東京生活の中で三宅島は心のバランスをとるための大事な場所だった。
2007年金生町へ帰ろうと決めたその年の10月三宅島へ行った。
”お別れ”のために行くので素材採集はしないと決めていたがダイナミックに漂流物が打ち上げられている場所で一個だけ流木を拾って帰った。
なぜか2007年の第24回野草(イエツァオ)展では梵字が書けるようになりその流木にも般若心経を書いた。
それが冒頭の写真で下に写っている。
梵字を音符みたいと言った人がいたのが忘れられなくて今回は”リズム”と題して出品した。
左側2点は祈っている形の流木に般若心経を書いた。
右側の釘が出ている丸太にも般若心経を書いたが大事なことがイッパイ書かれている巻物みたいと言ってくれた人がいたが今回は”丸太”にした。
左側の流木に梵字で般若心経を書いたのは”え帽子”で右側が”バレー”。
木のどの部分がこういう形になるのか見当もつかない。
自然の作り出す造形はスゴイ。。
流木は海岸ならどこでも打ちあがっているわけではない。
打ちあがるポイントがあり金生町生活範囲では今のところ2箇所だ。
もっとふやしたいと思っている。
紙のまち資料館でのイエツァオ造形展に新浜市から来てくれた人の中に新浜市の大島出身の人がいた。
今年行きたかった場所だったが行けなかった。
昭和19年生まれの彼女が小学生のころ島の人口は1000人だが今は100人だそうだ。
いろんな情報が聞け来年は流木採集もかねて行きたい気持ちになった。
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