双幹の木に皮がとれ硬い部分だけになったトゲトゲ状の枝が水平に置かれていた。
ここへ現れるのはイノシシと小動物と私しかいないので手を使える私が下見の時置いたのだろう。
やっぱし地物の柿やアケビは使いたい。
柿があるだけで”里の秋”を思い描ける。
ずっしりと実の入った枝豆は素材として運んいたのを使った。
50年ほど前造成して五葉松が植えられていた場所だ。
五葉松にはあわない土地柄だったのかほとんど枯れている。
山小屋へ来ても来ることのない場所だったが今回作業場として使うことができた。
双幹の木に皮がとれ硬い部分だけになったトゲトゲ状の枝が水平に置かれていた。
ここへ現れるのはイノシシと小動物と私しかいないので手を使える私が下見の時置いたのだろう。
やっぱし地物の柿やアケビは使いたい。
柿があるだけで”里の秋”を思い描ける。
ずっしりと実の入った枝豆は素材として運んいたのを使った。
50年ほど前造成して五葉松が植えられていた場所だ。
五葉松にはあわない土地柄だったのかほとんど枯れている。
山小屋へ来ても来ることのない場所だったが今回作業場として使うことができた。
柿色とは熟した柿の色だそうな。
下に写っている入れ物にたくさん入った熟し柿を頂いたときはまさに柿色を感じた。
パワフルで本当に美しい。
熟し柿は渋柿がいい。
渋くて食べられない柿が熟すとウソのように良い甘さになる。
熟すと柔らかくなりすぐ皮が破け扱いが難しく食べごろが短いためか売られていることは少ない。
木からとるのも大変な作業だろう。
貴重なものを本当にありがたい。
しばらく飾っておきたいがそんなにもつものでない。
数個はすぐにジャムにした。
甘いので砂糖は控えめにして長い間煮詰めたが少し渋い味がする。
食べ方は後日考えよう。
アカシソジュースにトコロテンと熟し柿を入れたのは美味しかった。
晩秋、葉の落ちた大きな柿の木に柿がたくさんついている風景は良い日本の原風景だ。
熟し柿をながめながら思い描いた。
塾し柿の上に乗っかっている同じ色の小さな実は激辛トウガラシのハバネロだ。
ハバネロもいただいたもので同じ色だが日本の原風景は思い描けなかった。
頂いて初めてハバネロを知ったが激辛とのことなので小さく切ってショーユに漬けこんだ。
丁寧に手を洗ったつもりだったが目のふちを触ると痛くて涙が出てどうなることかと心配した。
本当に辛いようだ。
甘辛の日だった。
山小屋に植わっている甘ガキは樹齢50年はたっているがほとんど実がならなかったものの鳥に食べられたのもあるが11個もなっていた。
貴重な素材だ。
妹のきんかんは早々と”実り”を創作。
柿の上に飾ったアケビを持ち帰るつもりでいたが忘れて帰りガッカリしていた。
下部分。
白いレースのカーテンが素材に仲間入り。
実はあまりならない柿の木だが葉の紅葉具合は毎年魅力的だ。
ホールトマトの空き缶のそばよりトゲのあるサンキライの幹が上に伸びている。
トゲを利用してラデッシュを飾る。
余木崎海水浴場近くにある廃屋でも活躍したラデッシュは今漬物にして美味しくいただいている。
9時すぎ山小屋へ向かうがその前に早苗出池を散策。
野草(イエツアオ)野外教室は花材を用意しての通常のお花のお稽古ではできない自分で花材を見つけられる目を養うために始めた。
今はお花のお稽古とはかけ離れた教室になったが出発点はそうだった。
何かに心惹かれれば創作につながり回を重ねるほどに自分と向かい合える創作の魅力にはまっていった。
いい状態で創作するにはそれなりの準備がいる。
すぐ作業場の山小屋へ行かないで早苗出池を散策するのもそのいっかんだ。
そこで思わぬ風景に遭遇。
池がない。
池とは水がある場所としたら・・。
池の底にこんな施設があるのを初めて知った。
池の水を抜き何かの工事中のようだ。
なかなか見られない池風景だった。
6:00分起床で城山公園へ散歩のため車で出発。
潮の具合でまずは近くの海岸へ。
流木ひろいが目的だが思わず大きなマツバガイを大量に発見。
良い流木は拾えなかったが朝の味噌汁はマツバガイで出汁をとり、きれいな殻は素材として使うことになった。
