野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

20014 アートでたんぼパート3(音楽)

2014-05-31 21:27:44 | 日記・エッセイ・コラム

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11時頃より演奏が始まった。

いつもより親しみが感じられる音楽だ。

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アートでたんぼの象徴みたいなふわふわテントの下へ座る。

 

子供たちが楽団に溶け込むようにいるな。。と思ったら楽団員の膝の上にもいた。

 

3つの楽団の合同演奏らしいが左側のグループが子供連れだ。

 

出演者として”ママブラス”と書いてあったので調べると子育てしながら演奏をするグループのようだ

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開場にはシンプルだがお風呂もある。

 

子供たちが泥んこまみれになっても平気だ。

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背の高い椅子の作品。

 

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この椅子に座れたらいいな!!。

 

座ることはできながアートでたんぼの開場をウロウロするだけで足が地から離れる気分になれる。

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2014 アートでたんぼパート2(ペインティング)

2014-05-30 21:50:24 | 日記・エッセイ・コラム

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準備中はよく働いたのだろう。

作品としても参加だ。

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今まで普通のトイレだったが今回は初めて作品としても参加だ。

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この橋たちもただ橋だったがこれも又初参加。

 

先日見学した安心院での石橋が思い出されるがこれだって橋。

 

石橋はそのころの暮らしがずっしりと感じる橋だったがこの橋もちょっと異空間のアートでたんぼ満載。

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ペインテングはすごい。

 

何だってサマになる。

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漆喰画と書かれていたが安心院で見たのは漆喰の鏝絵。 

 

漆喰はいろんな表現につかえるようだ。

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20014アートでたんぼパート1

2014-05-29 22:10:13 | 日記・エッセイ・コラム

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去年は開催前に行き今年は初日の午前中に行った。

開場はわかりづらい場所でもう6回目になるが今回も途中で聞く羽目になった。

金生町からはバイクで一時間ほど。

アートでたんぼのポスターが指導票とともに確認できると一安心。

道路より谷間に広がる会場へ降りて行く時より心が軽やかになりそうな異空間が表れる。

たっぷりの水を張られたたんぼと塩ビパイプ。

シンプルだがたんぼの水にうつる様々な影が味わい深い。

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会場の周囲は竹林が多い。

水をはったたんぼには泥んこがいっぱい。

竹と泥んこの作品。

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ここのはまだ泥んこがぬられてない。

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今泥んこ塗中。

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制作し持ってきて設置したような作品もあり。

 

来たときは毛布が掛けられていたが11:30分ごろ帰るときやっと現れた。

 

5月25日より6月1日、10:00~開場。

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赤い実

2014-05-28 21:48:05 | インポート

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第40回野草(イエツァオ)野外教室の下調べで伯方島へ、および寄り道としての国東半島めぐりに行く2~3日前より畑ではサクランボやクサイチゴ、赤ソラマメがなり始めた。

赤ソラマメは時期が過ぎれば乾かして保存食にできるがサクランボとクサイチゴは食べごろが過ぎると無駄にしてしまう。

大げさだけれど後ろ髪をひかれる思いで旅だった。

5日目に畑へ行くとサクランボは鳥に食べられもせずクサイチゴともどもたくさんなっていた。

次の日に行くとサクランボはほとんど鳥に食べられていた。

私が好きな山菜的なものが好きでない人でもサクランボは喜んでくれる人が多く上げたい人がいたのに残念。

来年までに対策を考えねば。。。。。

植えた覚えのないクサイチゴが繁殖し畑で楽しみで食べるには多すぎてこの3週間まい日時間をかけて摘みジャムにしたり果実酒にしたり酢につけたりと忙しい思いをしている。

野菜つくり上手の人のようにスーパーで売っているような野菜はできないができるものもある。

写真はお皿の中とその後ろはクサイチゴ、お皿の左はヘビイチゴ、下はサクランボ、それにアカソラマメ。

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国東半島へパート10(金生町へ)

2014-05-27 23:15:09 | 旅行記

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八幡浜港に入ると急斜面に植わっているみかん類が目に付く。

