ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

丘を下って

2008-11-02 | 私事・リタイア・人生
今日はガンを再発してしまった友人の月命日でした。彼女はここにも何度か登場し幾度となくコメントもいただいていました。

私たちが里帰りしていた10月2日の早朝、彼女は家族に見守られながら1人で旅立って行きました。出発直前に電話で、
「あなたの写真を日本に連れて行くから。」
と話したのが最後になりました。

「3週間だなんて、もう会えないわ。」
と言っていた彼女。張りのある電話の声からは想像もつかず、
「そんなこと言わないでよ。戻ってきたら会いに行くからさ。」
と軽くいなすと、
「ううん。間に合わないわ。」
と生真面目な答えが返ってきたものでした。彼女なりに心積もりがあったのでしょう。

辺鄙な土地での独り暮らし。最期を看取ったのは元ご主人でした。
彼は数週間も仕事を投げ出し、付きっきりで看病していました。
戻ってから電話を入れると、
「ちょうど家族が揃ったところだったんだ。ずっと調子が良かったのに前の晩から急に容体が悪くなって。あの朝、丘を下っていったんだよ。

ダウンヒル――丘を下って
という言葉に、痛み、苦しみ、無念さ、意地、希望、愛・・・すべてに対し全方位に立ち向かっていた彼女がふと蘇るようでした。

最期に彼女はすべてを受け入れ、そして手放し、丘を下っていったのでしょう。

強くて繊細、
明るくて孤独、
優しくて厳しい、
寂しがりやの自由人。

すべての人が生まれながらに持っている相反するものを、ほんのちょっと強めに持って生まれ、それを生き抜いた意思の人。
「いつも闘ってきたわ。ガンとまで闘わなくちゃいけないなんて。」
とこぼしていた彼女。前向きで、動物と創作と自然をこよなく愛した人でした。


(一番好きな彼女の作品。いつも海から癒しと力をもらっていました)

私は約束通り大の親日家だった彼女の写真を財布にしのばせ、伊勢や箱根で財布を開いたときに気がつく限り写真を取り出し、
「ほら伊勢よ。来たことあったでしょう?」
「箱根に着いたよ。」
と声をかけては辺りの風景を写真に見せていました。

箱根についた翌日、「さぁ、観光に行こう!」と写真を取り出すと、
なんだか写真が空っぽな気がしました。
間違いなく彼女は四角い紙の中で微笑んでいるというのに・・・。
不思議に思いつつも慌てていたので出かけてしまいました。

ホテルに戻ると、夫から訃報が届いていました。
時差もあり、私たちが観光に出た時間には彼女はもう旅立っていたのです。今思うと、私が日本で一番好きな場所、伊勢を一緒に周れたのはよかったです。

彼女は移住後にできた子どもの関係ではない、最初の友人でした。
こんなに早く失ってしまうなどいまだに信じられませんが、彼女は私にとても大切なものを残してくれました。

ビルマです。

サイクロン被災者への援助の件でファンガレイのビルマ人医師アリスとゾーを紹介してくれたのは彼女でした。私たちの友情が続く限り、彼女は私たちとともにあり、私たちは会うたび、電話で話すたび、Eメールをやりとりするたびに、彼女のことを思い出すでしょう。
(ビルマの仲間たち)


1ヶ月経ってもこうして文章にしてみると、まだまだ気持ちの整理がついていないのを感じます。そんな時に、アリスからメールが入り、
「ビルマに持って行くために期限切れの薬を集めまくってるの!期限切れでもないよりましなのよ。」
という力強い言葉。

そう、なにがあっても生きていかなくっちゃ、ですよね。

彼女の引き合わせに感謝しつつ、私も息長くビルマへの支援を続けていこうと思っています。彼女の冥福を心から祈っています。
 
Janine, Forever.
16 Dec 1945- 2 Oct 2008

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