ヤエコの35日の法要の時は滴るような緑の木だったが見事に枯れ木姿。
落葉樹の表情豊かさをつくづく感じた。
本殿の立派な飾りとお香の独特な香りが非日常へ誘う。
みんなでお墓へ参りお線香をあげる。
タダジロウの33回忌とヤエコの3回忌。
ヤエコの35日の法要の時は滴るような緑の木だったが見事に枯れ木姿。
落葉樹の表情豊かさをつくづく感じた。
本殿の立派な飾りとお香の独特な香りが非日常へ誘う。
みんなでお墓へ参りお線香をあげる。
タダジロウの33回忌とヤエコの3回忌。
部屋の一角にヤエコの掛け仏とありがとう仏さまを祀っている。
正月飾りをした。
よもぎさんから送られてきた干支菓子。
文殊様色のからし色ベースに賀状に貼られていた可愛い干支が書かれたシールと干支が書かれた切手をコラージュした。
向かいに飾っている正月花は千両、水仙、ヒバや五葉松にヤエコスギ(ヒマラヤシダ)に白いイチゴの木の花。
やっと涼しくなったので妹のきんかんがウール地のヤエコパンツをはいてきた。
3月に亡くなったヤエコの着物を2人で解ききんかんが気に入った着物地でタイパンツと言われるデザインで縫った。
前。
横につけたポッケ。
布の裏の地模様がピンク色だったので使用。
裾にも同じ布を使用。
後ろ。
縫う前。
違った着物地で自分のヤエコパンツも縫っている。
同じヤエコパンツをはき出かけようと思うが第41回野草(イエツアオ)展が終わってになるだろう。
野草(イエツアオ)展
日時 11月24日(日)~12月8日(日)
場所 ギャラリー作唯
住所 四国中央市金生町下分742-1
電話 0896-72-6808
テーマ コロナNO5グレー
コロナタペストリーNO5(グレー)で分科会と政府を表す流木に青い色で隈取を描くことにした。
赤や茶色でも描くが青い色で描くと悪者を表すそうだ。
アクリル絵の具を出すときヤエコが使っていた顔彩が出てきた。
顔彩は使ったことがない。
絵を描くのは苦手だがヤエコの遺品の顔彩で描けばヤエコが伝ってくれるかもしれない。
思い切って試しに描いた。
ヤエコもあまり上手ではなかったので下手な隈取になったが流木に描いた。
早朝より散歩の人が目に付く。
ラジオ生活なので知らなかったがテレビでは健康体操の番組が多いようだ。
水泳やジムに通う人たちもいる。
体にいい食材やサプリ二興味を持つ人たちも多い。
100歳時代になったと言われるが健康に関する意識が高くなった結果だろう。
生け花も枯れてしまえば再生は難しいがこまめに水替えや切り口を切り戻すと長く元気に水揚げしてくれる。
103歳まで生きたヤエコが寝たきりになったときは体がくの字に曲がっていた。
妹のきんかんともども寝たきりになってもくの字にはなりたくないので励ましあい、情報を交換しながら体操に励んでいる。
片足にしびれがあったきんかんはよくなったようだし畑仕事中に腰痛がつらかったが楽になった気分だ。
意識を向けただけで今までより改善することはあるようだ。
いろんなキノコたちと。
ヤエコパンツNO1。
縦横82センチ、100センチ。
ヤエコが残した着物を妹のきんかんと一緒に解き終えた。
解きながらそれぞれ好きな着物柄でパンツを縫うことになる。
それにつき一度縫ってみたかったデザインがある。
タイ製のタイパンツ。
かなり日本風だ。
このパーツを縫いつなげると出来上がりだ
洋裁が苦手なきんかんに解かなければ型紙はできないでしょうと言われたができるといった。
試行錯誤の末やっとできたがキンカンにできると言ってなければ途中であきらめていただろう。
きんかんにはほつれ止めや穴かがりを教えながら手伝ってもらっているが型紙を起こせるエネルギーをいただいた。
それでなければヤエコパンツはできてない。
ヤエコときんかんに感謝。
4月より妹のきんかんと一緒に解き始めたヤエコの着物を解き終えた。
まずは2人のパンツを作る予定。
布より糸に興味があるきんかんだがヤエコを好きだったのでよく付き合ってくれた。
ヤエコとの思い出話も手間のかかる手仕事中なのでたくさんできた。
一枚目の解いた浴衣を干しているところだが着ていたのは覚えてない。
着物から洋服になる時代に生きたので初めて見る着物が多かった。
長い間箪笥の肥やしになっていたのを活かせるか?