15:00分八幡浜港着。

初めての場所だがゆっくりはしていられない。

金生町までは4時間以上はかかる。

7時過ぎまでは明るいとしても急がなければ。。

歩いてくる男性に”松山に行くのはどの道ですか?”と聞くと”左ですがなんとなくいけるんですよ”と答えてくれた。

ナビもないバイク旅行。

バイパスやら新しい道路がたくさんできて地元の人ならなんとなく行けるが初めてのものにはわかりづらいのが今の道路事情だ。

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急ぎたいのに八幡浜近辺の山々には椎の実の類の花が満開で山がクリーム色になっている。

 

やっぱし急いでは走れない。

 

やっと思い切って走れるようになったと思ったら高速道路のような道になった。

 

おかしいと思って下道に降りると道路パトロールの車に止まるように指示された。

 

すぐもう一台の道路パトロールの車も前に止まった。

 

早く帰りたいのに何が起こったのだろうと思ったらバイクは走れない道路だと言う。

 

一台はすぐ帰ったが残った一台の車の人が警察に見つかったらつかまりますよと言うのでお礼を言って松山までの道路を聞いていると電話があり”すみませんそのバイクは通れますが途中から有料になります”と言われた。

 

いろんな道路があるものだ。

 

それにしても125ccのピンクバンバーがついているのに2台もの車で間違って止めるとは道路パトロールもいい加減なものだ。

 

”旅の思い出にしておきますよ”と先を急いだがかなり腹が立っていた。

車2台に3人は乗っていたのに3人とも走れることを知らなかったとはお粗末な仕事内容だ。

 

松山からはもう慣れた道だが帰ったのは7:25分で薄暗くなっていた。

行の伯方島より今治にわたり海岸線を走った道路にはたくさんの道の駅があり時々休憩ができたが帰りの八幡浜に上陸し56号線で松山へ出て11号線で帰るまでには道の駅はなく休まず走った。

高速道路を走れないバイクにとって道の駅はありがたい存在とつくづく感じた。

 

走行距離811.2キロ。

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国東半島へパート9(臼杵へ) 

2014-05-26 21:47:47 | 旅行記

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臼杵と言えば磨崖仏と思われるほどになっているが以前は野ざらしでかけたり首のとれた仏様もあった状態らしいが今は修理され立派な建物の中で鎮座されている。

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ホキ石仏第二郡の鎮座されている建物。

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散策中に角が取れ土にうずもれ傾いた五輪の塔あり。

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ちかくにかわいらしい石仏もあり。

連休明けの平日だが参拝者が多いので近くの人家の庭先で剪定をしている男性に”参拝者は多いですね”と話しかけたら”少なくなったんですよ”と言っていた。

平成7年に国宝に認定されてしばらくは参拝者も多かったのだろう。

12:40分のフェリーに乗るため臼杵フェリー乗り場へ急ぐ。

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本州と四国の間には3か所もの橋が架かっているのでフェリー航路が次々と廃止になっているが九州とは橋が架かってないため3か所のフェリー航路がある。

 

行は三崎 佐賀関航路だったが70分でもう少し船旅を味わいたかったが臼杵 八幡浜航路は2:40分あり楽しみだった。

 

その前に臼杵城址へ行きたい。

 

ガソリンスタンドで聞くと本当は門をくぐって行ってもらいたいが時間がないのでと脇道を教えられる。

 

短い会話の中でお城があったことを誇りに思っているのがわかる。

 

ほんの数分城址に立ち遠望しただけだったがよかった。

 

このお城はキリスタン大名で有名な大友宗麟の居城で村上水軍との関係もある。

 

フェリー利用車は大型トラックが多い。

 

心置きなく九州を後にできたが金生町に着くまでかなりの距離を走ることになる。

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国東半島へパート8(別府)

2014-05-25 23:27:56 | 旅行記

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8日は19時前に別府駅に着いた。

前日安心院で泊まった宿がよかったので系列の宿にしたが安心院の宿からのながめとは全く違い別府はビルとネオンに埋め尽くされていた。

かなり特徴のある場所だが今回は地獄めぐりをしたい。

地下より湯気が上がっていると思うと大自然を感じドキドキする。

6時過ぎに宿を出発したが地獄めぐりは8時からでいろんな地獄の中へは入れないし観光用に設えられた場所へ8時まで待って見学する気持ちになれず近くの公園を散歩している人に足湯ができる場所を聞くと鉄輪にある大谷公園を教えられる。

ちかくまで来て”足湯ができるところはありますか”と聞くと”いっぱいあるから”とかえってきた。

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公園はすぐわかったが見たことのない風景が次々と現れる。

 

