ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

タラナキ行:パテアの栄枯盛衰

2014-03-05 | 旅行
ワンガヌイを出て家並みが途切れると農村風景に。



すぐにこんな場所発見

「えぇぇえもうタラナキ?」 


ンなわけありません

まだ、ワンガヌイからクルマで10分だってば。
落ち着くんだ、自分


ウィンダミア・ファーム

イチゴ狩りができるカフェでした。


とりあえずイチゴソフト

美味しかった



その後は行けども行けども牧場です。

じき、タラナキに入りました。
(って、ずっとこんな眺めですが)



タラナキは人口11万人で、NZ16地方の中では10番目

ニュープリマス(7万4,000人)
ストラトフォード(9,000人)
サウスタラナキ(2万7,000人)
の3つの地区に分かれていて、愛称は「ナキ」


ワンガヌイの隣はサウスタラナキ

やったー!やっと、タラナキ
ブログ上では2ヶ月遅れにならんとしてますが


平らな平原のところどころが陥没してみえる

見慣れたワイカト平原とはずい分異なる眺め。


見上げる位置からだと

空中庭園のようです


あと、ファーマーの家がワイカトよりはるかに大きい

みーんな豪農
とーっても豊かに見えるんですけど。



最初に立ち寄ったのはパテアという人口1,000人の村

かつては自治体もあるほど大きな町だったようですが。


外海の荒々しさに感動

「海はこうでなくっちゃ
と思う、ほぼ湘南育ち


オークランドのワイテマタ湾とは全然違うー!



水煙で辺りが白っぽくなるほどでした。

この先オーストラリアまで何もないタスマン海


風も強くて寒かった

防風林も傾いてました。



あっ
あれは?

銀色に輝く貨物列車は天然ガスを輸送中
タラナキは天然ガスの産地として知られ、
どうやらワンガヌイに輸送中のよう。


ワンガヌイには市営のガス会社ワンガヌイ・ガスがあって
タラナキから天然ガスの供給を受けています―――
というのを今回の旅行で初めて知りました。
NZで自治体がガス供給までしているのは珍しい!


パテアは見るからにマオリの村

中心からしてこれですから
こんなワカ(舟)に乗ってこの地に来たのかも?


博物館もありましたが、閉まってました。

マラエ風(マオリの集会場)な入り口


可愛い図書館

誰だぁ?てっぺんにパイロン載せたの


ラグビー場



オフシーズンなので誰もいませんでした。

シーズンになったらちゃんと人数が揃うのかな?
とふと心配になるぐらい閑散とした場所でした。


ホテル兼バー

地方に行くと必ず1軒はあるこの手の建物
ほとんど店もなく、忘れ去られたような村でした。


帰ってから調べてみると、マオリと入植者の戦いが終了した後、
19世紀にはパテア川とタスマン海に通じる水上交通の要所として栄え、
1885年にはマートン=ニュープリマス鉄道が開通し、水陸両用に?
(※天然ガスを輸送していたあの線路)


1920年代には世界最大のチーズ輸出港で、サウスタラナキ一円から
ここにチーズが集まり、ウェリントンに集積して海外へ・・・
というルートだったようです。


しかし、1959年には港が閉鎖されチーズブームが終わりました。
多分、NZ全体で農協化が進み、生乳を一ヶ所に集約する方が
零細中小企業が個々にチーズという最終製品を作っているよりも
断然効率的で、時代の要求とともにブームが去ったのでしょう。


19世紀からパテアを影で支えてきたのが、パテア冷凍工場
1880年代にパテア川河畔に冷蔵施設が設立され、
20世紀に入るとパテア冷蔵協同組合がとなり、
サウスタラナキ最大の雇用を生んだそうです。


しかし、業務の非効率や全国的な過剰供給で1982年に閉鎖。
2008年の大火で建物は完全に解体されたそうです。


NZの地方で、多数の町が経験した栄枯盛衰。
そのほとんどが木材、鉱物資源、鯨などの天然資源を求め
とり尽くしたところで経済も発展も止まる!
というものでしたが、パテアは加工品で栄えた場所でした。


かつての繁栄がしのばれる立派な電話局

大勢の電話交換手がいたのでしょう。
メインストリートで一番大きい建物でしたが、今は空家のよう。


かつて自治体があったころの庁舎か、裁判所か?

今は看板もなく、これも空家。



その後走っていると、右手前方に高い高い塔が見え始めました。

ワンガヌイみたいな慰霊塔?それとも給水塔?


(つづく)