野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

第40回野草(イエツァオ)野外教室パート14(ウイキョウの波)

2014-06-30 22:24:22 | 野外教室

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6月に入っての野外教室は去年に続き2回目だが今年はもう梅雨に入っている。

ありがたいことに天候には恵まれたものの日差しがきつく北浦にある小さな海岸の明るい砂浜はまぶしすぎるが瀬戸の海の色はきれいなブルーでゆったりと心地いい

砂浜に出る前にきれいな海にごあいさつ。

桟橋の石の隙間に朝の散歩のときに採ってきたウイキョウを海に向けて同化せよと差し込んだ。

ウイキョウもブルーがかったグリーンで海の色に負けないぐらいきれいだ。

”ウイキョウの波”

伯方島をベースの野外教室ではウイキョウをよく素材として使うがこんなに伸びたウイキョウは初めて使った。

柔らかい葉のウイキョウでは以前”海風”を作っている。

”風”に続き”波”ができた。

それからゆっくりと砂浜を散策して作品つくりを始めた。

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今年はハチミツ漬で

2014-06-29 23:03:52 | 日記・エッセイ・コラム

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伯方島の金崎城跡で拾いいろんな作品の素材として使った梅は持ち帰り焼酎につけたり酢につけたり梅干用に塩につけたりと処理した。

気になるのは山小屋の梅だ。

50年はたっている大きな木だが去年は20個、一昨年は25個と少しはなってくれるがたいしたことはない。。

それでも自宅の梅には愛着がありいただいた梅や拾ってきた梅とは別に扱う。

期待していたが今年は11個。

一個はワンカップ焼酎の器に入らないほどの巨大梅だ。

さてどんな処理をしようかと考えたがハチミツにつけることにした。

文京区暮らしのころハチミツ漬の梅ジュースを毎年氷水で割ればとても美味からと飲み方を指定してくれる人がいたが私は真夏でもほとんど冷たいものを飲まないので寒くなってお湯割で飲み少し後ろめたい気分だった。

どちらかというと焼酎につけた方が好みなので今まで自分では作ったことがない。

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11個の梅を瓶に入れハチミツをかけて一日すると水が上がってきた。

 

どれだけ上がるのかとしるしをつけた。

 

一週間すると6センチほど上がり梅が浮いてきた。

少し白い泡が浮いているが美味しい梅ジュースの素ができるだろう。

このハチミツ漬ジュースは自分で作ったものなので心置きなくお湯割りで飲める。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート13(環”流れ”)

2014-06-28 22:00:53 | 野外教室

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私も去年と同じく石碑の上に梅を置くことから始めたが今年は石碑の後ろの木々が切り倒され海が遠望できる。

穏やかな海が見えると本当にのびやかな気持ちになれる。

その海で500年ほど前生きるための激しい戦いで大勢の人が死んだ。

そういう時代だったと思うしかないがそれでも島の人たちは海と関わり時代時代を生きてきた。

大昔の遺跡でもある金崎城跡は今は小さなお堂にお地蔵様が祭られている。

どんな時代も人は穏やかな生活を望みながら時代にほんろうされそれでも生き続けてきた。

桜の大木、クロマツの枝、梅の実で(環”流れ”)を作った。

 

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同じく(環”流れ”)は桜の古木と梅を使って。

去年は素材として使った後持ち帰り果実酒や梅ジャムにしようときれいな梅を選んで拾ったが今年は腐り始めているのも拾った。

それらは惜しげもなく突き刺したり置きやすいようにつぶして使える。

お土産にしようと思うとやっぱし手加減してしまう。

 

 

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート12(ひよどりごえ)

2014-06-27 21:43:16 | 野外教室

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金崎城跡より細い道を歩いていくと断崖絶壁の場所に出る。

こんな場所でも戦争だとよじ登ってくるのかしらと妹のきんかんと話しながらながめた。

水軍関係の本をお互い4冊も読んできたからできる会話だ。

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その場所よりふるさと歴史公園に再現された中世のお城が遠望できる。

 

去年はお城を意識してみてなかった。

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同じく下の海岸からもお城が見えるのに見てなかった。

 

意識が変わると今まで見てなかったものが見えてくる。

妹のきんかんが作ったのは大きなサクラの幹を絶壁と見立てた”ひよどりごえ”。

”ひよどりごえ”は源平の戦いの時の戦法だが村上水軍の時代でも人ができないと思うことをしたものが勝ち残ったのだろう。

素材はクロマツ、アカメガシワ、梅。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート11(つる姫と安成)