煙でなく湯気。

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熱すぎる温泉なので冷ます装置。

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写真にはさほど写ってないが下水からも湯気がかなり上がっていた。

 

金生町暮らしでは考えられない世界だ。

 

来てみないと実感できない。

 

あっけにとられてうろうろしていたら東屋風のところより出てきた女性に”足があったまりますよ”と言われて足湯に来たことを思い出す。

 

入ってみてびっくり。

 

岩盤浴の足湯?だった。

 

素足では入らないで下さいと書いてあった。

 

鉄輪あたりでは湯気で野菜などを蒸す料理が有名らしい。

 

大谷公園の碑を見て分かったが大谷とは大谷探検隊で有名な大谷光瑞師が晩年別府で過ごした記念の公園だった。

 

大谷探検隊にも興味がありいい機会なので調べてみたいと思い始めた。

 

国東半島の旅は別府で終わりのつもりだったが余力があれば臼杵の磨崖仏が見たいとの思いがつのり急きょおまけの臼杵の磨崖仏見学に行くことにした。

 

それにしても別府は面白い場所なので調べなおして再度来てみたい

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国東半島へパート7(両子寺へ)

2014-05-24 23:13:11 | 旅行記

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国東半島の中央部700メートルあたりに建つ両子寺もすぐ下まで車道が通っている。

もしかしてここに来るためにつけた道路かもしれない。

立派な両子寺会館だ。

六郷満山の修験道寺として栄えたようだがもちろんそのころの雰囲気ではないと思うがひろい境内で見るべきところも多かったが着いたのは4時ごろ。

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ふと歩いてみたい道があるが奥ノ院へ急ぐ。

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途中でかわいらしい石仏に遭遇。

 

つい立ち止まる。

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奥ノ院は古い建物のようで中へ入ったが参拝者は私一人だけなのでゆっくりする気分にはなれない。

 

岩にくっついて建っている奥ノ院の左側に中は暗いが入り口がある。

 

すぐそばの岩にはイワタバコがたくさん生えていた。

 

迷ったが入った。

 

洞窟内は歩けるほどの明るさで奥には何やら祭られろうそくがともされていた。

 

右側に岩深水がたまっていて小さな柄杓と小さなお皿が置かれ貴重な岩深水なので粗末にしないでくださいのようなことが書かれていたのでお皿に少しついで味わった。

 

帰ってすぐの切山ハイキングではお世話になったKさん宅では石深水を生活用水にしていた。

 

なんと豪華な暮らしをしているのだろうとつくづく思った。

よく手入れされた境内を散策してすらりと立派な仁王様を見学し次に急いだ。

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着いたのは5:30分は過ぎていたが明るいうちは杵築城に入れなくても敷地内より市内や海を遠望できると思ってきたが門はぴしゃりとしまっていてのぞきもできない。

 

仕方がないので別府へ向かう。

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国東半島へパート6(六郷満山)

2014-05-23 22:39:03 | 旅行記

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宇佐神宮を後にしたのは13時近かったが見学予定地はたくさんある。

なぜか初めに立ち寄った真木大堂の写真は撮ってない。

時代を感じさせるお寺だったが道路沿いにあり神社仏閣に感じられるゆったりとした空間はなかった。

次は熊野磨崖仏見学へ。

磨崖仏を見るのは初めてなので心躍る気持ちで登る階段はかなり個性的だ。

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鬼が一夜で築いたいわれがあるがかなりおおざっぱだ。

長い階段だが一律の階段より楽しく登れる。

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次は田渋の荘。

 

資料を見ているうちにどうしても行きたくなった場所だ。

 

宇佐神宮の荘園だった場所で1000年前の姿を今にとどめている。

 

一面が菜の花畑や田植え跡の写真が多いがちょうど端境期というのか何にも植わってない時だったが充分美しかったが何か植わっている時期に再度来てみたい。

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次は富貴寺。

 

阿弥陀堂は美しかったがやっぱし真木大堂ほどではなかったがゆったり感が乏しい。

 

両方ともお寺の一部として残ったものだからかもしれない。

 

栄枯盛衰とはよく言ったもので長年同じ状態で生き残っていくのは難しい。

 

一部でも1000年以上前のものが見られるのは本当にありがたい。

 

次は少し離れた両子寺へ

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国東半島へパート5(宇佐八幡宮へ)

