使えるし軽いのでお土産にもいい。
イモグキと言えばサトイモの茎もフキも茎を食べる。
暑い夏だったのであまり大きくならなかったサトイモの茎と涼しくなって芽吹いたフキも畑で採れた。
第27回野草(イエツァオ)展
日時 11月21日(日)~12月5日) 10:00~18;00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
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”新聞紙NO1”をリメイクしたものの新しい新聞で修理した箇所がきにかかる。
いい具合に古い新聞を持っていそうな友達がやってきた。
昔書いた絵をはさんでいるのがあるからと早速持ってきてくれたのは見事に色づいているが濃淡がある。
濃い色のは昭和42年で薄色は昭和61年。
どちらの色も”新聞紙NO1”の新聞紙部分になじむ色合いだ。
右はたが新しい新聞紙の色。
私が造形の素材として使うものはお金で買えるものは少ない。
今回の”新聞紙タペストリー”に使った豆がらも豆を採って捨てる寸前にきれいと思いとっておいたのを使ったしアカメガシワの皮も山小屋の入り口に生えているのを切り倒して皮を剥いだ。
今回の色付いた古新聞は自分ではどうしょうもなく諦めていたのでうれしかった。
新聞紙の上に置いた貝も波と砂であけられた箇所が気にいって植物を植えた。
その垂れ下がっている枝をクモが糸を張る支柱にした。
私もいろんな物を素材にするがクモも同じだ。
第27回野草(イエツァオ)展
日時 11月21日~12月5日(日) 10~18時
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
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友達と食事をしていたら「ウワークモだ」と言う。
私が座っているほんの近くの小さな貝に植えた植物の中に手足の長いクモがわさわさ動いていた。
「こんなに近くにいてこわがらないんだ」といったら友達は「そういう見方があるんだ」と言った。
友達はクモが苦手らしい。
そのうちするするといなくた。
翌日貝に植わったいつもは垂れ下がっている植物が浮き上がっていた。
よく見るとクモの糸が絡まっている。
見あげるとクモがいた。
よく見ると私が歩く場所は避けられているが広い範囲にクモの糸が張られている。
ココに住み着くらしい。
同居人になるので名前をつけることにした。
クモ太、クモ一、クモ太郎、考えたがやっぱしクモスケが呼びやすい。
なんとなくにぎやかになった。
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リメイクも難しい。
アミでベースを作り新聞紙とイネ科植物を使った立体は1999年の第16回野草(イエツァオ)展に出品した。
縦横60,65センチと大きく東京より引越しの時は処分する気持ちになっていたがよもぎさんの「どこにもないものなのに」と言う助言で持ち帰った。
今回のメイン作品は”新聞紙タペストリー”なので新聞紙を使った作品第1号の”新聞紙NO1”をリメイクすることにした。
ながめているとイネ科植物を外したくなった。
外したがなんの素材を新しく組み込むかは思い浮かばない。
2週間ほどしてシュロの皮を使おうと思いついた。
金生町生活になり畑開墾時に切り倒した大きなシュロの木を使った作品を色々と作っている。
シュロ皮が身近に感じるようになったから思いついたのだろう。
使用する素材さえ決まれば作業にはあまり時間はかからないが困ったこことを発見。
所々で抜け落ちている新聞紙部分があり新しい新聞紙では11年かけてじっくりと色付いた茶色の新聞紙再現は難しいことだ。
急きょ天日に干したが無理だった。
少し目立つが白い新聞紙を補充した。
第27回野草(イエツァオ)展
日時 11月21日(日)~12月5日(日) 10:00~18:00
場所 ギャラリー作唯 四国中央市金生町下分742
電話 0896-72-6808
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