2014-06-26 22:03:21 | 野外教室

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朝の散歩は去年と同じく金崎城址へ行ったが驚いた。

一か月前の下調べのときは去年とおなじだったがとても明るい。

桜の大木の後ろの木々が切られて海が見える。

お城があったころは見晴らしのいい場所だったようだ。

去年と同じように梅がたくさん落っこちている。

去年と同じ場所で作品つくりを始めた。

妹のきんかんはやっぱし”つる姫と安成”を作った。

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赤いひもがつる姫を表すそうだ。

 

形が兜のように見えるが恋人の安成とともに攻めてくる大内軍より大三島を守るために戦った2人だが下の兜が安成。

 

素材は黒い色で赤いひもの帽子、梅、アカメガシワ、シャリンバイ、クロマツ。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート10(箸置き)

2014-06-25 22:19:07 | 野外教室

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鵜島から伯方島までの乗船時間は15分ほどだがやっぱし乗るまでは心配で早めにフェリー乗り場へ着きそれでもボーと海をながめながら待つ時間は嫌いではない。

不便だと思うが島に橋が架かると島の情緒は半減する。

フェリーの時間を気にしないで伯方島までやってきてフェリーの時間を気にして鵜島に渡り充分島を楽しんだ。

能島をながめながらの荒神の瀬戸の海岸では村上水軍関連の作品もおも思わずできた。

フェリー乗り場への道すがら夕食時の箸置き作りの素材を集めておいたのでいつものように作った。

まだまだ村上水軍のことが尾を引いていて妹のきんかんは”つる姫と安成”私は”水軍船”

素材はタケノコ、トベラ、ハマナデシコ、アレチノツキミソウ、エノコログサ。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート9(船団)

2014-06-24 22:19:19 | 野外教室

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荒神の瀬戸海岸は急斜面を降りた場所にある小さな海岸だが能島が近くに見える。

村上水軍フアンがよく来る場所なのかテーブルが置かれていたり防波堤代わりか石垣もつかれている。

この場所で石垣を見るとお城と戦いがイメージできてしまう。

来る前に読んだ本の中で思い出すのは織田軍に攻められ孤立した石山本願寺に食糧を届けるための第一次木津川の戦い。

淡路島に集合した毛利方の水軍は立派な船団を組んで戦いに挑んだことだろう。

素材は解いたキスリング、スキーバッグ、ツワブキの葉、みかん類。

制作を早々と中止した妹のきんかんは5:52分のフェリーに遅れたら大変と片づけにかかっている。

ベースにしている伯方島は橋が架かりもう島ではなくなったがほんの近くの鵜島は純然たる島だ。

フェリーに乗り遅れると帰れない。

ほんの目の前にある能島も純然たる島で渡れない。

村上水軍が活躍したころとはかなり事情が変わっている。

それにしても実質は2時間ほどの制作だったが私が5点,きんかんが3点と村上水軍関連の作品ができた。

来る前村上水軍関係の作品などできるのかと不安な思いで来たことを思うと荒神の瀬戸という場が作らせてくれたとしか思えない。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート8(つる姫と安成)

2014-06-23 21:59:24 | 野外教室

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妹のきんかんはお姫様ものが大好きだ。

お城見学に誘うと嬉々としてついてくるのはお城にいるとお姫様気分になれるからだそうな。

そのきんかんが鵜島と能島の間の荒神の瀬戸の流れを見ているうち何を思ったか制作をやめてしまった。

お姫様好きのきんかんは大三島に伝わるつる姫伝説を作品にするとおもっていたのにガッカリ。。

不思議なことに荒神の瀬戸へ降り立つ前は作品ができない不安でいっぱいだったが現場に立ってみると次々とイメージがわいてくる。

つる姫伝説は大三島が舞台だが同じく水軍が活躍する。

能島をバックに”つる姫と安成”

つる姫は16歳で戦死した兄に代わって攻めてくる大内群を撃退。

18歳で恋人の安成の戦死により再度大内群を撃退するが小舟で沖へ漕ぎ出し自殺。

大事な人たちを戦いにより次々と失っていけば生きるのが嫌になるのはわかる。

わからないのは部下や身内が戦死しようといつまでも戦い続ける男たちだ。

荒神の瀬戸の海岸で大三島と井口島にかかる多々羅大橋が遠望できる場所にはテーブルと椅子が置かれている。

その椅子を借りて作った。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート7(荒神の瀬戸)

2014-06-22 22:30:03 | 野外教室

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アッと言う間に砂浜出現で貝がくっついた岩2個を妹のきんかんは能島と鵜島に見立た作品”荒神の瀬戸”を作る。