2014-05-22 22:42:29 | 旅行記

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宇佐神宮の本殿の朱色をながめながら力強くて華やかでいい色だと思った。

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敷地は広大だ

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参拝客も多いらしい。

 

立てに張られた縄に白いおみくじが結ばれたのがズラーと並べられている風景は壮観だ。

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神社庁の建物も立派だ。

725年にこの地に建てられいろんな政変を潜り抜けいまなおかがやいている。

第40回野草(イエツァオ)野外教室が村上水軍のお城があった能島を借景にできる鵜島が作業場のため能島村上水軍のことを調べているうちに同じ天皇方だったことが分かった。

境内には廃仏毀釈で壊された弥勒寺跡があった。

いろんな歴史があるのだろう。

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池をながめながらの宝物館見学もよかった。

これから行く六郷満山も宇佐神宮あってこその文化だ。

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国東半島へパート4(大分県立歴史博物館へ)

2014-05-21 23:09:43 | 旅行記

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安心院町に心残しながらも8:20分宿発。

途中やっぱし橋が目に付く。

海も近く川幅は広くなり安心院町にかかっている石橋とはかなりムードが違いセメントでできた橋だが車でなくとことこと人や牛馬が通った橋だと思うと素通りはできなかった。

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すぐ近くに車用の橋。

 

 

9:00分には大分県立歴史博物館に着いたが併設されている宇佐風土の丘のあまりの広さについつい先に見物したくなった。

 

歩きだと一日分の体力を消耗するほどの広さだと感じたがバイクはあり難い。

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ゆっくり大きな木の新緑を楽しみながら走っていると古墳時代らしい家が再現されていた。

 

それにしても草刈りが大変だと思うが5人の専用職員が一年中刈っているそうだ。

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古墳もあり近くには椎の実林があったが古墳は外来植物のハナヌカススキに覆われていた。

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池越しに大分県立歴史博物館遠望。

博物館ではこれから行く宇佐神宮の資料や富貴寺の阿弥陀堂や熊野磨崖仏の等身大のものが飾られていた。

まずレプリカを見て本物を見に行こう。。

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国東半島パート3(安心院で)

2014-05-20 21:53:21 | 旅行記

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前日石橋探しで安心院町を走ったおかげでこの町に興味がわいてきたし石橋ももっと見たい。

朝4時ごろ起きて持ってきた資料を再度調べ6:00出発。

出発前に高台にある宿より安心院町を写す。

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出発してすぐに三女神社の興味をそそる立派な参道に予定外だが歩いてみたくなる。

 

由緒正しげな社殿があったがかなり荒れていた。

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安心院町へ来て急きょ見たくなって鏝絵通りへ。。

 

石橋とは違い古いのや新しいのがかたまって見られありがたかった。

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しばらく走って荒瀬橋へ。

 

安心院町の石橋では最高の高さで県下で初めての有料橋だったそうだ。

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すぐ近くに車が通れる橋。

これで朝の観光を終えて宿へ。

安心院町は温泉の町でもありありがたいことに朝ぶろに入っての再度の出発になった。

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国東半島パート2(安心院へ)

2014-05-19 16:51:37 | インポート

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国東半島はかなり前より興味のある場所だったが金生町暮らしを初め宇佐神宮へ行きたいとはっきり目的が決まった。

具体的に旅を組み立てていくのは時間のかかる作業だ。

国東半島にある市より資料を取り寄せ読んでいるうち少しづつ行きたい場所、泊まりたい場所が決まってくる。

古い石橋がたくさん保存されている安心院町のことは知らなかったがそこへ泊り石橋を見たいと思い始めた。

バイクで初めての場所のためその日のうちに着けるとは限らない。

佐賀関発2:45分。

4:00分別府より500号線に入るとすぐ地下からの湯けむりのわく別府地獄めぐりの場所だ。

金生町暮らしを初めて温泉は好きでよくいくが地下より湯煙のわいている温泉はない。

別府も泊まりたい場所と決めているがまずは安心院町へ。

4:45分着。

観光協会で宿を決め石橋見物にむかったがなかなか見つからない。

車社会になり島から島へかかるしまなみ海道を通ってきたが歩き社会がうんだ石橋にひかれる。

犬の散歩で橋を渡っている女性に指導票があった一の橋のことを聞くとあったような気がするがと首をかしげる。

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見たい一心で向かうがそれらしき橋は現れず山間のゆっくりと眺めたいような穏やかなたんぼ風景に心残しながら先へ急ぐ。

