NZはどこに行っても戦没者を手厚く哀悼しています。
オークランド博物館も
英語名はAuckland War Memorial Museumで、
直訳すれば
オークランド戦没者慰霊博物館です。
4月25日のアンザックデーは博物館正面前の戦没者慰霊塔を囲んで
毎年厳かに式典が執り行われます。
子どもの頃スカウトに入っていた温(20歳)は前の日から泊り込みで
夜明けの式典に毎年参加していました。
なぜこんなに長い月日を経ても失われた英霊を慰霊し続けるのか?
私なりに移民の眼で書いたメルマガがあるので、よろしかったらどうぞ。
「ガリポリの記憶」
「ガリポリの記憶 その2」
「ガリポリの記憶 その3」
「ガリポリの記憶 その4」
「ガリポリの記憶 その5」
(アンザックデーの由来に関しては、コチラでも)
ロトルアのガバメント・ガーデンにて
これもガバメント・ガーデンで
マオリの戦没者の慰霊塔
テアロハの戦没者慰霊時計台
人口3千人にもならない町の規模に比べて非常に大きく見えます。
人口1万人に満たないワンガヌイもまた戦没者に手厚い場所でした。
慰霊の花文字があったのですが、写ってなかった
巨大な戦没者慰霊塔
1919年に建設された33.5mの塔
建築年からお分かりのように第一次大戦の戦没者のための塔です。
そしてこちら。
階段の向こうはサージーン・ギャラリー
今回は時間がなくて行けませんでした
階段に取り込まれるように立つ碑
ライオンに守られています。
これも戦没者慰霊碑
1847年から始まっているのでマオリとの戦いの戦没者からですね。
さすがにマオリ名はないなぁ
四方にびっしりと名前が刻まれています。
20世紀に入るとマオリ名もあります
すぐ後ろにはさらに慰霊塔
慰霊on慰霊
手前には立派な戦没者慰霊会館も!
かなり大きな施設で多目的ホールに利用されているよう。
こんなにいくつもいくつも慰霊施設があるのは珍しいのでは?
100年も前に記念のためだけに33mもの塔を建てるというのも
当時の資金力や労働力の豊かさだけでなく、
戦没者への深い哀悼の気持ちの表れであり、
それだけ地域の密着度が強かったのではないかと思われます。
ゆとりと調和の中、誇りと尊厳と愛着を持って暮らしている―――
そんな印象を受けた場所、ワンガヌイ。
なんの下調べもなく、フラりと立ち寄ってしまいましたが、
次回はぜひ時間を作ってゆっくり周りたいと思います
オークランド博物館も
英語名はAuckland War Memorial Museumで、
直訳すれば
オークランド戦没者慰霊博物館です。
4月25日のアンザックデーは博物館正面前の戦没者慰霊塔を囲んで
毎年厳かに式典が執り行われます。
子どもの頃スカウトに入っていた温(20歳)は前の日から泊り込みで
夜明けの式典に毎年参加していました。
なぜこんなに長い月日を経ても失われた英霊を慰霊し続けるのか?
私なりに移民の眼で書いたメルマガがあるので、よろしかったらどうぞ。
「ガリポリの記憶」
「ガリポリの記憶 その2」
「ガリポリの記憶 その3」
「ガリポリの記憶 その4」
「ガリポリの記憶 その5」
(アンザックデーの由来に関しては、コチラでも)
ロトルアのガバメント・ガーデンにて
これもガバメント・ガーデンで
マオリの戦没者の慰霊塔
テアロハの戦没者慰霊時計台
人口3千人にもならない町の規模に比べて非常に大きく見えます。
人口1万人に満たないワンガヌイもまた戦没者に手厚い場所でした。
慰霊の花文字があったのですが、写ってなかった
巨大な戦没者慰霊塔
1919年に建設された33.5mの塔
建築年からお分かりのように第一次大戦の戦没者のための塔です。
そしてこちら。
階段の向こうはサージーン・ギャラリー
今回は時間がなくて行けませんでした
階段に取り込まれるように立つ碑
ライオンに守られています。
これも戦没者慰霊碑
1847年から始まっているのでマオリとの戦いの戦没者からですね。
さすがにマオリ名はないなぁ
四方にびっしりと名前が刻まれています。
20世紀に入るとマオリ名もあります
すぐ後ろにはさらに慰霊塔
慰霊on慰霊
手前には立派な戦没者慰霊会館も!
かなり大きな施設で多目的ホールに利用されているよう。
こんなにいくつもいくつも慰霊施設があるのは珍しいのでは?
100年も前に記念のためだけに33mもの塔を建てるというのも
当時の資金力や労働力の豊かさだけでなく、
戦没者への深い哀悼の気持ちの表れであり、
それだけ地域の密着度が強かったのではないかと思われます。
ゆとりと調和の中、誇りと尊厳と愛着を持って暮らしている―――
そんな印象を受けた場所、ワンガヌイ。
なんの下調べもなく、フラりと立ち寄ってしまいましたが、
次回はぜひ時間を作ってゆっくり周りたいと思います
(つづく)