荒神の瀬戸は鵜島と能島の間の瀬戸だ。

海流の複雑な荒神の瀬戸などを自由に行きかう技術のある水軍が周囲の勢力に加担したり造反したり豊富秀吉が天下を統一するまでは戦いの多い時代だった。

白いロープは渦潮でタケノコを切ったのや皮が船だそうな。

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お互い3点づつ作ってほんの少し休憩して次の作品にとりかかった。

 

きんかんは磯を伝い能島の向かい側に行ったきり音沙汰がない。

 

どんな作品を作っているのかと行ってみるとボーッと立って荒神の瀬戸の急流をながめている。

 

作るつもりで素材も持ってきたが急流を見てるうちにほんの500年ほど前激しい戦いがあった場所に自分は立ち向かいの島にはビルが見え潮流観光の船が行きかう今の風景に何か思うことがあったようだ。

 

”夏草やつわものどもの夢のあと”の句があるように”潮流やつわものどもの夢のあと”とでも思ったようだ。

それきりもう作らないと言って片づけを始めた。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート6(援軍)

2014-06-21 21:19:54 | 野外教室

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一か月前下調べでここへ来たときは立派な竹林だと思ったが今回ここに立ってみると軍団に見える。

それで”生首”を作ったがその時はもう”援軍”も作ろうと思い始めていた。

ありがたいことに能島を守っている人たちが作ったのだろう施設がそのまま使える。

村上水軍関係の本を読んでいるとその時代では今日の味方は明日の敵状態で戦いをしている。

生きるための命がけの戦いであっただろうが何を基準でどちらに味方するか判断するのは時代も変わり理解できない。

それでも裏切られた方は負ける確率が高いし味方に付いてもらった方は勝つ確率は高いのはわかる。

窮地に陥った時の援軍はうれしいものだろう。

使っているのはみかん類にツワブキ、ニンジン、持って行ったアームカバー。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート5(戦利品)

2014-06-20 22:09:58 | 野外教室

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私はまだ竹林が気になり”生首”の作品に続いて竹林を借景にした作品を作っているとき”できたー”と妹のきんかんの声。

きんかんも来る前の不安はうそのように次々と作品ができるようだ。

前方の能島との距離もかなり近くなった。

規模の大きな水軍城があったと言うが周囲720メートル。

小さな島にしか見えないが水軍にとっては海も陸のようなものだ。

陸のように行く手を阻む山や川がないだけ簡単に遠方へ行ける。

中国や朝鮮への貿易や倭寇として海賊行為もしていたと思う。

作品は”戦利品”

船に見立てた岩の上には戦利品が満載。

一番上にひっかけられているのは解いたキスリングの一部。

一部鮮やかなオレンジが目立つのはスキーバッグを解いたもの。

海藻やタケノコ、みかん類やニンジンにツワブキの葉。

来る前に畑で大きくなりすぎたアカメガシワを切り倒し剥いだ皮を持ってきたが塩水で柔らかくしたのをきんかんは使ってくれた。

それにしても潮の満ち干で刻々と地形が変わる海岸での作業は心せわしい。

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アッと言う間に砂浜が表れきんかんが作業しているのに私は竹林での作業。

 

早く砂浜に行きたいと思いながらきんかんの作業風景を写す。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート4(生首)

2014-06-19 22:04:52 | 野外教室

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荒神の瀬戸の急な斜面は見事なマダケ林だ。

ちょうど食べごろのタケノコがたくさん出ている。

竹を切るのは大変だがタケノコは簡単に折れる。

5月に開いたときは孟宗竹のタケノコを素材にした。

6月にまたタケノコを素材にできるとは思ってもなかった。

荒神の瀬戸より急斜面に群生する竹林をながめていると迫りくる軍団に見えた。

今イランでは戦争で大勢の人が亡くなっている。

能島にお城があったころ、ここ荒神の瀬戸付近では多くの戦いがあっただろう。

そのころの戦場では敵将の首を入れる袋があったそうだ。

日本でも生首を入れた袋を腰につるして戦った時代があったのだ。

生首に見立ててつるしているのはタケノコ、ズッキニー、ニンジン、バナナの皮、ツワブキ。

平和なものだ。

タケノコとツワブキは宿へのお土産、でニンジンやズッキーニーは家へのお土産。

バナナの皮はもちろん食べた後。

それにしても急斜面での制作で帰ってきて足の筋がいたくなった。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート3(村上水軍三家)

2014-06-18 22:30:38 | 野外教室

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荒神の瀬戸からは多々羅大橋が遠望できる。

中世という時代がうんだ村上水軍は遠いむかしのことだが来る前に4冊の水軍関係の本を読み直前に村上水軍博物館へ行ったおかげかこの場所に立つまでは不安だったがまず”狼煙”ができた。