 

草を燃やしていた男性に聞くと”私は興味ないのですがもっと先にあったようですよ”と言われる。

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もっと先に行くと山が迫り怖そうな祠。

 

国東半島は石を使った祠などが多い。

 

岩をくりぬいて何かが祭られているが暗くなる前に一の橋を見たい。

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引っ返して畑仕事をしている人に聞きやっと見つける。

 

パンフレットには橋を見せるために撮った写真を載せているが石橋は人が通るためのものでさほど大きくない橋は目立たない。

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一の橋は古い神社にかかる橋でやっと見ることができうれしかったが夕暮れ迫る古い神社の境内でゆっくりする気分にはなれなかったものの石橋をさがして走った分国東半島を感じられた。

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国東半島へパート1(佐賀関へ)

2014-05-18 22:32:35 | 旅行記

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野外教室下調べは本番同様朝5:30分起床で始まる。

今回は作業場として使う予定でないが開山へ。

展望台よりの朝日が昇る時の島影は何回見ても魅力的だ。

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多々羅大橋側の遠望にも感激。

 

今回作業場に使う北浦の海岸や朝の散歩に使う塩田跡を再度確認して宿へ。

常宿の女将たちと6月14日~15日の第40回野草(イエツァオ)野外教室での再会を誓って8:20分に伯方島を後にする。

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今治より松山へ向かって196号線を走るが海沿いで爽快感は最高。。

 

松山を抜け387号線も海沿いで数か所道の駅があったがどこもいい景色だ。

 

少しでも早く三崎からのフェリーに乗りたいがついつい止まってしまう。

 

12:45分フェリー乗り場着。

 

バイクで乗船は一台だけ。

 

13:30分フェリー発。

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フェリー乗り場へ向かって走っているときから見えていたが乗船してからも長い間何機も並ぶ風車の風景を楽しんだ。

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70分はアッと言う間にすぎた。

 

バイクで初めて上陸する九州に心躍る。

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川之江図書館 歴史ウオーク

2014-05-17 22:16:02 | 日記・エッセイ・コラム

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今回の第40回野草(イエツァオ)野外教室では村上水軍をイメージした作品も作りたいと思い下調べでは村上水軍博物館も行、鵜島では能島が借景にできる海岸も見つけてきた。

いいタイミングで図書館の企画で同じ時代の大西備中守の遺跡ウオークがあったので今日参加したが募集人員が20人だったがスタッフを入れての参加者が40人を超えていた。

大河ドラマの黒田官兵衛も同じ時代だがそういう状況で企画したと思うし興味を示す人たちも多いのだろう。

能島にも遺跡あとばかしで現存するお城などはないが大西備中守の轟城も城跡だけで今は個人の土地だ。

見晴らしはよくサクラは新緑だった。

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鉄塔のあたりにかくし城があるとの説明だったがその向こうの法皇山脈を越えた新宮の人たちや轟城からよく見える川之江城主河上氏などと戦いにくれていたようだ。

 

金田公民館集合でそのあたりに遺跡があり遺跡めぐりにより素通りしていた金田町の成り立ちが少しわかり立ち寄ってみたい場所もできてきた。

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戦いの多い時代だったが地元の人たちには慕われていたようで立派な大西神社があった。

 

境内には23年に再建された芸能舞台が再現されていたが今はカラオケ大会なども開かれているそうだ。

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室町時代の懸け仏がある浄土宗の寺にも立ち寄ったがお坊さんと一緒にお経をあげホワイトボードを使い縁についてのお説教を聞いた。

 

”ハイキングで経をあげたのははじめてだ”と男性が言っていたが私は切山ハイキングで副リーダーのハーモニカ伴奏で歌う唱歌の気分だった。

 

 

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懸け仏は時代を感じさせるものだったが近くにあった妙見神社の石作りの女神様をあずかることになったのを一緒に見せていただいたが博覧会に展示した時平安中期の珍しいものだとわかったそうだ。

 

ずっしりとした石に彫られ少し傾き加減の姿勢のふっくらとした暖かい感じの女神様だった。

 

野外教室で伯方島や鵜島へ通っているうち村上水軍に興味がわき地元の歴史を知るきっかけになった。

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