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なぜ私がボランティアHITOフレンズの前掛けをつけることになったか整理した。
上分にHITO病院という不思議な名前の大きな病院が金生町暮らしを始めて数年たったころできたのは知っていた。
コーホート研究に参加して採血にHITO病院へ訪れたのは去年の10月。
病院くささがなく興味を持った。
12月の末、市報でHITO病院主催の餅つき大会を知り行く。
そこでHITOフレンズボランティア募集のチラシをいただくが興味はなかった。
1月3日突如HIT病院のボランティアに参加しようと閃く。
創作において突如デザインが浮かぶのと同じ感覚だ。
又セイザエモンサンが来たと確信。
3月22日(日)~4月5日(日)に開く第16回クラフト展(イエツアオグループ)によるの参加作家の人たちに参加要領をメールした後の1月14日HITO病院へ行きHITOフレンズに登録。
1月17日、ボランティアの先輩に研修を受けるため初めて前掛けをつけて病院ロビーにたつ。
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大病院の受付は機械化されていた。
受診標の機械。
使い方やカードの採り忘れを手助け。
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清算の機械。
使い方などを手助け。
車いすを使いやすいように玄関に出したり付添いさんが席を外した時の見守り。
何とかできそうだが1月20日再度先輩ボランティアさんについて研修。
次回からは一人で参加予定。
3日にHITOフレンズに参加すると閃いたのはなぜかと考えた。
今まで病院とかかわりのない生活だったがいずれ病気になり死ぬので病院を知りたかった。
高い理想でまい進しているHITO病院に関わりたかった。
介護の施設も運営している病院なので介護の技術を取得したいと思ったが介護のボランティアは要請があったときだけなのが残念。
2008年に金生町暮らしを始めたときは切山の行事に参加することでバランスをとった。
いまだに切山もうでは続いている。
10年が過ぎボランティアでこども食堂へ花を届けることで違う世界が広がった。
今回は思ってもみなかった病院でのボランティアだ。
どちらもながくつづけたい。