城山公園で立ち寄った場所からはかすかに白く潮の道が遠望できた。
遊歩道では咲き始めたばかしのツワブキの花がきれいだ。
大胆に選定された木の芽吹きが個性的だ。
来年はどんな状態になっているのだろう。
19歳の時上海事変で戦死したおじの名前が刻まれた戦没者名簿碑へは行くと名前を触ってくるが彫られた名前に塗られた色が剥げて読みづらかったのがきれいに塗り替えられてうれしかった。
終戦70年の記念の年の年なので塗りなおしたようだ。
キンモクセイのいい香りはどことなく漂ってくる。
いつもこのころ天国とは良い香りのするところだと思う。
いい香りも人を幸せにする要素だろう。
華やかな香りのわりには花は小さくて地味だ。
街灯を巻き込んだキンモクセイの木。
あまり高木にならないから街灯の機能を奪うこともないと思う。
去年の城山散歩とはまた違った発見があった。
18時過ぎ宿舎になる我が家へ着く。
ほとんど夕食の準備は整っている。
19:30分までにはお風呂も入り乾杯したい。
箸置きは一分で作る。
いろんな植物を生けてる中より選び妹のきんかんは葉付きのグァバ、アカシソの実、ミゾソバを合わせ、私はビワの葉を丸めて止め赤と青い実が付いたオカサンゴを切込みを入れたビワの葉に立て掛けた。
恒例の果実酒は赤バラ、黄バラの花びら酒、とハブソウの実のお酒。
バラ酒は花の色によって味が違う。
天候に恵まれ素材に恵まれ場所に恵まれおもいきり創作できた後は爽快だ。
ゆっくり食事をとった後は心地いい疲れがやってきた。
まだまだ創作意欲はあるものの薄暗くなり始めネオンもつきはじめた。
反物の伊予絣を伸ばして使える場所はそんなにないが海に突き出た防波堤なら可能だ。
もう満ち潮になり始めて2時間は過ぎた。
焦りながら”帰り道”を作った。
ワラシクン2体と良い色に錆びた鉄クズと石を置き”灯台”で使ったハブソウを伊予絣の上に置いた。
もう17:30分過ぎで焦るが伸ばした伊予絣をもとの反物に巻く作業は手間がかかった。
一足先に作り終えた妹のきんかんが手早く帰り支度を整えてくれ初日の作業は無事終えた。
妹のきんかんは浜辺に施された優雅なセメント施設に”カボチャ畑へようこそ”を作った。
前面と後ろのオレンジ色の布に置かれているカボチャは同じバターナッツスカッシュという種類だが一個は思いっきり長くもう一個は思い切り短い。
普通は中間ぐらいの長さのカボチャがおおい。
後ろに見える盛り上がった砂浜が海水浴場だが時期になるとダンプで砂が持ち込まれる。
その後ろの陸より突き出た防波堤、左に少し写っている防波堤とほとんど人工物で囲まれた海水浴場だが漂流物はたくさん流れ着き素材は豊富だ。
私が作業中の海に突き出た防波堤よりきんかんの作業中を写す。
海岸付近にはいろんな施設が施されている。
すべて理由があってこそと思うが私にはわからない。
海岸からさほど離れてない場所に防波堤のようなものが数個作られていた時は広く見渡せるのが海へ来た喜びだったのでがっかりした。
今でも目障りだと思っているが海水浴の時はそこまで泳いで行き防波堤の石にくっ付いている貝を採るのが楽しみになった。
ただいやだと思わないで仕方がないことはそこから楽しみを見つけることにしている。
陸から伸びているこの防波堤のようなものも先端から陸側をながめると大変な量のテトラポット群が圧巻だ。
野外教室では借景を大事な要素だと思っている。
この付近では人工美を意識して作業場とした。
畑では種を蒔かなくても肥料をあげなくても勝手に生えたハブソウがぐんぐん育つ。
いい具合に野外教室ごろにたっぷり実が入る。
岩に絡まっているロープを利用して流木を立てそこへハブソウをひっかけその茎に赤いトマトがプリントされたカンをかぶせ足元にカボチャを置いて”灯台”。
妹のきんかんは廃墟からほかに作業場を移したが私はまだまだ未練がある。
特にカーテンのようになった鉄筋を覆っていたホロをもう一度素材にしたい。
もう2時間以上廃墟での作業が続いて予定時間オーバー。