長寿祝いとして101歳より市から干支の水引細工が贈られる。
103歳のヤエコには3個の水引細工が贈られていた。
2024年干支の辰。
その辰年もあっという間に半分すぎた。
左、2023年卯、右2022年寅。
左はいただいたシトラスリボンで右はウクライナ支援金を寄付してもらった。
水引が特産物なので公共の催しによく使われる。
体さえ持っていけないところへヤエコは行ってしまった。
103歳まで暮らしていたこの世には残していったものがそれなりにある。
新品のシーツもそうだ。
涼しそうなブルーでシャキッとした麻。
丁度夏用寝巻にする布が欲しかった。
135センチ、200センチのシーツで5枚作る。
左上、余った襟ぐりとして切り採った布。
残ったのはこの布だけ。
背中の当てぬのは別布使用。
丸首のデザイン4枚。
シーツを55㌢幅で2枚に切りそれを2枚に切って4枚作る。
残りの25センチ幅を2枚に切り幅が足りないので6センチの別布を入れてもう一枚作る。
もちろん着るたびにヤエコに感謝する。
シーツとパイピング用の布。
パイピング用布は2枚用意したが右の布使用。
初めて見る虫が山小屋そばにいた。
羽の色が赤紫でヤエコ色、かなり目立つ。
なんだかヤエコ色の赤紫が目に付き始めたようだ。
遺骨を少し持ち帰ったときは生前よりヤエコスギと呼びタダジロウスギとともに山小屋を覆っているヒマラヤスギの元へ納めるつもりだった。
49日が過ぎるまでありがとう仏のそばに置き49日が過ぎれば納骨の予定なのにここにいるのだと意思表示し、居座ってしまった。
先日分骨のまた分骨でヤエコスギの元へ納めた。
左がヤエコスギで右がタダジロウスギ。
屋上の左タダジロウスギと右ヤエコスギ。
ヤエコスギ。
タダジロウスギ。
タダジロウの遺骨は梅の木の元へ納めている。
そこへもヤエコの遺骨を納めた。
この梅の木はあまり梅がならない。
タダジロウは商売の金策に忙しく盆栽はするがこまめには動かなかった。
ヤエコはこまめに動く働き者でタダジロウが出かける前に頭を傾けるとチャチャと髪をといていていたのを妹のきんかんともどもその光景を覚えている。
そんなタダジロウが根元にいるので実がならないと思い働き者のヤエコの遺骨を納めた。
来年はたくさん実ってくれるように願って。
ヤエコの遺骨袋。
縦横5・5センチセンチ。
妹のきんかんが早々と毛糸で可愛い遺骨袋を作ったがなかなかできないでいた。
数日前腰が痛くなったりと体の調子がおかしい。
もしかしてと数えると49日目の日に腰痛が始まっている。
49日の法要は35日法要で済んでいる。
亡くなっても49日は仏さまになる修行のためこの世にいるらしい。
修行が終えたので仏さまの世界へ行くよと知らせに来たようだ。
あわてて遺骨袋を創作し遺骨を納めありがとう仏さまと並べて掛ける。
今きんかんとヤエコの残した着物を思い出話をしながら解いているのでその着物地で創作。
着物は嫁入り前に作ったらしく長い袖を縫いこんでいた。
色合いがヤエコのイメージの赤紫だったので使用。
裏地に使われていた白い絹布で遺骨をくるみ紫の胴裏で表の5角形と同じ袋を縫い白い絹布でくるんだ遺骨を入れ赤紫の着物地で作った5角形をモスグリーンの糸で閉じた。
紫の胴裏で作った中袋がモスグリーンの糸の間から少し見える。
ヤエコなので8角形にしようかと思ったがきれいにわれる偶数のイメージではないので奇数の5角形にした。