それにしても博物館は特別の催しをしない限りそれほど来館者はいないが”村上水軍の娘”が本屋大賞になったことで大勢の人たちでにぎわっていた。

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ふと見ると妹のきんかんもモクモクと作っている。

 

”村上水軍三家”だそうな。

中世に活躍した村上水軍も秀吉が天下をとって以来従来の活躍の場は失っていく。

来島村上家は九州の山の中へ、能島村上家、因島村上家は時代にあった海の仕事をしていく。

伯方島の知り合いのご主人はしまなみ海道の橋が架かる時の海の仕事をしていたそうだ。

来島村上家は河野氏と因島村上家は毛利氏と関係が深く能島村上家は一番自由に水軍として動いたが真ん中の赤い布やニンジンで華やかに作っているのが能島村上家だと言っていた。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート2(狼煙)

2014-06-17 21:37:11 | 野外教室

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今回の鵜島での作業場は村上水軍のお城があった能島を眼前にした荒神の瀬戸。

海岸を作業場にするときはなるべく干潮を選ぶ。

13時前に着き18時の干底までに余裕があり念願の鵜島カフェによることができた。

全島民27人も海賊の末裔。

私たちが飲み終えたころ財布だけを持った年配の女性がやってきてジュースを注文した。

しばらくすると同じ年頃の女性が来てホットコーヒーを注文する。

”ここのコーヒーを飲んだら家では飲めん”と言っていた。

5月3日に開店してもう固定客がついたようだ。

畑仕事の合間に来て元気が出たからと又畑仕事に戻っていくお客様もいるとか。

店内は野の花や可愛い小物が飾られ今まで通っていた時の鵜島では考えられない空間になっている。

”やっぱしいくつになっても女の人はきれいな空間が好きなんだ”ときんかんが言っていた。

急な坂道を降り、荒神の瀬戸へ着いたのは2:30分ごろ。

着くなり”狼煙”ができてしまった。

後ろの島が能島だ。

素材は荒神の瀬戸の片隅に打ち上げられていた流木で元を止めている岩は誰かが防波堤のように築いたものだ。

その防波堤の下に砂浜ができ始めると左側に磯が出現し、急流をはさんで能島がまじかに見える場所まで行ける。

点在する島の見晴らしのいい場所に作った見張り台より届く”狼煙”の合図で海賊たちは行動を起こしたことだろう。

”狼煙”ができたときにはもう次の作品のイメージができていた。

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第40回野草(イエツァオ)野外教室パート1

2014-06-16 17:12:02 | 野外教室

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伯方島を中心として開く野外教室は今回で6回目なるが6月14日初日は一番遅い。

たんぼの中の一軒家が島のように感じ意識しないで毎回同じ場所を撮影していたがその場所を覚え意識して写し始めたが今回は苗が育ちすぎたんぼの水が見えなく草原の一軒家風になっていた。

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来島海峡大橋を渡るときは毎回その機能美に感激するが今回は少し違っていた。

 

馬島手前より遠望できるらしい来島を必死でさがした。

 

来島は村上水軍の来島家のお城があった島だ。

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伯方島を中心の野外教室を重ねるにつき自然な形で島文化を作ったであろう村上水軍のことが気になり始め今回は3週間で4冊の水軍関係の本を読んで行くことになった。

 

写っている3冊以外に大三島に伝わるつる姫伝説を題材にした小説も最後に読み歴史物は初めてだと言いながら妹のきんかんは知らないと創作はできないからと必死で同じく4冊読んだ。

4冊は読めど創作の糸口も浮かばず不安の中で開き直っての出発だった。

 

まずは下調べのため1か月前に行った村上水軍博物館へ急ぐ

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きんかんは楽しみにしていたその時代風の着物を選びに選んで着せてもらう。

少し冒険をして選んだ柄の着物だ。

撮影用に屏風まで設置されていた。

着物は寄付によるもので袖をその時代風に切ったそうだ。

帯も形造られていて着物はほんの2分ほどで着られる。

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水軍になるにはそう簡単でない。

 

普通の鎧兜より軽くて20キロぐらいらしいが着せてもらうのはプラスチック製でも10キロほどで足,腕,胴用のパーツがあり兜、刀まである。

 

交戦中海に落ちればどうして泳ぐのかと心配だ。

博物館は下調べも含め2度目だが見落としている箇所もありよかったが創作につながるものはなく不安のままとにかく作業場になる鵜島へ向かう。

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