もう海は満ち潮に入っている。
今まで使った素材を使い大急ぎでホロを飾った。
ホロの布地はもう弱くなっているので植物は簡単に突き刺さる。
テリハノイバラを止め紫色のムクゲの花、黄色のキリンソウと止めた。
風雨により面白く形造られたカーテンがより華やかな”カーテン”になった。
廃墟から離れた場所より”できた”と妹のきんかんの声。
きんかんはもう廃墟には興味が尽きて他に良い場所を見つけたようだ。
出来ればワラシクンを使ってほしいとお願いしていた。
ワラシクンとは座敷童をイメージして木に糸で編んだものをコラージュしている。
去年の41回野草(イエツァオ)野外教室の素材として持ってきたときは”木の服”だったがそのすぐ後11月に開いた第31回野草(イエッアオ)展で木の服シリーズとして数点出品したのをながめていると座敷童に見えてきた。
我が家では数年前より通常では出るはずのない音がし目の前の壁に沿ってカンカンカーンと音が走ったのを見たこともある。
その音は目には見えないが音で現れる座敷童だと確信した。
それから翌年の3月に開いた第11回クラフト展(イエツァオグループによる)では同じ手法で座敷童をイメージして作ったものをワラシクンと呼ぶことにした。
今は身近で音の座敷童が出現する家が2件あることがわかっている。。
野外教室当日の朝以前より作っていた2体を野外教室の素材にしたいため作り上げた。
桜の木の枯れた枝の部分に白いスカーフを巻きその2体のワラシクンを乗せて”雲の上”だそうな。
バックは防波堤。
ヨットを海まで運ぶための車両のようでタイヤがむっちりと丸くてかわいらしい。
”タイヤが可愛いでしょう”と妹のきんかんが言っていたがやっぱしその場所で創作を始めた。
私が落っことして傷をつけたがむっちりと可愛い特大ナシを前輪に置き後輪には小さなミカンを置いている。
やっぱし丸を強調したようだ。
何に心動かされたか体で感じるとそこを強調すれば創作は進む。
ラデッシュも丸く置かれている。
丸いとは言えないが近い雰囲気のカボチャやナス。
クズの葉も葉にしては丸い。
それにしてもクズはエネルギッシュだ。
屋根を覆ているクズを見上げると来年ごろは廃墟の屋根を覆い尽くすかもしれない。
妹のきんかん同様廃墟の中へは入りたくなかったがきんかんの作品を見に行くには外の草むらを歩いて行くより廃墟の中を通った方が断然近い。
そこで発見。
外来種のメリケンカルカヤだと思うがヨットの上に生えている。
セメントの隙間から生えているニシキソウに強さを感じたがセメントの下には確実に土がある。
プラステックや鉄でできたヨットの下には確実に土はない。
それでも土に生えている丈に育っている。
ただ驚き可愛らしい乙女のようなラデッシュを捧げた。
廃墟の中には入りたくないと言っていた妹のきんかんだが見事な鉄ザビ色にそめられた鉄製家具には勝てなくかったらしく中で作業していた。
鉄さび色と向かい合いたいと言おうか魅力的なものは人でも物でも関わりたいものだ。
いつも心惹かれるものに出会い創作するときは先に物語ができているきんかんだがこの場合は鉄さび色がよりきれいに見える素材を合わせたようだ。
すぐそばに生えていている花盛りのキリンソウの葉をとり伸びた茎と黄色い花、赤いラデッシュと動きの面白い葉。
家具の隙間に固定するのが難しかったようだ。
ご丁寧に最後は家具の上に周りに散らばる錆びた鉄類を置いた。
ここできんかんが小さくだがここは某大会社のヨット部の使っていた場所と分かるメモを発見。
そこで廃墟の謎が少しだが解けた。
鉄さび色の面を”キャンバス”として制作。
ニシキソウのようにセメントの割れ目からこじんまりと伸びているのでなく廃墟のセメントの床をテリハノイバラが占領している。
競争相手なく伸びた細い枝はきれいだ。
先日完成したタペストリーに使った友達よりいただいた伊予絣を今回の素材として持ってきた。
枝が目立ち葉の少ないテリハノイバラに着せてあげるつもりで下に敷いた。
濃い紺色に白い絣模様のキリリッとした伊予絣を着たテリハノイバラは廃墟でも映える。