世の中にさほどいい人も悪い人もいず合うか合わないかだと常々思っているがヤエコとは合わなかった。
これからは理解しあい仲良く付き合うために私が好きなグリーン系の糸をステッチ糸としてあえて使用。
掛け仏になったヤエコの置き場所だが柱の間のくぼみにブラインド越しに朝日が当たる場所がいいと思ったがすぐ近くに花を置く場所がない。
ヤエコは花が好きで部屋に数か所花を生けていた。
ありがとう仏さまの前にはいつも花を生けている。
それで並んで掛けることにした。
季節の和菓子を買いに行く和菓子屋がある。
奥さんが野草(イエツアオ)展に来てくれたりしたが亡くなった。
それ以後売っている和菓子も少なくなりしばらく行ってない。
このパッケージに入っている和菓子は姪の元気な4歳になる男の子からもらった。
パッケージのプリントがきれいなので食べないで飾っていたが賞期限を見るため裏返すとその和菓子屋さん製造だった。
なんだかうれしくなる。
姪の子どもはヤエコが100才の時生まれた。
コロナ騒動中でヤエコはスペイン風邪終焉の1920生まれ。
そのことを2020年第36回野草(イエツアオ)展で作品にした。
今春103歳で亡くなり今遺品の着物を妹のきんかんとヤエコの思い出話をしながら解いている。
解いたばかしの着物地と鯉のぼりのパッケージ。
妹のきんかんはヤエコの遺骨をよく一緒にドライブした車に乗せるらしい。
なかなか遺骨入れのデザインができないと言っていたがやっとできたようだ。
得意の編み物で色も丸い形もかわいい。
子ども食堂に行く前に残りの遺骨をタダジロウを散骨した海に同じく散骨するので行く。
ピンクの花は散骨の時一緒に流す花だ。
花とともに散骨。
遺骨はあっという間に沈む。
滿汐だった。
引き潮にタダジロウのところへ行くのか?
私はまだ遺骨入れのデザインはできない。
色で表すとタダジロウはきれいなブルーだがヤエコの色はまったくイメージできない。
形ならイメージできるのに。
海岸近くで初めて見る形と色が美しい鳥を見かけた。
先日きんかんとの旅の途中で立ち寄った河川敷でも希少な鳥だと言われるヤツガシラに遭遇。
我が家から見えるお寺のイチョウ。
ヤエコが亡くなった3月20日は芽吹いてなかった。
お寺で見たイチョウ。
先日35日法要をお寺でおこなった。
見事な新緑。
本殿の天井。
本殿。
2冊の経本を与えられたがお坊さんの読経についていけず。
一冊の経本の理趣経を見ていると文殊、善財、最勝など第40回野草(イエツアオ)展で創作した渡海文殊のメンバーの名前があったので親しみがわく。
なんだかいいことが書かれているようだった。
お土産にお餅をいただいた。
お餅を食べその人を生きるとのいわれがあるようだ。
地方により亡くなった人の骨を食べる習慣がありそれに似たものだろう。
なんだか一区切りがついた気分になった。
これから亡くなったヤエコとの付き合いが始まる。
3月20日、103歳で亡くなったヤエコの葬儀は第20回クラフト(イエツアオグループによる)が開かれる前日の23日で何の芽吹きもない寒々しい小雨の降る日だった。
亡くなって30日目に再度火葬場へ行く。
駐車がない駐車場。
友引でなかったが稼働してなくしずかだ。
観光に来る人はない場所なのか職員がやってきた。
30日ほど前にお世話になりましたというと今日はないが突然入ることもあると言っていた。
妹のきんかんは車から降りず。
私は新緑の火葬場を見たかった。